文と奏
『それで?まさかそれだけのために電話してきたわけではないだろう?』
「あ・・・最初はそのつもりだったんですけど・・・もう一個用件ができまして。前に話したライリーベルのこと覚えてますか?」
『あぁ、お前と同盟を組んでいる魔術師の名だったか?確かかなり優秀だとか?』
「はい、そいつが奏さんに会いたいと言ってまして・・・まぁ俺から誘ったんですけど」
康太がそう言うと近くにいる文はじっとこちらを見ている。仮面を外し魔術装束をすでに片付け、素顔が見えている状態で康太の言葉一つ一つを確認しているようだった。
余計なことを言わないようにしているのだろう。
だが彼女にとって余計な事、つまりは康太が抱いている彼女自身の評価に関してはすでにダダ漏れだ。向こうの声を聞こえないようにして正解だったかもしれない。
『ほう・・・なるほどな・・・挨拶をしたいというわけか』
「そんなに堅苦しいものじゃないと思いますけど・・・今度の訓練の時に連れていこうと思うんですけど、構いませんか?」
『あぁ構わんぞ。こちらもいろいろと用意しておこう。ところでそいつは何を目的に来るんだ?それによってやることが変わるが』
奏の言葉を聞いてそう言えば何を目的にするだろうかと疑問を持ち、康太は電話の向こう側の奏に少し待ってくださいと言って携帯から口を離す。
「なぁ文、お前奏さんに会ってどうするんだ?」
「どうするって・・・どういう事?」
「いや、会うにしろ何かしら目的はあるわけだろ?その目的は何だって話だ」
「あぁそう言う事?私としてはいろいろと昔の経験談とか私の知らない魔術の話とかしてみたいわ。正直勉強しに行くって感じね」
「ふぅん・・・了解・・・あ、もしもしお待たせしました。なんでも勉強しに行くつもりらしいです。いろいろと教えてほしいことがあるそうで」
『ほうほう・・・なるほどなるほど・・・わかった。私の方もそのつもりで準備しておこう。そのライリーベルは今そこにいるんだな?』
「はい、いますけど」
『なら少し代われ。話がしたい』
奏の思わぬ要求に康太は携帯から耳を話して文の方を向く。そして今度は何を聞かれるのだろうかと文はけげんな表情をしていた。
「サリーさん。話してみたいんだと」
「私に?わかったわ・・・ちょっと緊張するわね」
康太から大まかな性格を聞いているだけに一つ対応を間違えば大変なことになるだろうとにらんでいた。
ここは慎重に言葉を選ばなければならないだろうと文は康太から携帯を受け取って深く深呼吸をする。
「もしもし・・・初めまして、ライリーベルです」
『初めましてライリーベル。私の事はそこのビーから聞いているな?魔術師のサリエラ・ディコルだ。君の事はそこのビーからよく聞いている。優秀な魔術師だそうだな?』
「い、いえ・・・私なんてまだまだ未熟者です。ですので是非サリエラさんのお話を窺えればと」
声が裏返っていないだろうかと文は心配になりながら携帯の向こう側から聞こえる声を慎重に聞いていた。
凛とした声だ。今のところ声に怒気などは含まれていない。こちらに敵意は向けられていないと思いたい。もし機嫌でも損ねたら康太たちに迷惑をかけることになるだろう。それは可能な限り避けたかった。
『それは構わない。こちらもどうやらビーが良く世話になっているようだからな。未熟者ではあるがどうかこれからもビーをよろしく頼む。不出来な弟弟子の弟子ということでこちらもいろいろと苦労していてな』
「は・・・はぁ・・・それは問題ありません。ビーの事はそれなりに信頼してますから。これからも同盟を組んでいこうと思ってます」
『そう聞いて安心したよ。今度の日曜日、ビーと一緒に来なさい。案内はビーがしてくれるだろう。私もそこまで人にものを教えるのはうまい方ではないが、そのあたりは我慢してくれ』
「いえそんな、指導していただけるだけでありがたいです。よろしくお願いします」
文は携帯の向こう側にいる奏に頭を下げる。実際にその場にいないのにもかかわらずつい頭を下げてしまうような独特の威圧感。決してこちらを威圧したいわけではないだろうに自然と平伏してしまう。
