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ポンコツ魔術師の凶運  作者: 池金啓太
八話「深淵を覗くものの代償」

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急変と増援

暗闇の中で、康太がまず最初に感じたのは寒さだった。


時期は八月のはず。夕方という事もありだいぶ涼しくなってはいるがそれでも寒さを感じるなどあり得ない。そして次に感じたのは猛烈な疲労感だった。


全力で走った後に、さらにまた走らされたような、そんな感覚。そして康太はこの感覚を知っていた。


ゲヘルの釜に放り込まれた後の感覚。それをもっともっとひどくしたような、肉も骨も皮膚さえも削り取られ、もう何も出ない出がらしのような体になってもまだ搾り取られるのではないかと思えるほどに、体の中から無くなってはいけないものが無くなっていくあの感覚。


苦しさだけではない。痛み、寒さ、朦朧とする意識、ぼやける視界、喉は乾き、口の中が干からび、体の奥になにも無くなっているような感覚に陥る。


唐突に視界と感覚が切り替わったことで康太は混乱しかけたが、その次の瞬間に聞こえてきた声でようやく我に返る。


『・・・くるしぃ・・・』


それは小さな子供の声だった。声が高いこともあって男女は判別できないが苦しみに助けを求めていることは理解できた。


もしかしたら近くに百七十二号の被害に遭った子供がいるのかもしれない。康太は体を動かそうとするのだがまったく体は動いてくれなかった。


いや体だけではない、目も口も腕も足も、指先でさえ動いてくれなかった。


『・・・ぉかぁ・・・さ・・・』


幼い声が消え入るように小さくなっていく中、康太の体を蝕んでいた疲労感と寒さ、そして何かに奪われていく感覚が強くなっていく。


もう何も出ない、もう何も体の中にない。だというのに体から大事なものが無くなっていく。無くなってはいけないものが吸い取られていく。


単純な痛みではない。単純な苦しみではない。康太はこれが死の苦しみであると理解するのにだいぶ時間がかかった。しかもそれを理解したのはこの時ではない。


ぼやけていた視界が一瞬にして切り替わり、先程までの暗い場所ではなく今度は一転して明るい場所に出ていた。


いや明るい場所というのは語弊がある。近くに焚火のようなものがあるのだと理解するのに時間は必要なかった。


なにせ康太の体は今度は強い熱を肌で感じていたのだから。


先程と同じように疲労感や苦しみを感じる中で、康太はその火を見る事しかできなかった。


先程と同じだ。まったく体が動かせない。なのに苦しみだけを一方的に与えられる。


『・・・たす・・・けて・・・』


今度は男性の声だ。低いという事もあり恐らく大人なのだろう。近くに聞こえるからこの近くにいるはずなのに康太は先程と同じように体を全く動かすことができなかった。


『・・・あ・・・あぁ・・・ぁ・・・』


声にもならない慟哭を上げながら、男性の声が徐々に小さくなっていく。


先程と同じだ、体を締めあげるような苦痛が全身に広がり、見えていたはずの光景が薄れていく。


康太は苦しみに声を上げようとしたが、声を上げることもできずにその苦しみを体感することしかできなかった。


視界が切り替わり、今度は木造の天井が見える。目の前には誰かがいる。こちらを覗き込んで何か言っているのだが、康太の耳には聞こえなかった。


視界がぼやけるせいで顔もはっきりしない。だがそれでも自分に対して何かを言っているのはわかる。


『・・・助け・・・いや・・・』


だがその声だけは聞こえた。目の前にいる誰かのものではない。女性のものだ。一体どこにいるのか。


自分の手を握る誰かの温度が伝わる。自分の体がどれだけ冷えていたかがわかるほどにその手は温かかった。


だが自分の体はどんどん冷えていく。どんどん重くなっていく。どんどん何かが無くなっていく。


そしてまた体が強い苦痛に襲われる。


寒い、苦しい、助けて。そんな声を聴きながら康太は心の底からこう思っていた。


死にたくない。


願ったところで、思ったところで何かが変わるわけもなく、先程までと同じように視界は暗転し再び視界は切り替わる。だが与えられる苦痛は同じ。聞こえる声は毎回違う。言葉も、性別も、年齢も、恐らくは人種や言語さえ異なっていただろう。


