精霊術師との対峙
康太と文が小百合の店を出る時、空からはしとしとと雨が降り続いていた。
豪雨というほどでもなく、所謂普通に雨が降っていると言えるだけの天気だ。道路には所々水たまりができており歩くたびに水の音が二人の耳に聞こえていた。
康太と文は私服に着替えており、両者ともに魔術師としての装備をすべてカバンの中に入れていた。
途中で着替える際は魔術で文に屋根を作ってもらうが、それ以外は基本的に傘をさしての移動になる。
「雨かぁ・・・こういう時だと雷と水の魔術には注意だよな」
「そうね。雷は攻撃範囲がランダムに近くなるから注意よ。相手にもこっちにもメリットとデメリットがあるわね。水属性だった場合は相手にしかメリットがないけど」
雷、つまりは電気の魔術の攻撃を使っていた場合その攻撃方向を絞るのは難しい。
なにせ電気というものは抵抗率の低い方へと移動する。その為空気中に水があるとその方向へと自然に流れていってしまうのだ。
魔術によって作られた擬似的な電気でもそれは基本的に変わらない。周囲に雨が降っているような状態ではほぼ無差別な攻撃になる可能性がある。だが当然雨が降っていればそれだけ周囲には水が満ちていることになる。そうなると電気を通すための媒体があるという事だ。攻撃のチャンスが増えるという意味ではメリットがあるが逆に狙いを定めにくいという意味ではデメリットもある。
逆に水属性を扱う魔術師にとって今の状況はむしろメリットしかない。
なにせ自分が作り出す水に加えて周囲には降り続ける水があるのだ。操るにしろ作り出すにしろ相手にとっては有利なフィールドになることは間違いない。
「水相手なら屋内、雷相手なら屋外ってところか。相手が火属性とかだったら迷うことなく外なんだけどな」
「そう都合よくいくかしらね?まぁ確かにこの状態じゃ火属性なんてかなり減衰するでしょうけど」
周囲に雨が降り続けている状態であれば当然炎は弱くなってしまう。そう考えると火属性の精霊術師であってほしいと願うばかりだったが恐らくそう簡単に話は進まないだろう。
なにせ康太はすでに学習しているのだ。自分の相手がそんなに簡単な相手になるはずがないという事を。
電車を乗り継ぎ康太と文は学校の最寄り駅で降りると再び雨の中を歩いていった。
そしてその途中の路地裏で魔術師装束に着替えると文はその変化にすぐ気付くことができた。
外見的には全く変わりはない。だがその外套の中にある装備が少し増えていることに気が付いたのだ。
ナイフだけではない、それ以外にも康太は装備を一新していた。各属性に対応できるだけの装備を含めたせいでその装備量はかなり多くなってしまっている。
ホルスターなどにいれてはいるがその量は一見してわかるほどだった。
そして文が気付いたのは康太の気配だ。今までの間の抜けたただの学生のような雰囲気から一変し、すでに戦闘を何時でも行えるだけの心構えを済ませた魔術師のそれに早変わりしている。
「ビー、準備は?」
「いつでも、ベルは?」
「こっちもいつでもいいわ。フォローは任せなさい」
「とりあえずついたらすぐにその場にいる術師を探してくれ。大まかでいいから」
「了解。部外者が入らないようにちゃんと仕事はしてあげるからあんたはしっかり戦いなさい」
康太の実力を把握させないためにも、そして余計な横槍を入れさせないためにも文は康太の周囲を守らなければならないのだ。
やるべきことがあるのはわかりやすくていいのだがこの雨の中屋外での行動が多くなるというのは正直つらいところである。
康太と文が校舎にたどり着くとすでに明かりはほとんどが落ちていた。雨のせいもあって部活動のほとんどが早めに切り上げられたというのもあって残っているのはもう教職員だけになっているだろう。
そんな中康太と文は軽々と門を越えると中に入っていく。
校舎まで続く道も基本的に水浸しだ。靴はしっかりと運動しやすいようにしてきたがこのまま屋内に入れば足を滑らせるかもしれない。
