心配と苦戦
一方、車を止められた小百合は何とか路肩に車を移動させると文と合流していた。
今から走って行っても真理に追いつくこともできない。先に車を直すほうが先決だという事で小百合はエンジンを確認してどこに仕掛けをされたのかを確認しようとしていた。
「・・・クラリスさん、ビーは大丈夫でしょうか?」
「問題ない、あいつならうまく足止めするだろう、ラジペンをよこせ」
小百合の近くで車の修復作業を手伝っている文は指示通り小百合にラジオペンチを渡す。今自分にできることがそれ以外ないとはいえこんなことしかできない自分に文は僅かに憤りを感じていた。
自分ならどうしていただろうか、自分ならどのように足止めをしただろうかとそんなことを考えながら。
「・・・あいつが心配なのか?それとも選ばれなかったのが不満か?」
「・・・正直に言えば両方です・・・教えてください、どうして私ではなくビーを足止め役に?」
「・・・前に教えたと思ったが・・・あの時の答えでは不服か」
「はい、納得できていません」
足止め役を選ぶときに文は確かに小百合に言われた。足りないものがあると。康太にあって自分にはないものがあると。
そして真理からは電話越しに優秀であるという事も言われた。だからこそ理解できなかったのだ。
当然追跡や工作作業は康太ではなく自分でしかできなかった。そう言う意味で作業のできない康太を選んだのならまだわかる。
だが小百合が康太を選んだ理由は消去法ではない。むしろ康太だからこそ足止めをやらせるべきだと思ったのだ。
文の声を聴いて、そしてその表情を横目で見て小百合は作業をしながらため息をつく。彼女の抱いている不満と疑念を理解できたからこそ、答えなければいけないのだろうかと思ったのだ。
本人が自分で気づければよかったのだろうが、どうやら今の彼女は思考がループしてしまっている。自分でその先に進めないのであればだれかほかの人間が突破口を示してやるしかない。
きっかけさえ作れば文は自分で気づくだろうと考え小百合は作業しながら口を開いた。
「なら一つ聞いておく。お前が仮に足止めをしたとして、もし相手を倒せそうだったらどうする?」
「え?・・・それは・・・倒すと思います。倒せる敵は倒せるときに倒すのが鉄則です」
「だろうな、それこそが間違いだ」
小百合の返しに文は目を丸くしていた。
倒せる敵を倒さずにそのまま放置していては周りの味方が危険にさらされる。それこそ本末転倒ではないのかと文は強く疑問を抱いていた。
「お前は優秀だ。魔術師の中でもお前に敵わない人間の方が多いだろう。だがお前のその優秀さこそが私がお前を足止めに選ばなかった理由でもある」
「・・・ビーなら任せられると?」
「そうだ、あいつは徹底して相手を警戒する。なにせあいつに負ける魔術師の方が少ないからな。自分が相対する魔術師全員が自分より格上であるという認識の上で対峙している。だからこそあいつを選んだ」
「それは魔術師としての心構えの問題ですか?」
「それもある、だがお前が優秀だからというのが問題だ。勝てると思った相手は油断する。逆に負けるかもしれないと思った者は何をするかわからん。だからこそ優劣の差がひっくり返ることがある。お前はそれをすでに体験しているだろう」
文なら大抵の魔術師になら勝つことができるだろう。
それこそ真っ当な魔術師戦をすれば小百合とだっていい勝負をするかもしれない。それだけのスペックを彼女は有しているのだ。
今回はその優秀さが問題になってしまっているのである。
先に小百合が言ったとおり、負けそうな相手は何をするかわかったものではない。窮鼠猫を噛むという言葉があるように自暴自棄になって危険な魔術を連発する可能性だってあるのだ。
勝てそうな状況であれば油断する。負けそうであれば必死になる。それは魔術師だけではなく人間すべてに言えることである。
性格的にそう言ったものがないものもいるが、文の場合はその傾向が顕著に表れるだろうと小百合は睨んでいた。