だが康太はその全てを理解することができていた。その言葉はすべて助けを求めるものだった。


苦しみから救ってほしいと嘆く声だった。助かりたいと願う切実な言葉だった。


『・・・誰か・・・助けて』            『・・・死にたくない』        『・・・お母さん・・・!』      『・・・た・・・頼む・・・』       『いやだ・・・いやだ・・・!』     『水・・・水を・・・』       『神様・・・!』     『苦しい・・・』  『あ・・・ああぁぁ・・・!』   『この子だけでも・・・!』  『何で俺だけ・・・』




中には殺してくれと願うものの声まで康太の耳には聞こえていた。声が変わる度に視界が変わり、また同じ苦痛を味わい、康太の耳と脳を直接冒すような時間が延々と続いていた。


一体いつまで続くのか、そもそもこれは何なのか。


精神を削り取るような時間、一体自分はどうなってしまったのか。強い苦痛を与えられ続けている康太には理解できなかった。


考えようとすると苦痛が邪魔をするのだ。聞こえてくる声が邪魔をするのだ。まるで死んだ人間が自分をも引きずり込もうとしているかのように、康太を同じ目に遭わせようとしているかのように。

















「ビー!ビー!しっかりしなさい!どうしたのよ!」


文は叫んでいた。小百合たちに状況を知らせようと康太よりも先に公民館に向かおうとし、その前に女性の状態を確認しようと振り返ったその時には康太はすでにその場に倒れていた。


苦しそうに呻き、何かつぶやきながら滝のような汗を流し続けている。その表情からして何か異常が起きていることは容易に想像できた。


「おい君たち、どうした?大丈夫か?」


一人の男性が魔力を放出しながら話しかけてきたことで文はその人物が魔術師であるという事を理解しすぐに康太の方を指さして助けを求めることにした。


「私と一緒に行動してたやつがいきなり倒れて・・・!とりあえずそこの公民館に運びましょう!」


「わかった。女性の方を頼めるかい?私はこの子を運ぼう」


「わかりました。まったくもう・・・!どうしたってのよ・・・!」


文は康太が背負っていた女性を運ぶべく自らの体に肉体強化を施し、しっかりと背負ってから移動を始める。


公民館の近くだったからよかったもののこれで公民館から大きく離れていたら魔術師からも見つからずに立ち往生してしまっていたかもしれない。


肉体強化を使えば康太とこの女性を同時に運ぶこともできないわけではないが、それはそれで目立ちすぎる。第三者からの介入がないとも限らないのだ。


「急患だ!近くで二人ほど倒れた被害者がいる!意識不明だ!」


「わかりました、奥へ・・・ってベルさん!?それにビーじゃないですか!」


通りがかりに指示を出していた真理が文と康太の顔を見て一瞬で顔を青ざめる。一体何があったのかと動揺しながら二人の下に駆け寄っていた。


「ジョアさん、この女性はだいぶまずいです、先にクラリスさんに」


「そ、それは構いませんが・・・ビーはどうしたんですか?なぜ気絶してるんです?誰かから攻撃を?」


「わかりません・・・ちょっと目を離したすきに気絶してて・・・でもどうやら百七十二号にやられてるっぽくて・・・」


文も康太の状況を正確に理解していないため、若干動揺しているという事を理解したのか真理は一呼吸おいてから冷静であろうと努めていた。


自分の方が経験も歳も上なのだ。文を心配させるわけにはいかない。文のいうように確かに康太の体からは僅かにではあるが黒い瘴気が湧き出ている。件の魔術に感染したのは間違いないだろう。