水場における戦闘は初めてだ。康太が気を引き締めながら周囲を警戒するとその視線に気づくことができた。
今まで嫌というほどに自分に向けられてきた視線だ。今回は実際対峙するという事もあってか今までよりもより強くそれを感じていた。
視線の先にいるのは深くフードをかぶった人物だった。だが康太たちのように魔術師のつける外套を身に着けていない。その代りに普通の雨合羽のようなものを身に着けているようだった。
そして仮面も口元が隠れているだけで目の部分まで覆っているわけではないようだった。
康太たちのつけている魔術師用のそれとは圧倒的に違う。
あれが精霊術師の立ち振る舞いであると気づくのに時間は必要なかった。
彼が立っているのは校舎のすぐ横。校舎の中に入っていないところを見ると恐らく屋外戦を望んでいるという事だろうか。その手には乗りたくないのだがと康太は眉をひそめる中、文はゆっくりと康太から離れていた。
「ビー、気を付けて」
「あぁ、そっちもな」
康太から離れていく文を確認した後、康太はゆっくりと前へと歩き始める。とりあえず挨拶くらいはするべきだろうと組み立てておいた槍を手に持ちながら精霊術師トゥトゥエル・バーツの下へと歩いていった。
「初めましてか、トゥトゥエル・バーツであっているか?」
「あってるよ・・・そっちはブライトビーか?」
「あぁあってる。今日呼び出したのはつまりはこういう事だろ?」
康太はゆっくりと槍の穂先をトゥトゥエル・バーツへと向ける。要するにさっさと戦おうと言っているつもりだ。
距離は約十メートル程。十分康太の射程距離の中にいる。相手が動こうとした瞬間に魔術を発動できるだけの準備は整えてある。すでに術式は康太の中で発動を待っている状態だ。
相手の動きに注意していると目の前にいるトゥトゥエル・バーツは静かににやりと笑って見せる。
康太たちがつけているような魔術師の仮面と違い、目元が見えているために相手が笑っているということがわかるのは少し妙な感じだった。
「俺、何かおかしいことを言ったか?」
「いいや、酷い魔術師の弟子だって聞いてたから有無を言わさずに攻撃してくるもんだと思ってたから少し拍子抜けしてな」
「・・・師匠ならそうしたかもな。生憎俺はそこまで好戦的じゃないんだよ。無駄に敵を増やすようなことはしたくないんだ・・・もっとも何もしてなくても勝手に俺を敵にしようとしてる奴もいるけどな」
康太はそう言いながらゆっくりと視線を動かす。先程から自分たちを見ている人物がいるのは確認できていた。なにせ絡みつくような嫌な視線が自分に対して向けられているのだ。敵意というには少々弱いがそれでも嫌悪感を抱くには十分すぎる視線。その視線の先にいるのが件の先輩魔術師であるのは間違いないだろう。
視線の先にいる存在に気付いているという事を知ってか、目の前の精霊術師は笑って見せる。面白そうな、それでいて腹立たしいようなそんな顔をしている。
「なんだ気付いてたのか。魔術師ってのは便利だよな、いろいろな魔術を使えるんだから・・・才能がなかっただけで下に見られる俺らの気も少しはわかってほしいもんだ」
どうやら康太が何らかの魔術を使ってその存在を感知したと思っているのだろう。生憎とそんなものではなく一種の動物的な勘に過ぎない。こちらを見られていると感じられるようになったのは偏に小百合の訓練のおかげだ。
だがどうやら今のやり取りで相手はやる気を出したようだ。周囲の空気が徐々に変化していくのを感じ取ることができる。
「一つだけ言っとくけど、大怪我しても文句言うなよ?こう見えても手加減とか苦手なんだ」
「安心しろって、そんな心配する前に叩きのめしてやんよ!」
相手が術を発動しようと腕を振り上げた瞬間に康太は前方に向けて全力疾走しながら魔術を発動していた。
発動したのは再現の魔術。そして再現したのは『ナイフの投擲』だった。
今回新しく武器に加えたナイフは基本的に接近戦用、あるいは斬撃用に用意したものではない。これは投擲するための専用武器だ。
