テストの返却
テストの返却。それは学生にとってそれなり以上の意味を持つ。そしてそれは一般的な学生とは違う康太たちにも同様だった。
戻ってきたテストを前に、康太は腕組みをして悩んでいた。そしてちゃぶ台を挟んで向こう側にいる文は頭を抱えている。康太のそれとは似て非なる、自分自身を責めているようなそんな呵責が見え隠れしていた。
「いつまで唸ってるんだよ・・・俺より点数良かったくせに」
「よかったからこそ唸ってるのよ・・・!あぁもうここでこんなミスしてるなんて・・・!」
康太と文がそれぞれ頭を悩ませているのは今回返ってきたテストの事だ。
二人とも無事に赤点は免れた。それどころか平均点を大きく上回る結果を残したと言って良いだろう。
だが二人が悩んでいるのはそれぞれ別の事だった。
康太は返って来たテストの点数には満足している。だがその横に置いてある夏休みの宿題が彼の首を絞めていた。
テストの返却があると同時に生徒たちにはプレゼントと言わんばかりに夏休みの宿題が渡された。
テストの点数如何に関わらず、皆平等に与えられたそれをどのように楽に片付けるか、康太の頭はとりあえずそれだけしかなかった。
それに対して文は返ってきたテストの中で自分がしてしまった単純にしてくだらないミスを見ていつまでも嘆いていた。
これさえなければ百点を取れていただけにその後悔は大きいようだった。
自分のことを客観的に評価できる彼女にとって、それは彼女が予想していた通りの状況であり、彼女自身それなりに覚悟していたことなのだろう。
だが理解していてなお、予想していてなお落胆の色は隠せない。
康太が見てもなんでこんなミスをと言いたくなるような内容だったからだ。こればかりは気の毒としか言いようがない。
「まぁまぁ文さん、そう気を落さずに。次頑張ればいいんですよ」
「そりゃ・・・そうかもしれませんけど・・・ていうか真理さんもテストあるんじゃ・・・」
「えぇ、今絶賛テスト期間中ですよ。もう山場は超えたのでそこまで苦労はしません。あとは一つ一つこなすだけです」
この場にいるのは康太と文だけではなく、大学生である真理もいる。
大学の試験のスケジュールは七月末から八月の頭まで。履修している単位の配置によって変化するため高校生よりも変則的な期間だが、それが終われば一か月以上の長期休暇が与えられる。
何より彼女はそこまで勉強が苦手ではないのだろう。先程からノートに向けて延々と計算式を書き綴りながら計算機を駆使して問題を解き続けているが一度もつまることはないようだった。
「テストよりもこれからの話ししようぜ、もうすぐ一学期も終わるんだしさ・・・今はこの夏休みの宿題が疎ましいよ」
あと数日で夏休み。すでに学校の授業はほぼ終わり、終業式を明後日に控えている中康太の視線は夏休みの宿題にくぎ付けだった。
すでに終わったテストのことなど眼中にない。ある程度取れていたのだからそれでいいじゃないかというスタンスのようだった。
「康太君の場合、夏休みの宿題は早めにやっておいた方がいいですよ?面倒に巻き込まれることを想定して動いた方がいいです」
「大学生でも宿題とかあるんですか?なんかレポートとかあるイメージなんですけど」
「科目によってはレポート提出が必須のものもあります。前期後期続いて履修するような実験科目に関してはあらかじめ予習レポートの提出が義務付けられていることもありますね。まぁレポート用紙百枚程度ですよ」
レポート用紙百枚。それが決して少なくない数であることくらい康太にだってわかる。
それだけの数のレポートを書かなければいけないというのはなかなかに負担だろう。少なくとも康太なら発狂する自信があった。
「やっぱり理系だと忙しいんですか?そんなにたくさんのレポートだなんて・・・」
「私の学科が特殊というだけかもしれませんね。他の学部や学科はそんなものはないところもあります。まぁ郷に入ればという言葉もありますし従うしかありませんね」
そうしないと単位もらえませんしねと苦笑しながら真理は困ったように自分の頬を掻く。
大学というものは高校までの一般的なそれと違い単位制の学業体制を敷いている。
それは授業を受けてテストを受けるだけでよいようなものではなく、一定以上の習熟度、つまりはテストで一定数以上の点を取った場合にのみ合格という形をとり単位を認定するというものだ。
逆に言えば毎回授業に真面目に参加していても、テストができなければ単位は取得できないということになる。
真理ならそのあたりは心配いらないのだろうが、あまりに素行不良だったり必要な提出物を出していなかった場合教授によっては単位を渡さない場合もある。
高校までの画一的な教育体制とは異なり、大学の授業やそのクリア条件はそれを取り仕切る教授の意向によって大きく異なると思っていいだろう。
なにせ大学教授のほとんどは教師免許を持っていない。いや必要ないというべきだ。
大学で教鞭を振うのに必要なのは専門分野への理解度。つまりは大学においてその研究などを行い、特に深い理解と造形を抱いているか否かが重要だ。
誰にもわかりやすい授業をするのではなく、特に特化した授業を行えるか否かが重要になってくるのである。
「私の事はいいので文さん、康太君の宿題を見てあげてください。その分私に教えられることであればいくらでも教えてあげますから」
「・・・はい・・・わかりました」