だが問題なのはなぜ急に意識が喪失したのかという点である。


周囲の被害者は少なくとも感染してすぐにはこれと言って特に問題はないように振る舞っている。生命力が限界まで削られない限りそこまでひどい状況にはならないはずだ。


文が一緒にいながらそこまで気付かなかったというのはあり得ない。何より康太だって魔術師だ、自分の体に魔術の術式が入り込む瞬間に気づかないはずがない。


分からないことは多い。なぜ倒れたのか理由はわからない。だがこういう時だからこそ落ち着かなければと穏やかな表情をして見せる。


「大丈夫ですベルさん、ビーは師匠に任せれば問題ありません。とりあえずすぐに奥に運びましょう。荷物などはそのあたりに置いておいてください」


文はとりあえず買ってきた食料を片隅に置くと倒れた女性と康太を奥の部屋へと運ぶ。


部屋の扉を開ける前からすでに黒い瘴気が文の目には見えていた。


「師匠!急患です!優先的に対処をお願いします!」


「またか・・・少し待て、今終わる・・・ってビーもか?まったく仕事を増やして・・・」


小百合は今対処している人物の術式を破壊し終えると、先に文の抱えていた女性に触れて術式を破壊し始めた。


数十秒して術式の破壊は終えたようだが一向に女性の顔色は良くならない。だが文と真理の目に見えていた黒い瘴気はすでにでなくなっていた。


「さっさと別室においてこい。点滴などの対処もしなければいけないだろう。で?こいつは何で意識がないんだ?」


一緒に行動していた文の方に視線を向けるが、文もその問いに満足に答えられるほど状況を理解できていないのだ。


「分からないんです。一緒に公民館に歩いてきて、ちょっと目を離したらこいつが倒れてて・・・感染したってのはわかるんですけど何でいきなり気を失ったのかさっぱりわからなくて・・・」


「ふむ・・・確かにしっかり術式は埋め込まれてるようだが・・・ん?なんだ・・・?なんて言っている・・・?」


小百合は先程から康太の口が僅かに動いていることに気付き、その口元に耳を近づけていく。


そして初めて康太が何かを言っているということに気付けた。その言葉を聞いて再度小百合は眉を顰め口元に手を当てて悩み始める。


「師匠、とりあえず早くビーの術式を破壊してあげてください。このままだといつ危険な状態になるか・・・」


「・・・いや、こいつはこのままにしておくぞ。そのあたりに転がしておけ。私は仕事に戻る」


「・・・え?!な、何でですか!」


康太のことを放置して他の被害者たちの対処に回り始めた小百合を見て文と真理は信じられないという表情をしていた。


今までひどい師匠だとは思っていたが弟子を見捨てる程に薄情だったとはと文に至っては軽蔑のまなざしすらしてしまっている。


「待ってください師匠!説明してください!どういうことですか!?」


「早く仕事に戻れ。もう少し落ち着いたら話してやる。幸いにしてちゃんと魔力の補給はしているようだ。放っておいても少しの間はもつだろう」


それが小百合の指導のたまものなのか、それとも康太自身の努力の結果なのか、意識を喪失してなお康太は減り続ける魔力を満たそうと弱弱しい供給口を使って魔力を補充し続けていた。


ただ魔力や生命力が無くなり続ける一般人と比較すれば康太の方が長くもつのは魔術師であれば誰が見ても分かるだろう。


だがだからと言ってこの状態で放置しておくのはさすがに許容できなかった。


「働ける人間を放置するだけの意味があるんですか?ビーを放置しておけばその分人手が無くなりますよ」


「なくなったところで今回こいつは肉体労働しかできん・・・それならこのままにしておいた方がまだ可能性がある」


「・・・可能性って・・・一体なんの可能性ですか・・・」


「この魔術の根本的な解決だ」


根本的な解決。


小百合はこの魔術に関わるために移動していた時、自分ではこの魔術の根本的な解決はできないと言っていた。


今さら持論を覆すのかと思ったが、ここで真理はその言葉の真意に気付く。


それは康太が魔術師になった時一緒にいた者だけが、そして智代たちの下に共に行ったものでしか理解しえない内容だった。だからこそ文はこの状況を理解できずにいる。


だが小百合と真理はその可能性に気付いた。誰もなしえない、成しえることができない康太だけができるかもしれない、その可能性に。


「・・・ビーならそれができると?」


「・・・あくまで可能性だがな・・・私には見えないものが・・・いやこの世界でこいつにしか見えないであろうものを、今こいつは見ている。それが何なのかはわからん。少なくとも見て面白いものではないだろう」


