各自の目標
夏休みが始まって数日。うだるような暑さと蝉の声、そして日差しが降り注ぐ中康太は地面を蹴っていた。
その場所は康太が住んでいる町から少し離れたところにある運動を目的とした競技場。そこには康太だけではなく多くの少年少女の姿があった。
そう、今日は康太が所属する陸上部の大会が行われているのだ。
まだウォーミングアップだというのに康太の体は汗にまみれている。軽く体を動かしただけでこの様だ。実際に本気で走ったら恐らく体の穴という穴から汗が噴き出る事だろう。
夏が暑いのは当たり前。陸上用のスポーツウェアを着ているとはいえ暑いことには変わりない。
更に運動していればその暑さもさらに加速するというものである。
ウォーミングアップを終えた康太は自分の体の調子を確認しながら最後の準備運動を始める。
もうすぐ自分の計測の番という事もあって、特に念入りに体をほぐしていた。
それほど緊張はしていない。自分の記録などあってないようなものであるという半ばあきらめに近い境地からか、康太は妙に落ち着いていた。
リラックスできているかと聞かれると微妙なところだったが、本気で真剣に取り組んでいないからこそ今の康太は自然体でいられた。
どんな結果であろうと理解も納得もできるだけの状態なのだ。
魔術師として活動するときの感覚とは違う。どこかずれているような違和感。自分がここにいることが何か間違っているのではないかという奇妙な錯覚。まるで自分を第三者視点で眺めているようだった。
今こうしてこの場に立っていることが自分自身の事なのに他人事のような気がしてならない。
もちろんそんなことはない。康太の見えている光景は、間違いなく康太自身の目で見ている光景だ。そんな錯覚はあり得ない。
もしあり得たとしたら、それは康太が魔術師としてまた一歩一般人から遠ざかったという事だろう。
係員が康太たちに声をかけ、準備をし、今まさに飛び出そうという瞬間にも康太は冷静だった。
陸上競技でよく使われるピストルの空砲が耳に届くと同時に康太は全力で足を動かし前へと走り出す。
途中にあるハードルをギリギリのところで飛び越えながらとにかく前へ、少しでも速く前へ。
それは日常的に行っていた魔術の訓練のそれと少しだけ似ていた。相手が魔術を使ってきて、それをかいくぐりながら接近する。
障害物競争、所謂ハードル走の中で康太は足を動かし走り跳び、一定の距離を走りきったところでゴールしていた。
その結果は三位。六人同時に走った中での三位という事はギリギリ半分よりは上の実力だったという事だろう。
走力というのは単純な強さではなく、どれだけ身を削れるかというところで結果が明確に分かれる。
より軽く、より速く走れるように、まるで草食動物のそれの様に自らの体の無駄を省いていく必要がある。
今の康太は草食動物のそれと同時に、肉食獣としての性質も持ち合わせたいわば雑食型。それで一位が取れるはずがない。
この結果は納得できるものだった。悔しいとも思えなかった。なにせ康太はこの陸上競技に全力を注いでいなかったのだから。
もちろん手加減などしていない。本気で走った。そこに嘘はない。
だが陸上競技は走るまでに結果がほとんど決まると言っても過言ではない。特に本気で取り組んでいる人間は体作りからして違うのだ。
康太は陸上競技に本気になれない。食事制限や管理をしてまで本気になれない。だから一位を取れない。それはわかっていたことだ。
もしここで自分が肉体強化を使ったらどうなるだろうか。
そんなあり得そうであり得ない想像をしたところで、康太は大きく深呼吸して酷使した体に酸素を送り込んでいた。
「三位だったな、よくやった。十分すぎる」
「ありがとうございます・・・でもまぁ・・・せめて二位にはなりたかったです」
「いやいや、フォームは綺麗だったし非の打ちどころはない。あれは相手を褒めるしかないだろ」
近くで見ていた先輩にそう言われながら康太は苦笑する。実際康太の走る姿は綺麗だった。動きに無駄がないと言えばいいのだろうか、効率よく障害物を飛び越えていく動きに非常になれていた。
普段の魔術の訓練でやっている動きを陸上用に少しだけ改良したものだが、普段から動いているだけあって体はしっかりと動いてくれた。
日々の努力という意味では他の人間とそう違いはない。だがその努力は運動面だけだ。運動とは違うところで努力している人間には敵わないという事だ。
「記録だけ見てみると結構いいタイムでてるぞ。こりゃ余計な肉落せばもっといいタイムでるぞ」
「かもしれないですね。とりあえずクールダウンしてきます」
いいタイムが出るかもしれない。確かにその通りかもしれない。だが康太はそうするつもりはない。
これが魔術師としてみる一般人の光景なのかと思いながら康太はストレッチをしながらクールダウンを始めていた。
「おーっす・・・一年の中でトップとった人数ゼロだってよ。最高でも二位だそうだ」
「あー・・・まぁそんなもんだろ。実際俺なんて三位だし」
