贈るもの
店に戻ってきた小百合は、まず店の中にだれがいるのかを確認しようとしていた。
気配を感じ取ると、居間には神加がいることがわかる。だが康太はいないようだった。
「戻ったぞ」
「あ、ししょー。おかえりなさい」
「おかえりなさい師匠。寒かったでしょう?」
ちゃぶ台にノートを広げて学校の宿題だろうか、勉強をしている神加を、真理が教えているようだった。
「康太はどうした」
「また海外で活動中ですよ。今はヨーロッパだそうです」
「・・・例の組織の残党か・・・随分とやる気を出しているものだな」
そんなことを言いながら、当たり前のようにその場所にいる真理の気配を感じ取ることができなかったことに、小百合は内心苦笑しながら、やはり自分の判断が間違っていなかったことを確信しながら荷物をいくつか置いて、奥の部屋へと向かう。
「真理、五分後、私の部屋に来い」
「え?・・・はい・・・わかりました」
有無を言わさぬ物言いはいつものことだが、その言葉が普段のそれと若干違っていたことに真理は気づいていた。
何というか、どこか澄んだ雰囲気を含んでいたのである。
真理と神加は一瞬顔を見合わせ、首をかしげてしまっていた。
どういう意味なのかもわからないまま、五分経ったそのあたりで、真理は店の奥にある小百合の私室にやってきていた。
「師匠、真理です。失礼します」
襖越しに声をかけ、真理はゆっくりとその襖を開ける。その先にある部屋は、簡素という表現では、些か足りないほどに、寂しい部屋だった。
そこにあるのは最低限の机と、筆記用具と座布団だけ。趣味のものなど一切ない。畳と、暖房器具があるばかりの部屋だ。
ここを人が利用しているといわれても、多くの者が信じられないだろう。
そんな部屋の中心に、小百合は座っていた。
姿勢を正し、座布団の上で正座をするその姿に、真理は一瞬だけ智代がその場にいるかのような錯覚を受け、体を強張らせた。
入ってはいけない。そんなことを、真理は考えてしまった。研ぎ澄まされた空気が、刃物のように真理の首筋を撫でている。
あと数センチ、いや、あと数ミリも体を前に動かせば斬られる。そんな錯覚さえ起こすほどの空気が、この部屋には漂っていた。
「入りなさい」
聞こえてきたその声が、本当に小百合のものであるのか、それすらも一瞬わからなくなるほどに、小百合の声は澄んでいた。
無茶苦茶な、暴虐の限りを尽くす人物と同一であると認めることができないほどに、その姿とその声は、普段のそれとかけ離れていた。
入ってはいけないと、真理の頭は考えている。この場に足を踏み入れるのは危険だと、本能が叫んでいる。
だが同時に、この場所に入っても大丈夫だと、本能とは別の、勘とでもいうべき部分が告げていた。
「・・・・・・は・・・い・・・」
数秒悩んで、真理は自らの勘を信じることにした。一歩、襖を越えて中へ。そしてもう一歩、二歩と師匠である小百合のもとに近づいていく。
「師匠・・・それで・・・ご用件は・・・」
「・・・座りなさい」
いつの間にか用意されていた、おそらくは真理が座る用の座布団だろう。そこに視線を向けながら、小百合は真理に座ることを促す。
真理は小百合に言われるがままに座布団に座っていた。小百合がそうしているように、姿勢を正し、正座していた。
普段の小百合と違う。それだけで真理は最大限警戒するに値する状況であることを理解していた。
一体何が起きたのか、何が起きているのかわからずに真理は混乱している。だが目の前にいるのが小百合であることは間違いない。
間違いないのに、目の前にいるのが小百合ではないと思いたい自分がいることに、真理の頭はなおのこと混乱してしまっていた。
「真理、お前が私の弟子になって、どれくらい経つ」
「・・・えっと・・・私が子供の頃だから・・・もう十年近く前の話・・・かと・・・思いますが」
