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ポンコツ魔術師の凶運  作者: 池金啓太
番外編「祝福された少女が望むもの」
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時の流れと老い

冷たい水が顔面に襲い掛かる。


僅かな衝撃と、冷気によって肌を襲う鋭い感覚。それらが一気に神加の意識を覚醒させていた。


神加の目に映ったのは、よく見た天井だった。


何度も見た、そして何度も見上げた天井であると気付くのにそう時間はかからなかった。


意識の混濁と同時に、わずかな記憶の齟齬がある。いつの間に自分が倒れたのか、いつの間に自分が倒されたのか。


そのことを考えながら、神加はゆっくりと体を起こし、自分の体の状態を確認しようとしていた。


わずかに残る頭痛が、脳震盪によって昏倒していたことを証明する中、神加はあたりを見渡した。


そこには木刀を手に取り素振りをしている小百合の姿があった。


『倒されたんだ、覚えているか?』


『すげぇ蹴りだったぜぇ?体ごとズドンだ』


『痛みはありますか?意識ははっきりしていますね?』


神加の中の精霊たちが声をかける中、神加はゆっくりと立ち上がり大きくため息をつく。そしてそのため息に気付いたのか、小百合は素振りをやめてゆっくりと神加の方に近づいてきた。


「ようやくお目覚めか。寝坊癖はなかったと思ったが」


「あたしはそんなに寝てましたか?」


「時間にして十分ほどだ。なぜ水にぬれて・・・あぁ、お前か」


小百合が視線を向けた先にはバケツを持ったウィルがいた。どうやらウィルが神加を目覚めさせるためにバケツに水を入れて顔にかけたのだろう。


「ありがとウィル、おかげで目が覚めた」


神加の言葉にウィルは『気にする必要はないぜ』と言いたげに手をかたどってアピールしてくる。


神加とウィルが意思疎通するためには、ウィルのボディランゲージが必要不可欠だ。ウィルは声を出すことができない。念話もできないため、どうしてもこちらの声に対して何かしらのジェスチャーで反応を返すほかない。


そういったやり取りは嫌いではないが、時折寂しくもなる。


「ではもう一度だ。次は気絶するなよ?」


「そう簡単にやられませんよ。今度はやり返します」


「いい心がけだ。口だけにならんようにな」


再び小百合の鋭い攻撃が襲い掛かる。今度は顔だけではなく肩、腹、足、どこにくるかわからないように次々と攻撃が飛んできた。


全ての攻撃をいなすことは神加にはできない。だが致命打になりそうな攻撃を防ぎながら反撃する程度なら可能だ。


神加と小百合の体重差はほとんどないといってもいい。身長的には神加の方が低いが、それでも誤差程度だ。


打撃の威力的にはほぼ五分五分。あとは体重の乗せ方などの技術の問題だ。


神加のバランス感覚は昔から鍛えられているだけにかなりレベルが高いが、それはあくまで空中を跳び回るためのものであって、こういった攻撃に活かせるものではない。


苦手分野を克服するために、奏のところに行って徒手空拳を習ってきたのだ。


小百合のような無茶苦茶な動きを真似できるのは、弟子の中では康太くらいしかいない。真理は正統派な柔術にも似た滑らかな動きを、康太はどこで習ったのかもわからない、小百合とも奏とも違う独特の動きをする。


そして神加は奏の動きをベースにした近接格闘を行う。小百合との相性は決して悪くはないはずなのだ。

事実奏は小百合を何度も転がしていたという。それができないのは単に神加の技術が追い付いていないのが原因だ。


小百合の拳が顔面のすぐ横を通り過ぎる中、神加は目を見開いて小百合の動きを見続けていた。


反射的に閉じてしまいかねない瞳を見開き、相手がどのように動くのかを把握しようとする。


次にどう動くのか、次に何をするのか、一つ一つの動きを確認することでしかそれらを把握することはできない。


攻撃をいなし続けていると、若干ではあるが小百合の動きが遅くなる。体力の限界が来たのだろうかと、神加は反撃するべく踏み込むが、地面を強く踏んだその瞬間、強い寒気が神加の背筋を駆け抜けた。