「一位とかはほとんど上級生だね。やっぱ身体能力の差は大きいなぁ」
一通り競技が終了したところで康太はクールダウンをしながら青山と島村と一緒に話をしていた。
今日の結果の如何によっては今後の練習の内容を変えたりする者もいるだろうが、幸いにして康太はそれなりにいい成績を取れた。これからも練習内容を変える必要性はないだろう。
「まぁ一年生の時点でこれだけできれば十分なんじゃない?俺なんかはちょっと物足りない感じがあるけど」
「それな、あともう少し・・・せめてあとコンマ数秒いい結果ならまた変わるんだろうけどな」
「そのコンマ数秒を埋めるのが大変なんだよな。島村なんかは長距離だろ?中学の時に比べると何秒縮まった?」
「十五秒くらいだよ。まぁなかなかいい結果だよね。それでも集団の中では四位だったけど」
「でも十五秒って結構だぜ?一度でいいから言ってみたいよな、何十秒縮まったとか」
「俺らの場合それくらい縮まるのはあり得ないけどな」
走る系の競技において短縮できる秒数は距離が長ければ長いほど多くなる。逆に言えば短ければ短いほど少なくなってしまう。
康太や青山のような短距離、中距離においては基本的に数十秒単位での短縮はほぼあり得ない。
それこそ劇的な変化でもない限りは基本的にじわじわとしか記録は上がらない。中学最後の大会から約半年以上。十五秒という数字は島村の中ではそれなり以上の結果だったという事だろう。
「この大会終わったら次っていつだっけ?俺は九月に長距離走の大会あるけど・・・二人はどうだろ・・・短距離走だと十月とかかな?」
陸上競技というのは大きく分けていくつかの項目に分かれており、常に毎回同じ時期に大会をやるわけではない。
今回のように大きな大会であればそれなりに大きな競技場を借りて大々的に行えるのだが、大抵は各種目ごとに分かれてやるのだ。
短距離だけとかあるいは障害物のみとか。長距離から短距離まですべて含めてやるという事は基本的には行われない。
「俺らはそれまでのんびり体作りだな。たぶん・・・っていうか間違いなく今回とほとんど結果変わらないだろうけど」
「まぁね。一ヶ月二ヶ月くらいじゃ体についた肉は落ちないし・・・何よりせっかくついた筋肉を落すのももったいないしね」
本当に全力で陸上を嗜むものならばその体についた余分な肉を徹底的にこそぎ落とす作業に入るのだろうが、康太たちはそこまで真摯に陸上に情熱を注いでいない。
走ることや自己研鑽が好きなだけであって速く走ることにそれほどの意義を見出せないと言ってもいい。本当に速く走りたいなら自転車にでも乗ればいいのだと思ってしまうタイプの人間だ。本末転倒ここに極まれる。
「でも一度さ、体力テストとかでやるような走り幅跳びとかやりたいよな。今だったらいい結果出せそうな気がする」
「あぁそう言えば八篠は妙に跳んだり跳ねたりするもんね。そう言う動き好きなの?」
「好きっていうか・・・まぁよくやるっていうか」
康太の場合その魔術の性質から跳躍をよく使う。そのせいか康太はハードル走でもそれなり以上の成績を残すことができていた。
普段から使っている動きというのは良くも悪くも鍛えられるという事だ。走る、跳ぶ。この二つに関しては陸上に大いに活用できる。
もっとも槍投げに関してはまだまだ発展途上。はっきり言って付け焼刃に近く散々な結果だったのは言うまでもない。
「まぁ確かにこうしてみててやってみたい競技って結構あるよな。長距離はやる気起きないけど」
「確かにな。砲丸投げとか円盤投げとか・・・あと棒高跳びとかやってみたいよな。長距離はやる気にならないけど」
「二人とも長距離に対してうらみでもあるわけ?やってみると結構楽しいよ?」
島村の言葉に康太と青山はいやいやそんなことないってと否定してみせる。恨みがある方に対してなのか、楽しいと言っていたことに対しての否定なのかはさておき二人は長距離という競技をやろうとは思えないらしい。
「あんだけ苦しそうにしてて何度も何度も走ろうとは思えないしな。何より膝への負担半端なさそうだし」
「あぁ確かに。ずっと走りっぱなしって結構きついからな。膝もそうだけど内股が擦れていたそう」
「そのあたりはフォームを変えたりして直していくんだよ。少なくとも二人が今やってるような走り方ではないだろうね」
人間の走り方というのは走行距離によって大きく変わる。短距離であれば体力のことなど考えない全力疾走。長距離ならばある程度残存体力と残り走行距離を考慮した加減した走り。
どちらの走りも間違ってはいないがその走り方によってそのフォームなども全て変わってきてしまうのだ。
今の二人のフォームでは長距離を走ることは難しい。そう言う意味もあって二人は長距離を走る気がないのだ。
ただ単に疲れすぎるのが嫌というのも否定しきれないが。
康太の陸上の大会が無事終わり、真理の大学のテストも佳境に入った頃、康太は文と共に魔術協会の日本支部に足を運んでいた。
目的は小百合とエアリスのお使いである。