不思議なカリスマが彼女にはあるのだなと思いながら文は僅かに冷や汗をかいていた。
『じゃあ携帯をビーに返してやってくれるか?まだあいつにも言いたいことがあってな』
「はい分かりました。それでは失礼します」
文はそう言って携帯を康太に返すと同時に大きく息を吐いていた。今までの緊張がどっと押し寄せてきたのだろう。その顔からは汗が滲み出ている。恐らくあの汗はこの場所が暑いからというだけが理由ではないだろう。
「もしもし、どうでしたか?」
『良くも悪くも常識にとらわれやすいタイプと見た。学校の成績も、恐らく魔術の素質や血統もいいタイプだろう。所謂エリートというやつだな。だが決してそれを鼻にかけない。鍛えればいい魔術師になるだろう』
「・・・すごいですね・・・それ今の会話で?」
『長いこと人を見ているとこういう事も分かるようになる。私の気に障らないように一つ一つの言葉を選んでいるかのようだったな。なかなかに面白そうな子だ』
実はどこかで文の事を聞いているのではないだろうかと思えるほどの評価に康太は眉を顰めながら奏は絶対に敵に回さないようにしようと心に誓う。彼女が敵になったら生き残れる気がしなかった。
「それじゃ失礼します。また今度の日曜日に」
康太はそう言って通話を切ると先程の文と同じように大きく息を吐く。両名共に別の意味で緊張したのだろうか、その体からは汗が滲み出ている。
「なによ康太、すごくいい人そうじゃない。ちょっと威圧感あったけどそれ以外は常識人っぽかったわよ?」
「・・・あれを常識人と言えるお前は大したもんだよ・・・少なくともあの人を常識人のカテゴリーには入れたくないな俺は」
康太と文とで完全に対応を切り替えていた奏に、文はまんまと騙されている。もちろん奏も意図して騙そうとしたわけでもなければ、だまして何か得をするというわけでもない。
ただ康太のためを思って同盟相手に礼儀正しくしただけの事なのだ。
だが康太に言った言葉と文に言った言葉では奏の印象を変えるには十分すぎる差があった。この二人のこの反応は非常に適切な違いだと言えるだろう。
「少なくとも私は小百合さんよりは真理さんよりの人種だと見たわ。あんた人を見る目ないんじゃない?」
「ほっほう?そこまで言うか。お前もあの人に実際会ってみればわかるさ。まぁお前の前では真面目な対応するかもしれないけどそれでもあの人の凄さの片鱗くらいはわかるだろ」
「そんなにすごい人なの?確かに話してるだけで圧迫感は凄かったけど・・・そこまで言うだけの何かがあるわけ?」
「なにかっていうか存在そのものがすごいって感じ。どこかがすごいんじゃなくて全部すごいって感じ。まぁ今度の日曜日を楽しみにしておけって」
今度の日曜日に文は奏と会うことになるだろう。奏がどのような準備をしているのかもわからないしどんな方法で文になにを教えるのかもわからないためどのような結果になるかを判断することもできないが、それでもこれだけは確信をもって言える。
文は奏に対する評価を改めるだろうという事だ。
少なくとも彼女は常識人とは程遠い。知識人であり、なおかつ常識を理解している人種だというのはわかる。だが彼女は常識を理解しながらそれを無視するタイプの人間だ。むしろ常識を理解してそれを利用してとんでもない行動をとる人間だ。
正直小百合よりも性質が悪いかもしれない。ほぼ週一で彼女に鍛えられている康太はそう感じていた。
そしてそれは大まかながら間違っていない。
彼女のことを知る人物は皆総じて似たような評価をしているのだ。康太の感性は他人と大きくずれているというわけではない。それどころか比較的一般的な考え方ができるタイプだ。
康太がそのように判断したのなら間違ってはいないのだろう。文だって康太の観察眼がそこまで間違っているとも思えない。もっとも一般的な物事に関しての話だが。
だが自分の今までの価値観や観察眼だってバカにできるものではない。多くの人と出会い、自分なりに公平に判断をしてきた自分自身の観察眼と判断能力はそれなり以上に信頼している。