他にもエアリスから預かっている身だからというのもある。危険なことをさせられないというのも理由の一つだ。
だがだからと言ってそれだけで配置を決めるようなことはしない。
「本当に確実な勝利が欲しいならそもそも戦うという選択肢自体が間違いだ。相手が一人に対して格上数人がかりで仕掛けなければ確実な勝利などない。あいつは自分では勝てないとわかっているから足止めに専念できる。お前の場合勝利できそうになれば自分で勝とうとするだろう?だから選ばなかった。それだけの事だ」
「・・・でも・・・ですけど・・・」
文も頭の中ではその理屈を理解していた。
状況を何度もシミュレートして十回中八回は問題なく勝つことができる、後の二回は苦戦して足止めに徹するような流れになっていた。確かに自分は勝てそうになったら勝つ方向で戦いを進めるだろう。だからこそ自分は選ばれなかった。
理解はできる。だが頭では理解できていてもそう簡単に納得できるものではない。
こういったものは口で言ったところで半分も理解できないのだ。体験と失敗と成功によって人間は学習する。ここから先は文が自分で学ぶべきことだと小百合はそれ以上口出しすることはなかった。
「それなら・・・ジョアさんはどうです?今回の相手は彼女に任せることになっちゃいますけど・・・」
文としては自分でも問題なかったのだがと思いながら康太の兄弟子である真理を思い浮かべる。今まで見てきた中では彼女の印象は『いいお姉さん』という感じだった。
とても戦闘に向いているとは思えないのだ。もちろん彼女の実力は知っている。だがそれでどこまで通用するか正直不安がある。
だが小百合は全く気にもしていないようだった。そしてその理由は単純にして率直なものだった。
「それこそ心配いらん。あいつは私の一番弟子だぞ」
文と小百合がそんな会話をしているとは知らず、康太は魔術師相手に奮戦を続けていた。
先程の攻防から相手はかなり本気を出してきているらしく周囲は炎に包まれてしまっている。
木を燃やさないように最低限気配りがされているようだったが、展開している炎の量が先程までとはケタ違いだった。
初手による相手の強引な発見方法によって、康太は完全に劣勢を強いられていた。
その方法は周囲に大量の水を発現させて康太を押し流すというものだった。先程の攻撃で康太が近くにいるという事はわかっていたのだろう。魔術によって擬似的な津波を作り出し康太の位置を確認すると瞬時に水から炎の魔術に切り替えこちらに攻撃を仕掛けてきたのである。
炎がまるで手足のように康太へと襲い掛かる。前後上下左右、方向には際限がなく相手の得意な距離を強制されるせいで康太は全く攻撃もできない状況になってしまっていた。
何よりあまりにも移動しすぎたせいでまともに相手の姿さえ見えなくなってしまっているのである。
地上空中どちらを使ってでもなんとか回避している状態ではあるが、このままでは康太の魔力切れの方が早くやってくるのは目に見えていた。
今襲い掛かってきている魔術は先程相手が使っていた自らの体から伸びるようにして襲い掛かった火の魔術だ。
先程の鞭のような魔術と違いその本数こそ少ないものの高速かつ広範囲にわたって康太を追尾し攻撃を仕掛けて来ていた。
空中を駆け回りながら康太は何とか木々を盾にして回避行動を続けている。だがこれもいつまで続くかわかったものではない。相手も事を大きくしたくないという気持ちがあるからこそ木々を燃やすようなことはしていないだけでその気になれば周囲の木々を燃やしてでも康太を追い詰めるだろう。
康太は向かってくる炎を跳躍して躱しながら木を足場にして方向転換しその炎が伸びている根元を確認しようとする。
この炎があの魔術師の根元から伸びているのであれば炎をたどれば当然そこに魔術師がいるということになる。
だが炎は伸びに伸びているせいでその根元を確認することができない。
幸いにして発光しているためにその炎が一体どこに伸びているのかどのようなルートを通ってやってきているのかを知ることは簡単だったが一見してその全容を掴むのは不可能に近かった。
