目覚め
息をする音が聞こえる。
体の中にしっかりと血液が流れているのを感じる。
指が動く、体が動く。自分の思い通りに。
康太がゆっくりと目を開けると、そこには見たことがない種類の光景が広がっていた。
いや先程まで見ていた光景とはまるで違う。目の前には木造の天井、そして電気により照明が光を放っている。
ここまで来て康太はようやく、自分が自分の体で目覚めているのだと気が付いた。
「・・・あぁ・・・そうか・・・」
自分が今どこにいるのか、何をしているのか、何があったのか、それを理解するよりも前に康太は理解してしまった。
この魔術がなぜ生まれ、何故このような被害をまき散らし、そしてどうしてこうなったのか。
そして自分がどうするべきなのかを。
康太がわずかに体を動かそうとすると自分の腕にわずかな痛みが走る。一体なんだと首を動かすと、そこには点滴のチューブが伸びていた。
この時康太はようやく自分が今どういう状況なのかを把握しようとしていた。場所はどこかの部屋だ。近くで魔術師と思われる声が響いていることからまだ公民館にいると思っていいだろう。
体がだるい、そして強い空腹感がある。恐らく何日も放置されていた可能性が高い。
師匠に放置され続けたのだという事実よりもまず確認しなければいけないことがあるために康太は体を起こそうとする。
だがどれだけ体を動かしていなかったのか、康太の体はなかなかいう事を聞いてくれなかった。
筋肉が衰えているというほどではないが、体力がかなり削られている。体全体に残る強烈な疲労感とめまいに、康太は結局体を起こすことができずにそのまま倒れこんでしまった。
「わかってます!そろそろ取り替えますから・・・まったく・・・」
扉が開く音がすると同時に聞きなれた声が聞こえてくる。その声の主が文であると気づくのに時間は必要なかった。
その手には桶と何かが詰められたビニール袋を持っている。一体なんだろうかと思うよりも早く文は康太の状況に気付いたようだった。
「・・・ビー!?目が覚めたの!?」
「・・・ベル・・・師匠は・・・師匠はどこだ?」
「は?起きていきなり何言ってんのよ。ちょ、ちょっと待って!とりあえず・・・あぁもう!とりあえず起きなさい。水飲んだ方がいいわ」
文自身も唐突に目を覚ました康太に驚き正常な判断ができていないのか、近くにあるペットボトルを掴んで康太の近くに歩み寄る。
文に支えられながら体を起こすと、康太は彼女からペットボトルを受け取りその中の水をゆっくりと飲み始める。
先程まで意識していなかったが、相当喉が渇いていたのかもしれない。まだたくさんあったはずのペットボトルの中身が一気に無くなっていった。
「急に飲むとお腹に悪いわよ?丸三日以上寝てたんだから」
「んぐ・・・み、三日!?そんなに寝てたのか!?」
「えぇ、あんたが気を失ったのが三日前の夕方。そんでもってもうすぐ日付が変わるから・・・三日と六時間ってところかしら」
空腹具合からしてそこまで意識を失っていたとは思わなかったのか、康太は大きく驚愕した表情を作っている。
携帯を確認すると現在時刻は確かにもうすぐ深夜。七十八時間近く意識を失っていたのかと康太は眉を顰める。
「とりあえず何か食べる?って言っても絶食状態だったからおかゆとか・・・とりあえず流動系のものの方がいいわね・・・ゼリー系の物ならあるからとりあえずお腹にいれときなさい」
「あ・・・あぁ・・・ありがと・・・ひょっとしてずっと看ててくれたのか?」
「まぁね。他に手が空いてる人もいなかったし・・・」
文のような優秀な魔術師が手が空くとは思えない。他にやれることなどいくらでもあったはずだ。なのにこうして看てくれているという事は文が何かしら進言したのか。
文の性格上恐らくそんなことは言わないだろう。小百合もないと考えると真理辺りが頼んだのかもしれないと康太は頭の中で推理しながら周囲の状況をさらに観察する。
ここは公民館の部屋の一室なのだろう。座布団を繋げて寝床にし、康太を寝かせているだけの簡易的なベッドだ。だがこの部屋に、特に自分の枕にしていた座布団から妙なにおいがすることに気付く。
「なんかこの部屋臭いか?ちょっと酸っぱいような・・・」
「ずっといたのによくわかったわね?初めて他人の吐瀉物を片付けたわ」
「・・・ひょっとして俺吐いたの?」
「そりゃもう。胃の中身が無くなるまでね。途中からもう胃液しか出てこなかったけど」
自分の吐瀉物を片付けられていたという事実に康太は申し訳なさでいっぱいになっていた。
実際は文が片付けたのは吐瀉物だけではないのだが、それは康太の名誉のためにも言わないほうがいいだろうなと文が気を使っているのは康太は知る由もない。
これは食事を一度や二度奢る程度では返済できない大きな借りができてしまったなと思いながら康太は首を横に振る。
今はそのことは後でいい。迷惑をかけたのは事実だがそれよりも早く小百合の下に行かなければならない。
「ベル、とりあえず師匠の所に行きたい。今どこにいる?」
「今?少し休んでると思うわ。夜中だからだいぶ被害者も少なくなってるし」
「いいタイミングだな・・・よし・・・」
康太は立ち上がろうとするが相当体力を消耗しているのか、満足に立ちあがることもできなかった。とっさに文が支えると、彼女は小さくため息を吐く。
「肩貸すくらいするわよ」
「・・・わるい・・・情けないな」
「そんなの今さらでしょ?」
そんなことを言いながらも文は笑っていた。康太は情けなかったがそれでもいいかと思う。自分が未熟であり情けない存在であるという事を今さらながら思い出したのだ。