十年。その年月は決して短くはない。ずっと教えてきた、ずっと鍛えてきた。その成長を見てきた小百合にとって、真理の成長は著しいものだった。
満足に指導もできない頃もあったため、それを考えれば真理の成長は真理自身の努力によるものだと、小百合も理解できていた。
そして小百合は、真理の前に一本の桐箱を置く。それは先ほど小百合がもって帰ってきた荷物の一つだった。
「これは・・・」
「開けなさい」
小百合に言われるがままに、真理はその桐箱を開ける。そこには一本の刀が入っていた。
花びらを彷彿とする模様を描いた鞘、燃え盛る炎をイメージしたような鍔、そして木枯らしを想像する柄と飾り。
それらが何をモチーフにして作られているのか、真理は直感的に理解できていた。
そして、真理はゆっくりとその刀を鞘から引き抜く。
僅かに光るその刀身、濡れているのではないかと思えるほどに艶やかな刀身を目にして、真理は目を奪われていた。
そして、その刀身に刻まれた一文字を見て、目を細める。
そこに刻まれていた文字は『斬』だった。
その一文字だけで、いったい何を意味し、なにを求めているのか、真理は理解できてしまった。
「あの・・・師匠・・・これは・・・」
あまりにも上等な品。少なくともこれを作るだけでかなりの額の金が必要であろうことは真理にも容易に理解できた。
真理はあまり刀を好んで使わない。そのため、刀の価値に関しては疎い。だがそれでも、これが最上級の代物であろうことくらいはわかる。
それをなぜ、小百合が見せてきたのか、それがわからなかったのだ。
「佐伯真理、魔術師ジョア・T・アモン」
「は・・・はい」
不意に名を呼ばれたことで、真理は刀を持ったまま姿勢を正し、小百合の言葉を聞く態勢になっていた。
澄んだ小百合の声で呼ばれたことで、真理は通常のそれよりも強い緊張を強いられてしまっていた。
そもそも、なぜ今自分が呼ばれたのかもわかっていない。刀をいきなり渡され、何かやらされるのではないかと強い疑念を抱いてしまっていた。
「今日をもって、お前を一人前と認める。私がお前に教えることは、もうない」
「え・・・?」
刀を持った状態で、真理は放心してしまっていた。
いつかは来るとわかっていたことだ。いつかそうなるということはわかっていたことだ。だが、真理はそれが今日だとは思っていなかった。
「あの・・・師匠?じゃあ、これは」
「卒業祝いのようなものだ。持っていろ」
真理の手の中にある一本の刀。上等すぎるそれをもって真理は混乱してしまっていた。
何年も小百合のもとで修業を積んできた。そして、それがずっと続くのではないかとさえ思っていた矢先に言い渡された、所謂、免許皆伝。
それは真理に動揺を与えるには十分すぎることだった。
「でも・・・あの・・・師匠・・・私はその・・・まだ・・・」
まだ小百合に教わりたいことはあった。まだ小百合に稽古をつけてほしいと、心のどこかで思っていた。
まだこの店に居たかった。
小百合がいて康太がいて神加がいて、そんな空間に居たかった。それがもう叶わなくなるのだということを知ってか、真理は強く動揺していた。
そんな様子を見て、小百合は小さくため息をつく。
小百合と真理が初めて出会った時、真理はもっと小さかった。
もっともっと子供で、自分の言いたいこともしっかり伝えられないような、そんな年頃だった。
そんなころから真理を見ている小百合からすれば、今目の前に立派に成長した彼女を見て感慨深くなってしまうのも無理もないだろう。
「お前は十分に成長した。もはや私があれこれ世話を焼く必要もないだろう。すでに実力は私を超え、協会内でも立場を確立している」
「でも師匠、でも、それは・・・」
今にも泣きそうな真理の顔を見て、小百合は笑みを浮かべる。
今まで真理が見たことのない、優しい笑みだった。