だが相手もこちらを確認できるだけの距離にいるのだ。少なくとも半径五十メートル以内にはいると思いたい。
自棄になった瞬間こちらの負けだ。康太は動き回っていることで酸欠になりかけている頭を必死にまわそうと荒く息を吐いていた。
そして康太は自らがもっているお手玉をすべて手の内に出す。残っているのはお手玉三発。これを使い切れば康太の手持ちの装備は槍以外はすべてなくなることになる。
走り回り、再現の魔術を使って空中を走り続けているせいで魔力の量もだいぶ少なくなってきている。必死に魔力を供給しようとしても消費に対して供給が追い付かない状態だった。
これ以上逃げているだけでは必ず掴まる。そう思った康太は一つの賭けに出ることにした。
再現の魔術で空中に疑似的な足場を作り出しながら木々よりも高い場所に跳躍していく。
高さにしておおよそ二十メートル程だろうか、ここから落ちたら間違いなく死ぬ、それほどの高さである。
今日は穏やかな天気のはずなのに上空ともなると風が強い。康太は髪をなびかせながら自分を追ってくる炎の腕の位置を確認していた。
まるで自分の動きをそのままトレースしているかのような動きだ。もしかしたら自動追尾の性能も備わっているのかもしれないなと思いつつ康太はその手に持っていたお手玉の中身である鉄球を空中にまんべんなくばら撒いていく。
現在の高さが約二十メートル程。ここから落下させれば地上に到着するまでに二秒程度しかかからない。
そしてその時の速度はおおよそ時速七十キロ。当たればそれなりに痛みを覚えるだけの強さで直撃することになる。
康太がばら撒いた鉄球は自由落下の法則に逆らう事なく放物線を描きながらゆっくりと落下していく。下にある木の葉をすり抜け、まるで雨のように地面へと吸い込まれていく。
頭の中で二秒を数えると同時に康太はばら撒いた鉄球すべての物理エネルギーを解放していく。
唐突に鉄球が落下してきたかと思えばそれらが唐突に暴発する。相手がどのような対応をとったのかは知らないがこちらを追ってくる炎の動きが大きく鈍るのを確認すると康太はすぐさま木の下に下り適当な木の枝に足をかける。
すると康太の目には炎の光が乱反射する水の防壁を確認することができていた。
ようやく見つけた。
一度見失うとこれから先が面倒だ、康太は槍を構えながらその姿を確認するや否や再び再現の魔術を発動する。
木陰を利用しながら可能な限り接近し、今までストックした槍の投擲を再現していく。
「・・・ジャベリン・・・!」
ジャベリン、それは拳を大量に再現するラッシュと同じように槍の投擲を行ったときの康太の呪文だ。わかりやすくなおかつ短い単語、槍というそのままの意味だがそれでも十分だった。
今まで行った動作全ての投擲が目標に向けて放つ中、康太にめがけて先程まで自分を追いかけてきていた炎が迫っていた。
槍が直撃すると同時に康太は回避行動をとっていた。
最初から自分を追尾している炎が自動のそれに近いものであるとあたりをつけていたのである。
木の上、完全に相手からは見えないであろう場所に出て、周囲には索敵用の何かも存在しない。それでもなお追ってくる炎を確認して康太はそれを確信していた。
最初から勝手に自分を追ってきているのであれば見えている必要などない。だから今も自分を追ってきている。それくらいの想定でいたほうがいいと思ったのだ。
康太の槍の投擲の力をそのまま再現した魔術は水の防壁に突き刺さるだけではとどまらずその奥にいる魔術師の体にも何発か直撃していた。
そのほとんどは地面に突き刺さるような形になったが、脇と腕、そして片足を負傷させることに成功していた。
だがその代償は大きい。今まで逃げ回っていたというのもあるが先程の槍を一斉に発動したせいで康太の魔力はかなり減っていた。
残り魔力は大体三割程度といったところか。しかも装備もほとんどない。残されている装備は槍だけだ。
こうなってくると本当にまともな魔術師戦など望めない。いっそのこと急接近して近接戦闘を挑んだ方がまだ良いのではないかと思えるほどだ。