文に支えられて歩く康太の姿は周囲の魔術師の目を引くのか、先程から康太と文に視線が集中しているように感じられた。
小百合から事情を聞いていたのか、それとも康太の様子を見てまた被害者が現れたのかと思っているのか。
恐らくどちらも正しいだろう。小百合から話を聞いていた、あるいは周囲の人間から事情を聞かされていた人間は康太の存在に驚き、康太の体から出ている黒い瘴気を見て被害者がまたやってきたと思っている者もいる。
二つの視線を同時に浴びながら康太は小百合のいる被害者が集められる場所へとやってきた。
康太と文が部屋に足を踏み入れると、最初にその存在に気付いたのは真理だった。
最初は誰かが被害者を連れてきたのだろうと思って駆け寄ったのだが、その黒い瘴気に包まれているのが康太だと気づくとその表情を一変させていた。
「ビー!目が覚めたんですか!?よかったぁ・・・!本当によかった・・・!」
「姉さん・・・すいません、どうやらご迷惑をかけてしまったようで・・・」
「気にしなくていいんですよそんなの。とにかく無事で何よりです」
真理は純粋に康太のことを心配しており、その声音や表情からもそのことが康太には伝わっていた。
本当にこの兄弟子には頭が上がらないなと心の底から思いながら康太は小さくため息をついてしまう。
「そうだ・・・師匠は今どこに?」
「あぁ・・・今仕事中です。ようやく大詰めに差し掛かってるんですよ、恐らく今夜が勝負になるかと思われます」
真理が向けた視線の方向に康太も視線を向けると、そこには延々と対処を施している小百合の姿があった。
そしてその周囲には大量に横たわる一般市民と思わしき人々。そしてその数はどんどん増えてきている。一体どういうことなのだろうかと康太と文は目を丸くしていた。
康太は意識を失っていたため、文は今の今まで康太の看病ばかりしていたためにこの状況をほとんどと言って良いほど理解できていないのだ。
「あの・・・姉さん、今どういう状況なのか大まかでいいので説明してくれませんか?」
康太の申し出にそうでしたね、ごめんなさいと康太が今まで意識を失っており状況をほとんど理解できていないことを察したのか、真理は今の状況について説明してくれるようだった。
「まずこの町に百七十二号の魔術が蔓延していることはすでに知っていますね?私達は魔術師を巡回させることでそれを解決しようとしましたが他の解決策を作ったんです。街全体に魔術をかけて人々を無意識のうちにこの公民館に集めるように」
「無意識にって・・・それじゃだいぶこの辺りが混雑するんじゃ・・・大混乱ですよそれじゃ」
「もちろん意識のあるうちにそんなことはしません。今私たちがしているのは眠っている人物に対しての魔術です。ついでに街全体の人々の睡眠欲を増大させてちょっとだけ眠ってもらっていますが」
簡単に言っているが町一つに対して魔術を発動している時点でかなりの大魔術だ。それこそ一人二人の力ではこの状況は作り上げられてはいないだろう。
そして康太の予想通り、この魔術には魔術協会の魔術師たちが多くかかわっていた。
この町に対する人の進入はさておき、この町から外に出ていく人間をいなくするための魔術を発動する人員以外はすべて先程の睡眠誘発の魔術と強制移動の魔術を発動するための要員となっていた。
家に帰った人物も、店にいる人物も、一時的とはいえ公民館の方に集まることになる。これほどの大移動は今までなかっただろう。
「でも大丈夫なんですか・・・?これだけ大々的な移動だと流石に怪しまれるんじゃ・・・」
「ご安心を、監視カメラの類はすでに協会が裏から手を回して細工済みです。今日一日だけですけどね・・・仕込みでずいぶん時間がかかった分何とかしてみせますよ」
康太が寝ている間に、小百合、エアリス、真理の三人を主導として何とかして効率的に被害者をこの場所に運べないかと思案した結果がこの作戦だったらしい。
雨を降らせることで比較的被害者の増大は防げたためにあとは人を一カ所に集める事だけが果たせればよかったのだ。
百七十二号の事件が発覚してから一日した段階で日本支部の中はその話題で持ち切り、可能な限り協力するという魔術師が名乗りを上げ支部長の計らいの下小百合たちの下について行動するようにという指示がなされた。
その為小百合たちは比較的楽に動けたというべきだろう。
支部長を介してこの町の監視カメラの細工、そして魔術師たちによる町全体への魔術的工作活動。
この二つをこなしたことで被害者を含めたほとんどの一般人をこの公民館付近に集めることができたのだ。
魔術師たちはこの公民館へ向かってくる道中で被害者とそうでない一般人を選別し、被害者だけをこの公民館へと到着するように誘導している。
その為後は小百合がやってくる被害者たちの術式を破壊するだけなのだ。
もっともそれこそが一番時間がかかる面倒な点だと言わざるを得ないが、逆にこの方法が成功すればこの町から百七十二号をほぼ完璧に撲滅できることになる。
感染源さえなくなれば被害が増えることはない。
被害を広める感染型の病原菌に対しての最も効果的な対策、というより対処は感染源である被害者をゼロにすること。つまりは感染者の撲滅である。
そしてそれを今できるのはこの場に一人だけ。デブリス・クラリスこと小百合その人である。
年始なので二回分投稿
この年始キャンペーンは四日までです。五日から仕事なのでそのあたりはご容赦ください
これからもお楽しみいただければ幸いです