こんな表情もできたのかと、普段の小百合を、今までの小百合を知っている真理からすれば驚きしかなかった。
「お前なら大丈夫だ。どんなことがあったとしても、問題なく動くことができるだろう」
懐かしむように、昔の真理と、今の真理を見比べるように、小百合は目を細めて満足そうに笑う。
「本当に、大きくなったな、真理」
その言葉に、真理はなぜか涙をこぼしてしまっていた。
自分が泣いているということを認識したのは、刀を持つ自分の手に大粒の涙が落ちてきたときだった。
理解が追い付いていなかった。なぜ自分が泣いているのか。なぜ、涙が止まってくれないのか。
「な、なに、何言って、るんですか。私はもう、もう大人で、当たり前じゃ・・・」
真理はあふれる涙を止めることができなかった。どんなに冷静になろうとしても、どんどんと大粒の涙があふれてくる。
胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えながら、真理は涙を止められず、自分の袖で涙をぬぐうが、どんどんと涙はあふれてきていた。
体の奥から、痺れるような熱が伝わってくる。それが一体何なのか、ぐしゃぐしゃになってしまった頭と心では整理できずにいた。
「泣くな、その歳にもなってみっともない」
「し!師匠が!変なこと、言うからじゃないですか!私だって!こんな・・・こんな・・・!」
あふれ出して止まらない涙に、真理は強く混乱していた。そして、どうしてこんな気持ちになるのか、真理自身理解していなかった。
ぐちゃぐちゃになっている心の中で、真理にとって小百合がどんな存在だったのかが、少しずつ、少しずつ輪郭を帯びてくる。
「お姉ちゃん?なんで泣いてるの?」
真理が取り乱したことで、その変化を察知したのだろうか、いつの間にか閉じられていた襖を開けて神加が部屋の中に入ってきていた。
「ししょー!お姉ちゃんを泣かせたらダメ!ダメなの!」
どうやら神加は小百合が真理を泣かせたと思っているようだった。間違っていないのだろうが、少しずれてしまっている。
といっても、幼い神加にそのあたりを理解しろといっても難しいだろう。
「ち、違うんですよ神加さん、これは、そう・・・そうですね、嬉しくて泣いているんです」
今にも小百合にとびかかりそうな神加を止めて、真理は涙を流しながら、それでも笑顔を作る。
「うれしくて?嬉しいのに泣くの?どうして?」
「えぇ、そうです。不思議ですよね。なんででしょう。なんででしょうね?」
嬉しいならば笑うはず。だが神加にとってはまだ嬉しくて泣くという感情はよくわからないようだった。
そして真理は涙を流しながら精いっぱい笑って見せる。自分をかばうように前に出た神加を抱きしめながら、真理は笑い、泣く。
言葉にして初めて、真理はそれを理解していた。
この涙は、嬉しいからこそ、幸せだからこそ、流れたものなのだと。
「・・・まったく・・・お前たちというやつは・・・」
先ほどまでの微笑みを向けていた小百合はもういなかった。普段の小百合に戻ってしまっている。
だが小百合はすでに満足していた。
真理に与えるべきものはすべて与えたのだ。
師匠として与えられるものはすべて与えた。
小百合のもとから一人の弟子が巣立つ。
そのために師から贈られたものを、弟子がどのようにするのか、それは弟子によって違うだろう。
少なくとも真理は、贈られたものを生涯大事にし続けた。
与えられた言葉は少なくとも、真理はその言葉を、生涯大事にし続けた。
これにて、ポンコツ魔術師の凶運は完結となります
四年以上にわたりご愛読いただき誠にありがとうございます。
明日から新作『アロットロールゲイン』がスタートします。
例によって毎日投稿ですので、のんびり読んでいただければと思います。
これまでご愛読いただきありがとうございました。これからもお楽しみいただければ幸いです。




