難儀な話
「当人がいない間に噂話とは、あまり趣味が良いとは言えんな」
小百合と神加がそんな話をしていると、宙に浮きながらやってきたのは話に出ていたアリスだった。
その手にはビニール袋がぶら下がっており、何かを買ってきたであろうことがうかがえる。
「アリス、どっか買い物でも行ってたの?」
「うむ、息抜きがてらにな。チョコ系の菓子を買ってきたが、いるか?」
「もらうわ」
「ほれ、サユリはいるかの?」
「遠慮しておく。話を聞いていたのであればあそこをもう少し片づけろ。貸している側としてもあれだけの状態ではいい顔はしにくいぞ」
小百合の視線の先にあるアリスのスペースを見て、神加は苦笑する。だがアリスは平然とした様子で買ってきた菓子を口に含んでいた。
「何を言うか。あれで片付いたほうなのだぞ?山場を越えたからとりあえずある程度は片づけたからの」
「あれで片づけたのか・・・あれで・・・?」
小百合は信じがたいという目でアリスのスペースを見ているが、これ以上言っても無駄だと判断したのか、ため息をついて宙を浮いたままのアリスの方を見る。
飄々としているその姿、そしてその声音など、十年前から全く変わっていない。封印指定としてのアリスの情報は小百合も知っているが、十年前からこうも何も変わっていないとさすがにいろいろと思うところがある。
「なんだサユリ、お前が私を見つめるなどなかなかないことだが」
「いや、ただ、不憫だと思っただけだ」
「いきなり哀れまれるとは・・・どういう了見だ?」
「お前が長いこと生きていることに対してだ。アリス、聞いていいかわからんが、お前は、いつまで生きるつもりだ?」
昔の小百合ならば、これほど気を使った発言はしなかっただろう。相手のことなど気にせずに思ったことを口にしたはずだ。
この十年で、小百合も少し丸くなったということだろうかと、アリスは薄く笑みを浮かべながら小さくため息をつく。
「さてな。私は死にたくない。ただそれだけだ。何のために生きているというわけでもない。生きる理由ではなく、死にたくない理由があるだけだ。死ぬ時が来たとしたら、その理由が逆転した時だけだろうな」
「・・・それは、辛くはないのか?」
「辛くないといえばうそになる。だがこうして生きているうえで楽しさもあるのだ。ただ生きているのではなく、楽しみながら生きるのが一つのコツというやつだ」
何百年も生きてきて、アリスは通常の人間の何倍ものつらい経験をしたはずだ。だがそれでも生きている。彼女は自分が楽しいと思ったことに関してはためらわない。
楽しいと感じれば全力でそれを楽しみ、飽きればそれをやめる。
苦痛を一切感じないように、ただ楽しい事だけに突き進む。それがアリスの生きるコツというやつなのだろう。
「なんだサユリ、そのようなことを聞くとは、お前も長い時間を生きたくなったか?」
「いいや、お前の言葉を聞いてなおさら分かった。私は長く生きることができるだけの精神は持ち合わせていない」
「お前ほどの女がか?」
「私程度、だ。私はそのような苦痛には耐えられそうにはない」
「今更弱い女アピールなどしても無駄だと思うがの」
「強い弱いの尺度の違いだ。戦いならばまだしも、私は、楽しいと思うことがあまりにも少なすぎる。新しいことに楽しさを見出すということが、私は苦手だ」
その言葉を聞いて、神加は思い当たる節がある。
十年前、出会ってからの小百合の行動基準や行動の内容、それらはほとんどといっていいほどに変わっていないのだ。
家事などをやっているときを除き、小百合はほとんどちゃぶ台に乗せたノートパソコンに向かって株などの取引をし、なおかつ煎餅をかじっている。
弟子である神加たちの時間が空けば訓練を施し、ある程度鍛えたらその日の訓練を終えてまたパソコンの前に座る。
そんな生活を神加が見ている限りもう十年も続けているのだ。
きっと、長く生きて、ずっと生きて、アリスのように何百年も生きたとしても、彼女のその動きが変わることはないのだろう。
ただ、弟子たちがいなくなれば、小百合はきっとパソコンに向かうだけの生活になる。そんな生活を続ければ体を間違いなく壊す。
新しく弟子をとるかと言われると、それも難しいと彼女は言っていた。
「お前がそのようなことを口に出すとはの。歳を取ったかサユリ」
「当たり前だ。お前と出会ってもう十年だ。歳もとる。お前と違って外見も変化があるだろう」
「そうだの。白髪も増えたし皺も増えた。筋力の衰えはさほどないが・・・そうか、お前も老いたか」
「そうだ。当たり前のことだ。人は生きて老いて死ぬ。私も同じだ。お前もいつかこうなるんだろう?」
「考えたくないの。何百年後か何千年後か・・・どちらにせよ、私はまだ若くいたいのだ」
「そうか、難儀な話だな」
小百合が何を察したのかはわからなかったが、彼女は笑っていた。その笑顔はどこか満足気だった。
何を納得したのか、何を察したのか、神加には分らなかった。