反射的に、何も考えずに、神加はその場に伏せた。


神加の落下の動きについていけなかった長くしなやかな髪が、小百合の蹴りによって生まれた風で思い切りなびく。


先ほど神加の顔があった場所を高速で通り過ぎた蹴り、あのまま攻撃していたらカウンターとなってまた先ほどと同じように気絶させられていただろう。


「今度は避けたか。少しは学習したらしい」


どうやら自分は先ほどあの攻撃にやられたのだなと、神加は蹴りを放った後の小百合に対して小さく連打を加えていく。


回避しきれないような小さく、ダメージを与えるよりも相手の体勢を崩すことの方に重点を置いた、関節を狙った攻撃。


一撃で倒す必要はない。何度も攻撃を加えて、最終的に倒せばいいのだ。


神加のその攻撃を、小百合は完全に見切り防御していくが、わずかに目を細めて舌打ちする。


「あぁ、そのやり方、本当に腹が立つ」


体勢を崩すことに終始していた神加の拳が、衝撃とともに唐突に跳ね上がる。


軽く出した神加の拳に、小百合が体重を乗せた拳を叩きつけたのだ。


拳に残る痛みがそれを証明している。崩れかけていた体勢だったというのに、いともたやすく体重を乗せた攻撃をしてくる。


これだからこの人の相手は嫌なのだと、神加は歯噛みしながら小百合の反撃を体で受け止めていた。














「あー・・・痛い・・・痛い痛い痛い・・・!」


訓練が終わった後、神加は訓練場の床に転がりながら体の痛みを一つ一つ確認していた。


肩、腹、足、腕、頭、痛みのない個所など一つもない。どれもこれもが危険信号として神加の脳に痛みを運び続けていた。


どの痛みも深く鈍く、それぞれの部位にダメージが入っていることを告げているが、それらすべてが生命活動に支障が出るレベルではないということも告げている。


だからこそ神加はこのように転がりながら痛いアピールをすることができていた。


「喚くな鬱陶しい。大した負傷でもないだろう。さっさと治せ」


「・・・少しは心配してくれてもいいんじゃないですか?」


「馬鹿を言うな。そこまで軟に育てたつもりはない」


育てたというのが、単に弟子という意味でというのならば、神加もまだ反論もできた。だが神加は正真正銘、小百合に育てられた。


子供の頃、魔術師によって両親を殺され、小百合に救われたという。神加は全く覚えていないし、何より小百合が助けたなどということが信じられなかったというのも大きい。


だが神加は物心がつくころにはもうこの場所にいた。


一番古い記憶は康太と会った時だ。それより昔のことは思い出すことも難しい。


そこから記憶が飛び飛びになって、徐々に記憶が安定しているのは小学校の高学年当たりの頃。


この辺りになってくるともう神加の人格は固定されたのか、いくつかの記憶をしっかりと持っている。

そんなころから、ずっと神加の近くには小百合がいたのだ。


毎日のように小百合と過ごし、小百合と食事をとり、小百合と訓練をした。


一緒に康太や真理、アリスなどとも過ごした。一種の家族のようなものだ。


本当の家族よりも過ごした時間は長いだろう。それを喜ぶべきなのかどうかは、正直微妙なところではある。


本当の親と一緒に居たくはないのかと言われれば、確かに本当の親と一緒にいたほうがよかったのかもしれない。


だが神加は、幼いころから魔術師として教育されてきたからか、そういった感覚は希薄だった。


康太がいて、真理がいて、アリスがいて、そして当たり前のように小百合がいて、ウィルがいて、そういう毎日に満足もしていたのだ。


鍛えられた、育てられた、そして愛された。そういう自覚が神加にはあった。


「慣れてても痛いものは痛いんです。いいじゃないですか自分の家でふざけたって」


自分の家。神加にとってここは自分の家だ。ずっと住んできて、おそらくこれからもずっと住む。どのようなことがあっても、きっとここに帰ってくる。そういう確信が神加にはあった。