小百合は今回の夏休みにおいて自由に動ける日数をある程度記載し、また現在行っている仕事内容を記載したものを支部長への提出を求められていた。
エアリスはそれに加えて魔導書に関しての書類を提出することを求められているらしい。二人とも時間がないという事で、小百合に関してはいきたくないという事で康太と文が二人で魔術協会に足を運んだのである。
「それにしても・・・やっぱり忙しそうね・・・」
「だな・・・前に来た時に比べると随分と人が多いし・・・妙に騒がしい」
以前康太がゴーレムと戦った門の近くのエントランスには多くの魔術師たちがごった返していた。
話し合ったり何やら打ち合わせのような事をしていたりと、まるでどこかの役場のような印象を受ける。
以前来た時のような静けさとは無縁のように思える状況だった。
「協会が忙しくなるとこういうことになるんだな・・・やっぱどこ行ってもそこにいるのは人間ってことなんだな」
「そりゃそうよ。どんな組織だろうと忙しくなったら人間やることは同じ。っていうかこの場合忙しくしてるのは休暇になる魔術師とそれに対応する協会専属魔術師たちばっかりだけどね」
私達は何も関係ないから涼しい顔してられるわと言いながら文は受付に歩いていき、今回の目的である書類の提出のための手続きを始めた。
支部長に直接会うまでもないが、小百合とエアリスからは直接会って渡すように言われている。こればかりは師匠の命令なのだから従うほかない。
受付の人間も二人がもっているのが『デブリス・クラリス』と『エアリス・ロゥ』に関係する書類であるという事を理解しているためか必要以上に干渉してこようとはしなかった。
こういう時に誰の弟子であるか知れ渡っているのは楽である。
康太の場合妙に見られているのは小百合が師匠だからだというのもあるのだろうが、康太と一緒に文がいるというのも理由の一つかもしれない。
良くも悪くも康太と文はセットで動いていることが多い。その為康太と文、つまり『ブライトビー』と『ライリーベル』が一緒に動いているということそのものが目を引くのだ。
なにせ二人は短時間の間に魔術協会内部にある掲示板に載るレベルの事件を二つ解決している。
しかも二人の師匠はいい意味でも悪い意味でも名が売れている。これだけ目立つ要素があって話題にならない方がおかしいだろう。
「支部長は今お仕事中ですが・・・一応話を通しておきます。少し位ならお時間をいただけるでしょう」
「ありがとうございます。ビー、行くわよ」
「オッケー。ありがとうございました」
康太と文は受付を離れて支部長室へと向かっていった。本来なら仕事中だったらまず間違いなく取り次いでくれなかっただろうが、そのあたりは二人の師匠の知名度のおかげで何とかなったというべきだろう。
小百合の場合は悪評が強すぎるという印象が無きにしも非ずだが、それだってこうやって役に立っているのだ。ないよりはずっとましだろう。
「そういやさ、魔術協会の中にも魔導書の保管庫ってあるんだろ?」
「なによ藪から棒に。そりゃあるわよ?なんで?」
「魔術師としての特権を活かそうと思ってさ。閲覧できるんだろ?」
「そりゃ見れるけど・・・あんたまだ読めないでしょ?」
康太は未だ魔術師としての視覚に目覚めていない。その為魔導書などを見てもそこに書いてあるのがただの本に見えてしまうのだ。
魔術師としての五感に目覚めた魔術師ならば魔導書は術式の記された伝達用の特殊な書物だが、康太のような半人前ではただの紙の束でしかない。
「いやそのあたりはほら、ベルさんに何とかしてもらおうかと」
「なに?私に読めっての?」
「頼むよ、他に頼めそうな人なんていないしさ。いくつか見ておきたい魔術があるんだって」
「普通に師匠のところで見ればよかったのに・・・」
「いやあそこにいる時って属性魔術の練習ばっかしてるからさ・・・なんというかタイミングがなくてな・・・」
エアリスの所にも大量の魔導書が保管してある。だが康太がエアリスの所に足を運んでいるのはあくまで修業の為なのだ。
必要な魔術を修得するというのももちろん修業の一つだろうが、康太の場合はまだまだやらなければならないことが山ほどある。
彼女の下でそのような時間の無駄はしたくない。そう考えると必然的に今日のようなお使いに来ているときくらいしか魔導書を見る機会はないのだ。
「・・・はぁ・・・わかったわよ。でもちょっとだけよ?あぁいうの探すのだってかなり手間がかかるんだから」
「悪いな、今度なんか奢るよ」
「そりゃどうも・・・そうね、高級フレンチでも奢ってもらおうかしら?」
「高校生にそんなもん要求すんなよな・・・せいぜいラーメンだっての」
「へぇ、てっきりサンドイッチくらいだと思ってたけど・・・まぁいいわ。ごちそうになるから」
文と康太はそんなことを話しながら支部長室の前に立つ。自分たちの持つ書類を渡せばお使い達成である。
日曜日、そして誤字報告を五件分受けたので三回分投稿
多分今回で1,000,000字超えたかな?そのお祝いはまた今度
これからもお楽しみいただければ幸いです