ナイフ再現の数は三つ、まずは小手調べと同時に相手に接近するための布石を打つつもりで放ったナイフ投擲の斬撃はまっすぐにトゥトゥエル・バーツの体に吸い込まれていく。
瞬間、その体の周囲に大量の水が顕現した。
体を覆い尽くすように大量の水が現れまるでバリアのように展開した水が康太の再現したナイフ投擲の斬撃を受け止めていく。だが受け止めきれずにその体に若干の傷をつけていた。どうやら展開した水の総量自体は少なかったようだが康太の表情はあまり良いとは言えない。
水属性の精霊術師。康太は即座にそう判断し眉間にしわを寄せていた。
はっきり言って苦手なタイプの属性なだけに舌打ちしたくなってしまう。なにせ康太の持つ魔術の中で対応しにくい属性の一つなのだ。ある程度は力技で突破できるとはいえ明らかに面倒なことになったのは間違いない。
何も飛んできていないのにその体に傷を付けられたトゥトゥエル・バーツは一体何が起こったのか把握しようとしていたが、それよりも早く周囲にある水を康太の方向にとばしていた。いや飛ばしていたというより触手のように操って捕えようとしていたと言ったほうが正しいだろう。
元々その体を覆っている水の膜は防御のために作り出したのではなく攻撃の前準備で必要なものだったにすぎないのだ。
それが偶然康太からの攻撃を防ぐ形になったというだけ、相手の運を褒めるべきか、それとも康太の手際の悪さを反省するべきか。
どちらにせよ康太がやるべきことは変わらない。接近して相手を疲弊させる。ただそれだけだ。
康太は槍を持って自分の体に向けてのばされてくる水の触手をかいくぐりながら一気に接近していく。
水の触手を伸ばせば伸ばすほどに精霊術師の周りを覆っていた水が少なくなっていく。どうやらその周りの水の総量自体は変えずに形を操るという術のようだ。
だが現在の天候は雨、時間が経過すれば経過するほどこちらが不利になるのは目に見えている。
早々に勝負を決めたい。康太はそう思いながら槍を構えて突進する。
全速力で接近する康太の動きをとらえきれないと判断したのか、触手の動きを一度止めると先程まで横に振るっていた手を前に突き出すように変化させる。
すると精霊術師を覆っていた水全てがまるで津波のように康太に向けて急接近してきたのである。
線で捉えられないのであれば面で捉える。なるほど効果的な攻撃だ。だが水の総量が変わっていない時点で康太にはたいした問題にはならなかった。
康太は目の前まで接近する水の壁を確認すると大きく息を吸い込んで右こぶしを握り締める。
そして頭の中で、そして実際に口で呪文を唱えた。文に決めてもらった最初の呪文だ。
「ラッシュ!」
呪文と共に形成された拳の弾幕。それは目の前に迫る水の膜を弾くのに十分すぎる力を持っていた。
いくら水が不定形で流動的だと言っても、その量が限定されてなおかつ目の前に薄く展開されているのであれば一度に大量の力を与えれば粉砕できる。
相手も水を操作する術を使っているためある程度の衝撃では復元する速度の方が早いだろうが、康太は文字通り移動する先一面に拳の弾幕を張ってみせた。走り抜けるその障害になることもなく水は砕け空中に飛散している中康太は槍を構え思い切り精霊術師めがけて振り下ろした。
相手としても水の膜を突破してくるのは半ば予想済みだったのだろう。康太が槍を構えて突進してくるのを確認した時点でやや後退し始めていた。
この辺りの反応は文のそれと同じだ。拠点防衛でもしていない限り、術師は接近戦を好まない傾向にある。
せっかく術を使えるのだからわざわざ接近戦をする必要もないと考えているのだろう、遠距離からの攻撃ができるというのにわざわざ近距離で攻撃することに意味などない。
だからこそ距離を取ろうとするのは半ば必然的だ。だがだからこそ康太はやりやすかった。
相手が逃げる、それに対してこちらは追う。単純な図式であるが故に相手は焦るはずだ。なにせまともな術師戦など最初からするつもりなどないのだから。