「実戦でもそうやって喚くのか?訓練は実戦のためにあるものだと何度言わせる。訓練でできないことが実戦でできると思うな」


「もう何度も聞きました・・・あぁ、癒しが欲しい・・・あたしにも可愛い弟弟子が欲しい・・・」


「唐突だな・・・なぜだ」


「・・・姉さんや兄貴は、あたしがいた時ずっと気を使ってくれてたじゃないですか。自分たちも訓練が厳しいだろうに。やっぱり守るべき対象がいれば頑張れると思うんですよね」


突飛だが、あながち間違っているわけでもないと小百合は目を細めていた。


弟弟子ができると、兄弟子は張り切るものだ。何せ弟弟子にいいところを見せたい。そして弟弟子を守ろうとする。守るためにさらに力をつけようとする。


いつか弟弟子に教えてやるためにいろいろと学習する。確かに兄弟弟子ができるというのは利点は多い。逆にマイナスになることもあるが。小百合の弟子三人にはそれは幸いにも当てはまらなかった。


「残念だが、私はこれ以上弟子をとる気はない」


「えー・・・なんでですか」


「単純な話だ。私の体がもたん」


そう言いながら小百合は木刀を持ち上げ、ゆっくりと構えて振り下ろす。


その動きは見るものが見れば目を見張るほどのものだ。見惚れてもおかしくないほどに鋭く、美しく、滑らかなものだった。


だが小百合は何かが気に入らないのか大きくため息をついて首を横に振る。


「この数年で、体の衰えをいやというほど実感している。満足に鍛え上げることができるのは、おそらくお前で最後だ」


「・・・まだまだ師匠を超えられる気がしないんですけど」


「簡単に超えられるつもりはない。だが近接戦ではもう康太には勝てん。魔術を使った戦闘では真理に勝てん。弟子の成長を喜ぶべきなんだろうが、残念ながら弟子の成長を確かめるよりも、私が衰え弱くなる方が早い」


自嘲気味に笑う小百合を見ながら、神加は複雑な心境だった。小百合の動きが悪くなったとは思えなかったのだ。


だが小百合は自分の体のことをほぼ正確に把握しているようである。


康太に一発入れられてから、こうしてため息をつくことが多くなった。


老いによって自らの体が弱くなっていくのを実感し、だがそれでも弟子だけは一人前にしようと小百合自身も努力している。


ただ、鍛え上げた自分の力が通用しなくなっていくのは、おそらく彼女にとっては耐えがたいのだろう。

いや、耐えがたいというのは少し表現が違う。ただ残念なだけなのだろう。幼いころから培った力が、ただ歳を重ねるだけで緩やかに失われていっているのだから。


「師匠はアリスみたいにやらないんですか?あの老化を緩やかにするやつ」


アリスが行っている老化を著しく停滞させる魔術。全身の細胞一つ一つに術式を組み込む魔術の中でも最上位に属する難易度を誇る魔術だ。


あれがあれば、これ以上の老化はひとまず止めることはできるだろう。


「あんなものは人にできる芸当ではない。少なくとも私はあれをやろうとは思わん。というか、私はそもそもあの魔術を扱うことはできんだろう」


小百合の起源であり性質を考えると、彼女の言うようにアリスの使っている魔術を扱えるとは思えなかった。


破壊に関わる魔術しか扱うことができない。限定されすぎた、小百合にこれほど適している起源による特性もないと思えるものだ。


小百合は破壊に関わる魔術以外を覚えることができない。アリスの行っている魔術は寿命を延ばすようなものというよりは、老化そのものの進行速度を著しく遅らせるというものだ。


