掴みかけた何か
康太が風の魔術の訓練を始めて一体どれくらいが経っただろうか、夕方には必ず風通しの良いところに出てその香りを嗅ぐようにしているのだが一向にそのマナは変化することはなかった。
「あぁもう・・・うまくいかんなぁ・・・」
康太は小百合の店の奥にあるちゃぶ台に突っ伏しながらどうしてうまくいかないのかを考えていた。
属性のマナの理屈を考えるよりもマナというものを取り込むことでどのように魔力を作るのかを感覚として掴もうとしていた。
今まで無意識で行っていたものを意識的に行うというのはかなり難しいが康太はそれを一から十まで感覚を覚えるつもりだった。
今まで本当におおざっぱだった感覚を研ぎ澄ますために康太は目を瞑り他の情報の一切を遮断して集中していた。
耳栓をして聴覚を、目を閉じて視覚を、誰にも触れられないことで触覚を封じ周囲に誰もいない状況を作り出してから集中していた。
今までの大まかな感覚は肌に感じる魔力と、それを体内に取り込む感覚だった。
熱い液体が体内へと流れ込み、それを自分の体温と同じくらいに冷ましながら気体へと変化させていく感覚。
熱い液体がマナ、そして自分の体温と同じ温度の気体が魔力だ。この気体に夏の風の匂いが付加されれば風の属性用の魔力に変化することになる。
ここで問題なのは液体から気体への変化だ。今まで康太はそのイメージを体で再現することによって魔力の生成を可能にした。
今度はその感覚を鮮明にしていかなければならない。
なにせ今までできなかったことをするからにはその感覚を自分の中で作らなければならない。
康太がマナを取り込み魔力を作りためてきたように、今度は魔力の変化を司る部分を知覚しなければならないのだ。
丁度液体が気体に変わる部分を鮮明に意識して康太はゆっくりと魔力を生成し始める。
肌を通じてマナが体の中に入ってくるのを感じながらまずはそのマナを保持しようとしてみる。
今までほぼ自動的に行われていた活動を知覚するにはその活動を止めてみるのが一番いいと思ったのだ。
熱い液体を体に感じながらも康太はそれを保持しようとしたのだが、徐々に徐々に体の中にある液体が気体へと変化しつつある。
もはや条件反射とでもいうのだろうか。意識的に止めようとしても自動で魔力へと変換されてしまう。
細胞単位で変換を行っていると言えばいいのだろうか、康太が貯蔵庫と定めた心臓へと血管を通じて集まっていくような感覚である。
その変換されている時の感覚を感じ取ろうとするのだが、どうにも液体の一滴一滴が融けるように広がってから気体に変わっているように感じられる。
この過程にどうにかして匂いを付加できないものかと康太は悩んでいた。
一番手っ取り早く匂いを付けるためにはどうすればいいだろうかと考えて康太は風を取り込もうと思ったのだがそれはあまり効果がなかった。というかたぶん物理的に風を取り込んでも意味がないのだ。
あくまで匂いというのは康太の感覚上の話。物理的に魔力に匂いがついているわけではないのだから。
そこで康太は自分の中であの風の感覚を思い出すことにした。
魔力があくまで感覚上のものであるというのなら、感覚であの匂いと風の感覚を思い出せばいいのではないかと思ったのだ。
夕方になったら外に出て風に当たる日々を続けていたのだ。何かしら得るものがあったと思いたい。
康太は魔力を作りながら体の中で夏の夕暮れをイメージし始めた。
目の前に広がるオレンジ色の光と自分の奥へと吹き込む風の感覚。そして鼻孔をくすぐる独特の香り。
風に混じる僅かな湿気と夏の匂い。それをイメージして作り出される魔力に送り出そうとしていた。
魔力を作る際に変えるのではなく魔力を作った後に風の魔力に変換するイメージを作ることにしたのだ。
「・・・そろそろ家に帰れ、もうこんな時間だぞ」
魔力は十分に溜まっている。あとはそれに匂いを付けられるかどうかなのだがちゃぶ台を占領しているのが気になったのか、小百合は康太がつけていた耳栓を取り上げて時計を眼前に突きつける。
小百合の声が聞こえたことで康太は目を開き、眼前におかれた時計を見る。そこにはすでに二十三時になろうとしている現実が待ち構えていた。
いつの間にこんなに集中していたんだろうかと康太は一瞬で集中状態を解除して帰り支度を始めていた。
「もうこんな時間?!何で教えてくれなかったんですか!」
「集中したいから放っておいてくれと言ったのはお前だろうが・・・とにかく帰れ。夕飯は適当に済ませろ」
まるで寝坊した子供が母親に言うようなセリフだが、今まで小百合が干渉してこなかったのは康太が頼んでいたからなのでもある。
そう考えると小百合には何の非もない。珍しいことではあるが。
康太は家に帰るまでの間に先程の感覚を思い出していた。ほんの一瞬、ほんの一瞬だが先程今までとは違う感覚が浮かんできた気がした。あの感覚を忘れる前にもう一度。そう思い康太は足早に帰宅していた。




