文の今
文のもとに向かう途中、神加は何度も立ち止まっていた。
神加は文のことが嫌いではない。むしろ大好きだ。子供のころから世話になっていたし、いろんなことを教えてもらい、いろいろな遊びを一緒にした。
子供のころから彼女のことが好きだったし、今でもその気持ちは変わらない。だが神加は今の文に会いに行くのは、少し嫌だった。
「・・・はぁ・・・」
『そんなに彼女に会いに行くのは億劫か?』
『それならよぉ、いっそのことやめればいいんじゃあねえの?いやな思いしていく必要なんてねえだろ?』
『ですがよい話を聞くことができるのも事実・・・どうしますか?』
精霊たちは文に会いに行くのが嫌な神加の気持ちを察してか話しかけてくる。確かに文に会いに行くのは億劫だ。
やめても問題はないだろう。特に今回の場合は仕事というわけでも魔術師の依頼関係でもない。ただの神加の個人的な悩みの相談に乗ってほしいというだけのことなのだから。
だが間違いなく良い話を聞くことができるだろう。いや、良い意見を聞くことができるといえばいいだろうか。
春奈の言ったように、文は今周りで誰も経験していないであろうことを経験している。そういう意味では彼女ほど相談相手に適している者も限られる。
良い意見を聞きたいのであれば、是が非でも会いに行くべき相手だ。だが神加は、それでも文に会いに行くのをためらっていた。
『行ったほうがいいとは思う・・・けど・・・やっぱりなんかこう・・・嫌な気分になるのよ』
大好きな文に会いに行くというのに、なぜこのように気が沈むのか、なぜこれほど複雑な気分になるのか、神加はわかっていた。
わかっていたからこそどうしようもなかった。どうすることもできなかった。もはや選択肢は行くか行かないかという二択に絞られている。
『ほかに意見を聞くってなったらよぉ、もうミカの兄貴くらいしかいないんじゃねえのか?』
『あとはシオリの師匠ですね。彼もまた良い意見をくれるとは思いますが・・・』
『フミのそれには及ばないだろう。どうするかは、ミカが決めるべきだ』
どうするか、その答えはもう出ているに等しい。こうして何度も立ち止まりながら、それでも神加は前に進むことを選択しているのだ。
前へと出る。神加は小百合にそう教わってきた。
どのような時でも活路は前にあり、後ろに下がれば負けるだけ。そんな教えられ方をしてきたのだ。
小百合自身がそうだったからこそ、小百合は神加にそう教えた。そして神加も本能的にそのとおりであると理解し納得していた。
だからこそ、止まるつもりはなかった。
『行く、このまま足踏みしてても何もわからないままだし、どちらにせよ、いつかは・・・』
神加はそう言いながら歩く。電車とバスを乗り継いで、歩いて少し下その先にあるその建物に、ゆっくりとだが確実に向かう。
そこは病院だった。いろんな専門科が存在する総合病院と言われる類のものである。
文はここに入院している。
受付で神加の名と、入院している文の名前を告げると、ネームプレートを渡してくれる。病室は神加は覚えているため問題なく入ることができた。
索敵によって今文がどこにいるのかを調べようとする。だが文は今魔力を完全に抜いているせいか、索敵で見つけるのはなかなか難易度が高かった。
「みんな、お願い」
神加が小さくつぶやくと、病院の中にいたであろう精霊たちが一斉に姿を現す。そして神加は小さな声で文の今の居場所を聞くと、小さく安堵の息をつく。
文は今も病室にいるらしい。
出歩ける状態になっているのかどうかは不明だが、少なくとも安静にしておいたほうがいいのは間違いないのだ。
文の病室にたどり着くと、神加はゆっくりと深呼吸する。何度も見た文の姿だ。それは変わらない。何も変わらない。
どんな姿を見てもショックを受けないというのは、正直に言えば無理な話だった。どのような姿を見ても、おそらく神加はショックを受けるのだろう。今の文の状態を考えれば無理のない話なのだ。
神加が扉をノックすると、部屋の向こうから文の声が聞こえる。
『どうぞ』
「失礼します」
そこは個室だった。ここには文しかいない。文は病室のベッドで体を起こした状態で本を読んでいた。
「あら、神加ちゃん。どうしたの?お見舞いに来てくれたの?」
「えぇ、そんなところです。これ、食べられるかどうかわからないけど、どうぞ」
そう言って神加は買ってきておいた果物を渡す。文は本を読むのをやめ、嬉しそうにそれを受け取ると微笑みながら神加の方を向く。
その文の姿は、一見すれば怪我一つない。入院している理由は、文の体の傷などではない。
文の体で異常があるとすれば、一か所だけ。
彼女のお腹は、今大きく膨らんでいた。
そう、文は今妊娠しているのだ。
八篠文。旧姓鐘子文。今彼女は康太の子供を妊娠しているのである。