そのような魔術を小百合が覚えることができるとは思えない。


「でも仮に覚えられたら使いますか?老化ほとんどしないんですよ?」


アリスとかなり長い間一緒にいた神加からすればその効果は嫌というほどに知っている。


出会った頃は同程度の身長だったのに、いつの間にか神加の方が圧倒的に大きくなってしまっている。

身長的な意味でも、スタイルという意味でも。


アリスは昔から変わらない。変わろうとしていない。この十年で彼女の外見に変化がないことから、アリスの魔術の性能の高さがうかがえる。


だがそれでも、小百合は首を横に振った。


「あいつのようになりたいとは思わん。あれは私が知る中でもかなりの茨の道を行っている。私はそのような道を歩みたくはない」


戦いに明け暮れた人物がいったい何を言っているのだと神加は目を細めるが、戦いに明け暮れた小百合から見てもアリスの人生は恐ろしいものであるのだ。


戦いに明け暮れた小百合だからこそ、そう思ったのかもわからない。


刹那的な生き方をする人間は数多くいる。怠惰で惰性のように生きる人間も多くいる。


だがそのどれも、アリスの生き方には当てはまらないのだ。


アリスの場合、その場その場を常に新しく生きようとしている。それがどのような意味を持つのか、神加には理解できなかった。おそらく小百合にも理解できていないのだろう。


「お前も、あいつのようになりたいなどとは思うな。あれは人間をやめた者だけが近づくことができる存在だ。私たちのような人間がなろうとするものではない」


「・・・なら、兄貴は・・・アリスに近づけるの?」


康太は人をやめている。やめさせられたというべきかは疑問だが、人間という枠から大きく外れた存在になってしまっている。


康太の存在を思い出し、小百合は目を細めながら訓練場の一角に置かれている康太の装備に目を向ける。


「そうだな・・・あいつは確かに人から人外に足を突っ込んだ。そういう意味ではこの世界で一番アリスに近い位置にいる」


「・・・兄貴も不老不死ってことですか?」


「そうは言わん。だが・・・そうだな、あいつの外見は昔から変わっていないように思える。多少筋肉はついているが、その程度だ、その程度の差だ。それを不老ととってよいものか、少し悩むな」


もし康太が年齢によって死ななくなれば、その時は間違いなく封印指定に登録されることになってしまう。


そうなれば本部も康太を本気で潰しにかかるはずだ。とはいえ今の康太を潰すことができるだけの勢力を本部が用意できるかは小百合としても甚だ疑問だったが。


「あいつはなろうとしてなったわけでもないし、人としての営みを行っていないわけでもない。あくまで、あいつは人をやめただけだ。アリスのように人としての営みさえやめかけているわけではない」


「えっと・・・アリスだって人として生きていると思うんですけど・・・」


「あいつの借りている一角を見てもそう思うか?」


小百合は遠い目をしながらアリスに貸し出している地下空間の一角に視線を向けた。


神加もつられてその先を見る。昔から趣味に走っていたアリスは、その趣味をどんどんと加速させている。


一体いつになったら片づけるのかと思えるほどに散らかったその空間を見て、真っ当な人の暮らしをしていると思えるものは数少ないだろう。


ある意味人間の業をすべて圧縮したような存在になろうとしている。


「別に私は構わんがな・・・最近妙にインクのにおいがするんだが、あれはいったい何をしているんだ」


「えっと、なんか本を描き始めたとかなんとか・・・同人誌ですよ、そういうのを描き始めたらしいんです」


「今のご時世にアナログか・・・パソコンで描こうとは思わんのか」


「今のご時世だからこそアナログらしいですよ?確かにちょっとにおいますけど」


アリスに貸し出している一角は趣味であると同時にアリスの仕事場のようなものになってしまっていた。


時折締め切りが近いのか、魔術の操作を全開にしてペンを操っているアリスの姿を見かけることがある。


そこまでして本を書きたいのかと、小百合と神加には理解できなかったが、趣味の世界というのは他人が口を出していいものではない。


少なくとも、趣味に生きるアリスにとってそれを邪魔されるのは死を意味するということを神加は理解していた。


誤字報告を十件分受けたので三回分投稿


これからもお楽しみいただければ幸いです

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