いつまでも落ち込んでいても仕方有りませんよと暗に言われたようで、文は少しだけため息を吐いた後で康太の方に向き直る。その視線の先には相変わらず嫌そうに宿題を眺めている康太の姿があった。
「そういやさ、文は今年の夏試合とかないのか?」
「なによ藪から棒に。一応夏休みに大会はあるわよ?団体戦の方はレギュラー落ちしたけど個人戦の方で出ることになってるわ」
「へぇ・・・やっぱ勝つのか?」
「なによその言い方・・・普通に頑張りはするけど特に特別なことをするつもりはないわ。ただの高校生として出場するつもりよ」
てっきり彼女の事だから何かしらの仕掛けでもするかと思ったが、そのあたりは一人前の魔術師らしく魔術の存在が露呈するような真似は控えるようだった。
「でもレギュラー落ちするってことは実力はそこそこなんだろ?どのくらい勝てそうなんだ?」
「そうね・・・まぁ二か三回戦は突破できるように努力するわ。私自身そこまで身体能力高いわけじゃないから・・・」
文は魔術によって身体能力を強化することはできても、もともとの身体能力自体はそこまで高くない。
いや一般的な女子の平均からすれば十分以上のものは持っているが本格的にスポーツを行っている女性と比べるとどうしても見劣りしてしまうのである。
彼女は勤勉であるために日々の努力を怠らない。その為技術面では他の選手に勝るとも劣らないだろうが、やはりスポーツである以上技術面もそうだが体力、そして身体能力の優劣によって差が出てしまうのは必然的だ。
彼女の実力ではよくても三回戦の突破がせいぜいだろうという事を本人も自覚しているのである。
良くも悪くも客観的に自分を評価できるというのは複雑なものである。
「そう言うあんたは?大会勝てそうなの?」
「いや、陸上の大会で勝ち負けってどうなんだ?確かに優勝とかそう言うあれはあるけどさ・・・」
陸上競技というのはそれぞれの記録を競うものだ。他のスポーツなどにありがちな勝敗というものを明確に決めるものとは若干異なる。
もちろんその場にいる選手たちの中で競っているのだから勝ち負けという概念がないかと言われるとそれは違うようにも思える。
だが康太は陸上という競技は勝ち負けというよりも単純な競い合いという印象の方が強かった。
「それにどっちかっていうと陸上は趣味に近いからな。勝ち負けってのとは違う。何よりこの体じゃ本格的に勝つことはできないだろ」
「この体って・・・あんたの体って結構引き締まってると思うけど?結構筋肉ついてるし」
「いや筋肉ついてるのが問題なんだって。その分体重くなるだろ?そうするとどうしても遅くなっちゃうんだよ。本当ならもっと筋肉と脂肪を落とした状態がベストなんだ。そこまでにするの大変だから俺はやらないけど」
陸上競技において有名なのは走るものばかりではない。だがほとんどの競技には飛んだり跳ねたりと、俊敏性が求められるものが多い。
人間の筋肉というのは脂肪よりも重い。より筋肉を強くすればその分体は重くなり俊敏性は下がってしまう。
だが筋肉がなければ俊敏に動くことも難しい。そのバランスをギリギリまで突き詰め、維持した状態で臨むのが陸上競技なのだ。
ある意味かなりシビアなスポーツと言ってもいい。自分の体の管理と自己研鑽を続けることができなければ到底上位入賞は目指せないスポーツなのだ。
今の康太の体は良くも悪くも筋肉がつきすぎてしまっている。普段陸上ではほとんど使わないはずの筋肉まで日常的な訓練によって鍛えてしまっているためだ。
これでは陸上で記録を出すことはまず無理だろう。
肉体強化の魔術でも使えばまた結果は違ったのだろうが、康太はそこまでして結果が欲しいというわけではない。
特に部活動において魔術を使うなどということは可能な限りしたくない。これは康太が魔術師であるという事を隠したいという事もそうだが、今まで続けてきた陸上競技を魔術で邪魔したくないという考えが一番大きかった。
「なんていうか私には陸上競技の良さはわからないわ・・・大会とかテレビでたまにやってるけどどうしてあの人たちはあんなに走るのか理解できないのよね。特にマラソン。駅伝とかそう言うの」
「あー・・・あれはあれでまたいろいろとあるからなぁ・・・俺も長距離走をやる奴は理解できないぞ?そんな長く走りたくないし」
「あれ?あんたって長距離走らないの?」
「俺は中距離か短距離。長距離なんて頼まれたって走らないっての。あんなの拷問の一種だよ。走る奴の気が知れん」
あくまで康太の個人的な意見なのかもしれないがそれにしたってあまりにもな言い分に文は複雑な表情をしてしまっていた。
だが同意できる部分があるのも確かだ。まるで何かの強迫観念に取りつかれているかのように走る人々。一体何を目的としているのか何が楽しいのか、文にはまったく理解できないのである。
「あんたも長距離走ることはないの?なんかわかるところがあるんじゃないの?」
「いやいや、短距離中距離と長距離はやることは似てるけど全く別物だって。少なくとも俺はあれに楽しみは見いだせない」
「ただ走るだけなのに何が違うのかしらね」
「ハンバーグとつくねくらい違うぞ、似て非なるものだ」
その例えはどうなのよと文は眉を顰めるが、ハンバーグもつくねも磨り潰した肉をこねて作るという点では酷似している。材料や料理法が異なるということはあれど製法は似ている。言い得て妙だなと思いながら文は腕を組んでしまっていた。
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