だが、と付け足して小百合は呻き、苦しそうに小さく言葉を紡いでいる康太の方を見てその頬に優しく触れる。


「こいつはそれを見る。きっと見つける。私はそう思った」


小百合の目は真剣だ。康太ならそれを見つける。それを成す。そう本気で信じているようだった。


その根拠を聞くまでもないだろう。真理は、そして文だって小百合がその根拠がどこから来ているのか予測できる。


だが真理はそれを聞かずにはいられなかった。


「・・・根拠は?」


「勘だ」


いつも通り過ぎるやり取りに真理はそれ以上何も言う気が無くなったのか大きくため息をついて康太を部屋の隅に横にし、その表情を見る。


苦悶の表情と共に、時折助けを乞い、どこかの誰かに懇願するような声を出している康太を見て真理は歯噛みする。


自分には今何もできない。康太のために、弟弟子のために何かをしてやることができない。その歯がゆさが真理の自責の念を強めていた。


真理は康太の額の汗をハンカチで拭うと小百合の方を睨む。


「もしビーに何かあれば・・・私は師匠を恨みますよ?」


「好きにしろ。そうはならん」


「それも勘ですか?」


「いや、私は・・・私たちはこいつをそんなに軟に鍛えたつもりはない」


私達。康太を鍛えたのは自分だけではないという事を小百合は重々承知している。


康太は良くも悪くも多くの人間に指導されてきた。小百合、真理、文、エアリス、奏、幸彦、智代。それこそ名だたる魔術師や同級生にさえ教えを乞いながら今の今まで成長してきた。


その過程を小百合は見ている。そして今この場にいた康太の姿を見ている。


だからこそその程度の事で康太がどうにかなるとは思えなかった。


「行きましょうベルさん、ビーがいない分しっかり働かなければいけません」


「え?本気ですかジョアさん!?このままにしておくなんて・・・!」


「師匠がそうする気がない以上これ以上言ったところで仕方がありません。人の動きが沈静化する夜になるまで、何とか持ちこたえるのが私たちの仕事です」


この百七十二号という魔術の利点は人の動きが活性化すればするほど、人が多ければ多い程被害を広げることができるという点だ。


日中であれば人の往来は激しく、それだけ魔術が感染する可能性が大きくなるが夜になり多くの人が自宅に戻る時間になれば感染自体は少なくなるだろう。


もちろんそれは同時に見逃しが多くなってしまうというデメリットを抱えているがこれ以上この場に感染者が連れてこられることはないという事も表している。


「でもこのまま夜になったら・・・」


「えぇ、その時のために病院にもすでに根回しはできています。特定の症状の患者は特定の病院に連れていかれるようになっています。術式自体の破壊は無理でも感染増加は防ぐことができるでしょう。」


すでに日が暮れ始めているという事で魔術師の数は増えている。何よりこの対処をしたのが魔術協会の日本支部としても初めてではないのだ。過去に数度、特に小百合たちの世代の魔術師はそれを経験している。


根回しの良さとその対処に関してはすでにマニュアル化してあるのだ。














「酷いものだな・・・暗さに紛れているのにここまで見えているとは・・・」


「こんだけ酷ければ被害も多そうっすね」


被害者たちが公民館に集まっている中、その影はその町に現れていた。


一人は女性だ。仮面をつけ闇に紛れるような形でこの辺りで一番高い建物のてっぺんに立ち周囲を見下ろしている。


そしてもう一人は男、女性に引き連れられるように不完全な仮面を身に着け周囲の様子を確認しながら集中していた。


その視線の先にはすでに日が落ちた町が広がっている。街灯が町を照らしている中で二人はその黒い瘴気をところどころに見つけることができていた。


それが今回の騒ぎの元凶であるという事を理解したうえで、女性の方は大きくため息をついて首を横に振る。


「これ以上被害を広げるわけにはいかんな・・・トゥトゥ、準備はいいな?」


「もちろんです。いつでも行けます」


その二人の人物とは文の師匠であるエアリスと、以前康太と戦い敗北した精霊術師トゥトゥエル・バーツこと倉敷和久だった。


短い集中と共に倉敷が精霊術を発動すると周囲に急に暗雲が立ち込め始める。


広がっていくその雲はどんどん広がっていき町一つを覆うほどになっていた。


術を発動しているのは倉敷だけではない。そばにいるエアリスも同時に魔術を発動することでこの状況を作り出していた。


そして重苦しい雲はやがて自重に耐えかねたように雫を地面に向けて落し始める。


町を覆う雲とそれによって引き起こされた雨。


この雨はこれ以上人を外に出さないための工作活動の一環だった。


いくら夏休みといえど夜、しかも雨が降っているとなれば外出する人間が少なくなるのは明白だ。今まで外にいた人間も、どこかしらの屋内に入らざるを得なくなる。


特に今日は雨の予報はなかった。昼間の空模様から察しても傘を持っている人間は数が限られたことだろう。


そんな中降ってきたこの雨、小雨というには明らかに強すぎる雨に晒されてずっと外で立ち尽くすような奇特な人間はごく少数だ。


そして幸か不幸か、そのごく少数の人間はこの町にはいなかったようだ。町を歩いていた人々は皆一様に建物の中に入ろうとし、街を歩く人間の数は先程に比べると大きく減っていた。