その為今回ばかりは康太の意見よりも自分の考えを優先するに至ったのだ。もちろんまだ判断材料が少ないのは否めないが先程の会話と、先の康太の装備に話を聞く限り思いやりのある人物であると判断するに十分事足りる。
もちろんそれも間違いではない。だがその事実が文の目を曇らせているのも事実だった。
「あんたがそこまで言うってことはそれなりに自信があるってわけね・・・まぁあんたの方が付き合いが長いのは認めるけど・・・普通にいい人だとも思うわよ?」
「それは・・・まぁそうだろうけど・・・いろいろ教えてもらってるし、何よりいろいろお世話になってるし・・・」
「もしかして実際えげつないのはさっき会ったバズって人の方なんじゃないの?あんたが知らないだけで」
「いやそれはない。それだけは絶対にない。あの二人じゃ上下関係はっきりしすぎてるもんよ」
奏と幸彦。どちらがより上位に立っているかと聞かれれば康太はまず間違いなく奏と答える。そして当の本人たちも同様だろう。
そして第三者の目から見ても奏と幸彦、どちらがえげつないかと聞かれれば間違いなく奏の名前を挙げる。恐らくだがこれも本人たちも同様だ。
奏は良くも悪くもそういった第三者の評価を自覚したうえで行動している節がある。
そこがまた性質の悪いところなのだ。
「ちなみにさっき会った人ってえげつなくない方の人よね?どんな人なの?そっちの方はあまり詳しく聞いてないんだけど」
「あぁバズ・・・幸彦さん?あの人はいい人だぞ?なんていうか・・・そうだな、分かりやすく言えば苦労人ってところかな」
「・・・あぁなるほどね、納得したわ」
聞けばよくも悪くも個性の強い兄弟子と弟弟子に囲まれ、さらには相当強力な力を持った師匠までいる。そんな人物ともなれば苦労人になってしまうのも仕方のないことだろう。
しかも今回康太ともかかわりを持ってしまった。恐らく悩みの種が増えたことは言うまでもない。
「小百合さんの兄弟子ってだけで結構変な人って印象があるけどね・・・まぁそう言う意味ではあの人はかわいそうな部類なのかな」
「なんかそれだと師匠の弟子の俺たちまで変な人みたいじゃね?」
「間違ってはいないでしょ?基本あんた変なやつだし」
「何を失敬な。こんな平平凡凡な人間を前に」
あんたが平平凡凡だったら世の中のほとんどの人間が変な人になるわよといいかけて文はその言葉をつぐむ。
康太はまだ自覚がないのだ。自分が一般人のそれから徐々に離れつつあるという事を。
康太と文が奏との約束を取り付けて数日後。約束の日曜日に康太と文は魔術師としての道具一式をもって移動していた。
目的地は言うまでもなく奏のいる会社のビルの最上階。数えられる程度しかまだこの建物には行っていないが、それでも道順を覚えるには十分な回数だった。
魔術協会を経由して最寄りの教会へ向かい、そこから電車を使って移動すること数十分。実際に電車を使って移動するよりはずっと早く到着すると文は目の前にそびえたつ建物を見て眉をひそめていた。
「・・・ねぇ康太・・・この建物に間違いないの?」
「そうだよ。まぁ最初はそう言う反応になるわな・・・さっさと行くぞ。あの人を待たせるわけにはいかないからな」
一度小百合の店に行き、小百合にも奏の所に行くと告げた時『まぁ頑張れ』と珍しくも小百合の激励の言葉を受けた文だった。その際もかなり驚いたものだが今この場においても、件の魔術師、小百合の兄弟子である魔術師がいるというこの建物を見てそれ以上の驚愕を浮かべてしまっている。
周りにある高層ビル。それと比べても全く遜色のない、それどころか勝るとも劣らないだけの建物を前にして文はかなり戸惑っていた。
「八篠康太と言います。草野奏さんとお会いする約束をしているのですが」
「八篠康太様ですね、少々お待ちください」
受付で手慣れた様子で奏の待つ最上階へ向かう許可を貰おうとしていると一緒についてきた文はビルのロビーの中をきょろきょろと見渡している。