だが相手の手の内がわかっていない今むやみに突っ込むわけにはいかない。なにせ今回は足止めのためにこの場にいるのだ、余計なことをして人質にでも取られては小百合や真理に顔向けできなかった。
康太は半ば落下するような形で追ってきた炎を避けると、木や再現の魔術によって足場を作り何とか地面に着地していた。
その瞬間、康太の周囲に大量に球体が発生した。こちらが相手を発見しただけかと思っていたが捕捉されていたのだろうか。
否、周囲に発生している球体は自分のいる場所だけではなくこの一帯全域に蔓延っている。つまりは完全な無差別攻撃だ。
恐らく着地した時の音だけを聞いて地面に落ちてきたというのを確認したのだろう。
そして康太は周囲に顕現した球体を確認する。
それは先程のような炎の球体ではなく水の球体だった。
それぞれが直径十センチほどの水の球。それがどのような意味を持つのかはわからないが嫌な予感しかしなかった。
逃げなければ。
効果が発動するよりも早くこの魔術の効果範囲から逃げなければ、そう思い魔術を発動し上空へ逃げようとするのだが、数瞬遅かった。
康太が球体が蔓延る場所から数メートル上に駆けあがったところでそれは起きた。
水蒸気爆発とでもいえばいいだろうか、水が急激に温度を上昇させ高熱の水蒸気になって周囲にまき散らされていったのである。
それは強い風と熱を持って周囲のものすべてに襲い掛かった。
唯一無事だったのは水の防壁を張っていた魔術師だけである。
康太はその水蒸気の勢いによってさらに上空へと吹き飛ばされてしまう。途中木の枝や木の葉で体を傷つけながら木々よりも高い場所に無理矢理運ばれた。
とっさに外套で身を守ってはいたものの、水蒸気はあくまで気体だ。個体ではないために布で身を守ると言っても限界がある。
その証拠に体には強い熱が残っていた。一体どれだけの熱量をもって襲い掛かったのか想像もしたくない。
だが幸いにして木の上は風も強く康太の体の熱を程よく奪ってくれていた。
上空から見るとよくわかる。この一帯だけ水蒸気が上がり温度が非常に高くなっているのがわかる。
燃やすことなく周囲全体にダメージを与える、これほど水が危険なものだとは思っていなかった。康太は水属性の魔術の評価を根本から改めていた。
もしこれであのまま地面に居たらどうなっていたことか。康太は寒気がしながら再現の魔術を使って再び木の枝の上へと着地した。
水蒸気のせいで周囲は何も見えないに等しかった。これだけ大規模な魔術だ、相手の魔力消費も相当なものだっただろう。もちろん緊急回避するためにこちらもかなり余計に魔力を消費したがそれでもまだ体は動く。
康太は再現の魔術で地面につかないように先程まで魔術師がいた場所へと近づいていく。
もちろん直接見られることのないように木陰を移動しながら。
木陰から覗くように魔術師のいた場所を見るとそこには荒く息を吐きながら片膝をついている魔術師が見えた。
康太はこの時初めて相手の足を負傷させることに成功したことを確認したがはっきり言ってまったく嬉しくなかった。
足止めという意味では確かに十分仕事を達成したと言えるだろうがこれだけ攻撃のチャンスがあってあの程度の負傷しかさせられなかったというのは康太にとっては自らの未熟さの証明でもあった。
そんな確認をしていると康太は周囲の水蒸気が勢い良く動いていることに気付く。
一体なんだろうかと考えていると目の前に炎が迫ってきていた。
先程まで自分を追尾してきていた炎のことをすっかり失念していたのである。
康太は落下しながら炎から逃れるように再現の魔術を使い続けた。水蒸気が炎によって大きく動くためにその方向を知るのは容易だったが、それでも逃げ続けなければいけないというのはかなりつらかった。
まだあの魔術が生きていたのか、そう思った瞬間、康太の腹部に強烈な打撃が加えられる。
それは先程まで片膝をついていた魔術師による強力な拳だった。
誤字報告五件分、そして土曜日なので三回分投稿
これからもお楽しみいただければ幸いです