「これで対処もしやすくなるだろう・・・行くぞトゥトゥ。とりあえず公民館の方に被害者が集まっているんだったな?」


「そうみたいですね・・・これは外しておいた方がよさそうだ」


トゥトゥは町に降りることを察してつけていた不完全な仮面をとった。そしてエアリスもまた自らの顔を隠していた仮面をとる。


この雨には人々を建物の外に出にくくすることで感染を防ぐだけではなく、人々を特定の建物の中に入れてしまう事で対処を容易にするという目的があった。


こうすることでわざわざ町を探すのではなく、特定の建物だけを見張っていれば被害者を見つけられるようにしたのである。


もちろん家に帰ろうとしたり、仕方なしに歩いて向かうものもいる。だがそう言うものはこれだけ人の少ない状況ではよく目立つ。かえって被害者と見分けるのは苦労しなかった。


「この雨・・・どれくらいもちそうだ?」


「もうあとは維持するだけなんでそこまで苦労はしないっすよ。何より他の魔術師たちも意図を察して動いてくれてます」


この場に水属性を得意とする精霊術師と、エアリスという名の知れた魔術師が現れ雨を降らせたという事の意味をいち早く理解して魔術師たちはこの雨を少しでも長続きさせるべく、そして少しでも強くするべくそれぞれ魔術を発動していた。


術としてみるのであれば、ただ雨を降らせるだけの脆弱なものだっただろう。だが物は使いようだ。


人避けの魔術とは別の、人間の動きを意図的にコントロールするための魔術。今回二人が使った雨を降らす魔術にはそう言う意味があった。


そしてそれは非常に効果的だったと言えるだろう。なにせ周囲の人間は二人の思い通りに動いてくれているのだから。


「まずはクラリスたちと合流する。状況を正確に把握できているのはあいつくらいだろう・・・癪だがな・・・」


「本当に嫌いなんですね・・・前に聞いた通りです」


「こんな状況でもなければあいつと協力なんてするものか・・・可能なら会いたくもない・・・いや同じ空間に居る事さえ嫌だ」


エアリスと倉敷は自分たちに任された協会からの依頼が終わると同時にこの場所に駆けつけていた。


本来小百合のことが嫌いなはずのエアリスがここまで機敏な動きを見せたのは偏に今回のこの事件の重要性を正しく理解していたからに他ならない。


嫌いな人間と手を組んででも解決しなければいけない事件であると理解しているのだ。


幸いにして似たような考えを持っている魔術師は着実に集まってきている。


小百合の悪名と悪評を差し引いても、この事件は解決しなければならない。この町の周囲に集まりつつある魔術師は皆同じような考えの下動いているのだ。


それだけこの封印指定百七十二号が危険かつ厄介なものであるという事である。


「にしてもこれだけの数・・・さすがに隠すのが大変そうですね・・・」


「そうだな・・・まぁ数日は対処に追われることになるだろうが、隠すこと自体はそこまで難しくはないだろう。大勢の魔術師の協力が必要だがな」


そう言いながらエアリスは倉敷を引き連れて小百合たちのいる公民館を目指す。到着して数十秒後に言い争いを始めるのは誰が見ても明らかな事実だった。














「どういうことだ!いったい何を考えている!?」


エアリスが小百合たちがいる公民館に到着し状況を把握するまで時間はそうかからなかった。


数分程度でほとんどの事情を把握したエアリスは対処をし続けている小百合に食って掛かっていた。


もちろん理由もなく現在進行形で働いている小百合に文句を言うほどエアリスは状況が読めないわけではない。彼女が激昂している最大の理由は部屋の隅に転がされている康太が原因だった。


苦悶の表情をし、今もなお助けを求める言葉を漏らしながら恐らく嘔吐したのだろう、衣服が若干汚れてしまっている。


今はすでに服を脱がせ軽く体を拭かれているがそれ以上の事はされずに放置されているままだった。


エアリスから見て康太の様子が異常であるという事はすぐに理解できた。魔術が体に宿っていることもすぐに把握できたが、理解できないのは小百合がなぜそれを放置しているのかという事だった。