康太の槍をバックステップで躱しながらトゥトゥエル・バーツはその体の近くに水の球体を作り出すと先程と同じように水の触手を康太めがけて飛ばしてくる。
速度はそこまで高くない。鞭のようにしなるような動きをしているために比較的動きも予想しやすく回避は難しくなかった。
小百合の近接攻撃に比べれば止まって見える程だ。この程度の攻撃なら避けられる。問題なのはこの攻撃がすべて水であるという点だ。
康太がもし水属性の魔術を扱うとしたらまず第一に窒息狙いの攻撃を行うだろう。
攻撃対象の口と鼻部分に水の球体を作り出すだけでほとんどの人間は対処できずに倒れてしまうのだから。
今繰り出している攻撃が水による捕縛目的の術だった場合、康太はこれに触れる事すら許されない。なにせ触れて顔に水を展開された時点でほとんど負けが決定してしまうのだ。康太にとってはそのあたりは非常に気にしなければならない点である。
だからこそ康太は相手が使ってくる水の攻撃を徹底的に回避していた。服にさえ触れさせないくらいのつもりで回避し続けている。そして走りながら槍を繰り出し相手との距離をつめながら攻撃を繰り返していた。
走る速度は康太の方が速い。肉体強化を使わずとも既に康太の方が速力では上なのだ。その分余裕があるし何より有利に立っている。
一見すれば槍を持った仮面の男が高校生を追い回すという事情を知らない人が見たら一発で通報されそうな状態だが相手もこのままやられっぱなしでいるほど甘くはないだろう。
槍や再現の魔術を使って相手を屋内に誘導しようとするのだが、そのあたりはやはり屋外での戦いの方が有利になるからか、徹底して屋内への道を拒否し続けていた。もう少し康太に技術力があれば相手の意志に関わらずに追い詰めることができていたのだろうがやはりそこまでうまくはいかないようだった。
なるべく遮蔽物のない広い場所にはいきたくない。校舎と校舎の間の空間を上手く利用して戦うつもりだった。
再現を利用して空中歩行をしてもいいのだが可能な限りギリギリまで手の内は隠しておきたい。特に相手が空を飛べるか否かを認識しているかどうかはかなり重要な点になってくるだろう。
こうして康太が地べたを走って戦っていることを相手に意識させなければいけない。
既に術師としての駆け引きは始まっているのだ。
康太が自分の手の内を隠しているように相手もその手の内を隠しているのは目に見えている。なにせ先ほどから触手の水操作の魔術しか使ってこないのだ。その魔術しか覚えていないということはあり得ない。
精霊術師とはその属性しか使えないに等しい存在だ。それならば水属性の魔術は大抵使えるくらいの気持ちでいいだろう。
だがいつまでもこの状態を維持しているつもりは康太もない。早々に終わらせることができるような実力はないが少なくとも長期戦になれば相手の方が有利なのだ。多少仕掛けるのは早い方がいいだろう。
既に仕込みは終えている。あとは相手を追い込むだけだ。
だが仕込みを終えた康太に対して相手の動きの方が少し早かった。そう、相手も既に仕込みを終えているのだ。
追いかけている康太を見ながらあえて足を止めると、地面から大量に水の触手が顕現し始める。
それが先程まで術によって作っていた水の集合体であると気づくのに少しだけ時間がかかった。
逃げながら水を顕現させ、その水を周囲の水とほぼ同化させることで少しずつその量を増やしながら一緒に移動し備えていたのだ。
場所は校舎と校舎の間にある中庭。周囲にあるのは木と芝生、そして校舎の間にある渡り廊下くらいのものだ。
地面から無数に生える水の鞭、これをすべて避けるとなると流石に骨が折れる。そもそも物理的に回避できるだけの隙間があるかも怪しいくらいだ。
仕方ないなと内心舌打ちしてから康太は魔術を発動した。
土曜日プラス誤字報告五件分受けたので三回分投稿
これからもお楽しみいただければ幸いです