こういった建物は珍しいのだろうか。だが康太だって初めてここに来た時は似たような対応をしていた。この反応も仕方のないことだろう。
「お待たせしました。こちらをお付けください。案内は必要でしょうか?」
「いいえ、必要ありません。ありがとうございます」
受付の人物も康太がやってきたのが一度ではないことから随分と手慣れてしまっている。さすがに顔パスで通すほど雑な仕事はしないがそれでもある程度の融通は利かせてくれている。
さすがは奏の会社の人材といったところか。そのあたりの教育は行き届いているようだった。
「ほら文、行くぞ」
「あ、ちょっと待ってよ」
康太がエレベーターを使って最上階まで向かおうとする中文はその後ろについていく。こんな所で康太とはぐれたらどこに行けばいいのかわかったものではない。絶対にはなれないようにいつも以上に康太の近くに寄りそいながら行動していた。
「ていうかどこまで行くわけ?その人ってここに住んでるの?今日日曜日でしょ?」
「あー・・・そういや説明してなかったっけ。ここの社長なんだよ、あの人」
「え・・・?マジ?」
「マジマジ。俺も最初吃驚した」
康太が手慣れた様子でエレベーターにカードを通して最上階までのボタンを押すとエレベーターは指示に従って上昇を始めた。
こんな高いビルの最上階にその人物はいる。文はその意味を何とはなしに理解していた。
偉い人というのは高いところが好き。それは今まで上り詰めた自分の立場を物理的に体感したいからである。
バカと煙はなどという言葉もあるが、えらい人物というのは総じて高いところに位置する者だ。もちろん例外もあるが奏の場合はその例外には入らないらしい。
「ていうかこの会社ってさ・・・何してる会社なの?この建物丸々この会社の持ち物?」
「さぁ?詳しいことは何も知らん。ぶっちゃけ何してるのかもどんなことしてるのかもわからん。ていうかもう考えること止めた。それにまぁ気にする必要ないだろ。俺らここに来てるのはあの人がいるからなんだし」
この場所がどんなところだろうと、この場所にどんな意味があろうと、ここに奏がいるから来ている。本当にただそれだけなのだ。
それ以外にこの場所に来る意味はなく、自分にそこまで関わりがあるとも思えない。
たとえこの辺りの人間が羨望のまなざしでこの建物を見つめようと、憎しみを込めた瞳で見上げようと、康太たちはここにいる奏に会いに来ているだけなのだ。全く無関係である以上気にすることはない。
もっともこの会社の長である奏と関わっている時点で無関係とは口が裂けても言えないような状況であることに変わりはないが。
最上階に到着すると同時に文は近くの窓に駆け寄り自分たちが今どれ程の高さにいるのかを確認しようとしていた。
別に高いところが怖いとかそう言う事ではないにせよ、今自分がどれほどの高さにいるのかを実感した途端にめまいがしていた。
人がまるで点のように小さく、走る車はおもちゃのよう、建物が皆下にあり少し上には雲がある。
高い場所にやってきたという実感がそうさせるのかはわからないが、少なくとも普段に比べてテンションがおかしなことになっていることには変わりない。
なにせこれだけの高さに立つのは初めてなのだ。今まで一番高いところと言えば校舎の屋上くらい。とてつもなく小さなころ、それこそ小学校の低学年の頃にどこか高い塔に登った記憶がおぼろげにあるがその時の記憶など曖昧なものだ。
今目の前に広がっている高さに比べるとかすんでしまう。
「高さに目がくらんだか?」
「いや・・・くらんだっていうより・・・ちょっとびっくりしてるだけ」
「ここからの朝日はすごくきれいだぞ。夏休みだから泊まりで合宿するのもいいかもな・・・まぁ奏さん次第だけども」
そう言いながら康太はエレベータールームから奥の部屋へと向かおうとする。文もはぐれないようにその後についていくと鼻にコーヒー独特の芳ばしい香りが届いた。
誤字報告五件分、ブックマーク件数1100件になったのでお祝いで合計三回分投稿
これからもお楽しみいただければ幸いです