「いちいち大きな声を出さなくても聞こえている・・・今忙しいから後にしろ」


「あとにしろだと・・・!?自分の弟子が苦しんでいるというのに放置する奴がいるか!お前はそれでもこの子の師匠か!?」


「私の弟子だからこそ放置している。あいつをなめるな、あの程度でくたばるほど軟ではない」


「この・・・!」


いつまで経っても自分の方を見ない、それどころか康太の方さえも見ない小百合に苛立ちが頂点に達したのか、エアリスは小百合の胸ぐらをつかんで強制的にその視線を動かす。


「あれを見ろ!あれを見てもまだ放置するのか!?あんなにも苦しんでいるというのに!?」


康太がただの小百合の弟子であるというのならエアリスもここまで激昂することもなかっただろう。だが康太は半年近くエアリスの下で魔術の指導を受けている。自らの弟子にしてもいいと思うほどの人材だ。その人柄も知っているし一人の人間として好意的に見ている。それをあそこまでないがしろにされて何も感じないほどエアリスは薄情ではなかった。


「苦しんではいるだろう。だが周りの人間と明らかに症状が違うことに気付かないのか?そこまで耄碌したか?」


「そんなことは気づいている!あの子だけ魔力も生命力もあるのにもかかわらず意識がない。だが時折助けを求める声まで出しているじゃないか!あの魔術が変異してあの子に襲い掛かった、そう考えることもできないのかお前は!?」


エアリスの言葉になるほど確かにあり得ないことではないなと小百合はため息を吐きながら自分の胸ぐらをつかんでいたエアリスの手を振り払う。


周囲の魔術師たちは一体なんだと二人の方に不安そうな視線を向け始めていた。


ただでさえ腫れもの扱いされている小百合に対して堂々と不満や不平を言ってのけるエアリス、この二人の関係を測りかねているのだ。


だからこそ誰も何も言えない。誰もこの二人の間に介入することができなかった。


「確かに、あいつが助けを求めたのなら助けてやるのも吝かではない。一応私はあいつの師匠だしな」


「なら今すぐにでも」


「だが、今あいつの口から漏れ出しているのはあいつの言葉じゃない。あいつ自身が放った言葉じゃない」


康太自身が出しているのにもかかわらず康太の言葉ではない。その言葉の意味を測りかねているのかエアリスは怪訝な表情をする。


一体何を言っているのか、理解できない苛立ちだけが募る中説明しなければこいつは延々と声を張り上げるだろうなと小百合はため息をついて声を小さくしエアリスにしか聞こえないようにする。


「あいつの口調、先程から十数秒ペースで変わっている。大人、子供、男、女、老人、老婆様々だがその中で共通しているのは助けを乞い、なおかつ消え入りそうなほど弱弱しいものだ・・・そして今あいつは何かを見ている」


「・・・何か?一体何を?何の根拠があって?」


「何を見ているのかはわからん。だが今までもあったことだ。他の周りの人間に見えず、こいつにだけ見えるもの・・・私はそこにこの魔術の解決の可能性を感じている」


この魔術の解決。その言葉にエアリスは目を丸くした。


今まで多くの魔術師がこの魔術を解析しその原因を掴もうとしたのにもかかわらずその全貌すら明らかにされなかったのだ。


分かっているのはこの魔術がどのような被害をもたらし、どのような効果を持っているかだけ。操ることも消すこともできないこの魔術の解決は小百合の師匠でもある智代でさえできなかったことだ。


だがその解決の糸口を今、未熟なこの少年が握っている。その事実に驚きが隠せなかったのだ。


そして小百合の言葉を疑い、その考えを疑いその内容を疑い康太の方に視線を向けて目を細める。


「そこまで言うからには確証があるんだろうな?」


「確証と私の勘は半分半分といったところか・・・詳しい話は落ち着いてからジョアやベルたちがいる時にする。今は黙って働け」


時間がないこの状況で悠長に話をしている時間はないと小百合はそのまま再び被害者たちの対処へと回っていた。


運ばれてくる人数は徐々に少なくなりつつある。そして部屋いっぱいにいたはずの被害者の数は深夜に近づくにつれ少なくなっていき、日付が変わるころには康太以外いなくなっていた。


あけましておめでとうございます


年始+お年玉みたいなもので五回分投稿


これからもお楽しみいただければ幸いです

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