状況と怒る訳
「ここでいいですか?」
「あぁ、これだけ離せば干渉できまい・・・確認するぞ」
「・・・死んでませんよね?一応息はしてるっぽいですけど・・・」
康太たちは先程の襲撃地点から十キロほど離れた場所で車を止めていた。
尾行の事も考え、尾行させないための動きを心掛けたところで車を止めこの男が生きているか否かを確認しようとしたのだ。
「生きてはいるようだ・・・魔術を掛けられているのは間違いないな・・・背中の・・・あぁやはりか」
小百合が男の服の背中をめくり確認するとそこにはシップのようなものが貼り付けられていた。
それがゴーレムで言うところの核と同じものであるという事は康太にも理解できた。
つまりこれさえ外してしまえば魔術で操るということはできなくなるという事でもある。
「見たところ大学生くらいでしょうか?あ、財布発見・・・免許証もあります。年齢的にやっぱり大学生ですね・・・」
「この近くに下宿している輩か・・・あるいは旅行中に捕まえられた哀れな人間か・・・いや後者はないな。もしそんなことがあれば最悪警察沙汰だ」
「魔術使って口封じすればいいんじゃ・・・」
「一人の人間を捕まえるのにどれだけの人間に対して暗示の魔術を掛ければいい?そんなことをするなら一人暮らしの奴を適当に拉致ったほうが早い」
旅行しているような人間は大抵が誰かにそのスケジュールを話しているものだ。もし一人ではなく多数での行動をしていた場合、約束の時間に特定の場所に現れない時点で連絡を取る。
その連絡が取れなければ最悪警察沙汰になってしまう。そうなるといろいろ面倒だ。
友人間での旅行中の人間を狙うのであれば一人暮らしの学生を狙ったほうが比較的拉致は成功しやすい。何故なら一人暮らしの人間なら多少連絡が取れなくても心配いらないからである。
特に今はゴールデンウィーク中だ。大学生でも学校によっては授業があるところもあるが、基本的に大学の授業は出席をとったとしてもいない人間の事は気にしない。もしいなくても安否確認などはしないのだ。
仮に友人たちが連絡を取ろうとしても、ただ寝坊しているだけ、ないしどこかに行っている程度にしか思われず警察沙汰になるようなことはまずないだろう。
「・・・ひょっとして昼間に若い人があまりいなかったのって・・・」
「・・・少々暴論のようにも思えるが可能性としてはあり得なくはない・・・もっともどれだけの数の人間を操っているのかはわからないが・・・」
「これだけの人間に対してアプローチを行っているならもう事件の域に達していますよ?協会に報告したほうが・・・」
「報告するとして誰の仕業だと?しっかりと記憶処理もされているようだし問題はないように思えるが?むしろこいつらを傷つけた状態で残すことの方が問題になる。いやらしいやり方だが非常に効果的だな」
協会への報告は魔術的な事件の発生の時に行われる。今回の人間の操作は確かに事件と言えなくもないが今のところ目立った被害は出ていないのだ。
人間が十数人記憶を失いいつの間にか操られているというだけ、それが大学生というのであれば酒を飲みまくって記憶を失った程度の偽の記憶を植え付けておけば問題ない。
むしろこの行動は誰かに攻撃を誘発させようとしているようにも見えた。
「それってつまり、師匠が先に手を出すように仕向けてるってことですか?」
「可能性はある。大方私の普段の様子を聞いて手の早い人間だと勘違いしているんだろう。どちらにしろ不愉快なやつだ」
どのような魔術師が小百合をターゲットにしているのかは不明だが、相手が小百合を相手にして面倒な駆け引きをしているというのは十分に理解できる状況だった。
問題はどうして小百合を狙っているのかという点である。
「・・・師匠、今日仮面をつけたりはしてませんよね?」
「あぁ、どうやら相手はそれなりの使い手という事だろうな。全く面倒な・・・」
「・・・仮面をつけてても素顔がばれる事ってあるんですか?師匠の顔がばれてなきゃこんなことありえないですよ?」
小百合は今日ずっと素顔で行動していた。一度も仮面をつけていないことから小百合がデブリス・クラリスであるという事は周囲にはわからなかったはずなのだ。
仮面は魔術師が個人情報を隠すために付けるものだ。それを外している時は魔術師ではないと認識できる。
だがそれを見抜いて小百合を狙ったという事はすでに相手は小百合がデブリス・クラリスであるということを知っていても不思議はない。
「えぇ、魔術によっては相手の素顔を知ることだってできますからね。それを使って師匠の素顔をあらかじめ調べていたのかもしれません。素顔以外にも個人を特定する方法はありますし、素顔を知られているだけとは考えにくいですね」
「あるいは私がどんな魔術師であれ関係なかったかもしれんな。狙いはコルトの方かもしれん」
「・・・なるほど、ジャンジャック・コルトの関係者である可能性を加味して狙ったと・・・可能性はありますね」
ジャンジャック・コルトこと朝比奈、彼のような技術力のある人間を利用しようとすれば周囲の人間に目を向けるのは必然的だ。小百合がどんな魔術師でも関係ない、むしろ魔術師でなければなおよし。そう言うつもりで今回のことを起こしたのかもしれない。
特に朝比奈は協会に顔を出す回数が少ない。彼の素顔を調べスケジュールを確認し実行に移す。よほど計画を練っているのかもしれないという考えに至った時に三人の警戒のレベルはだいぶ上がっていた。
「とりあえず一度戻りましょう。この人はどうしますか?」
「その辺の道端にでも捨てておけ。外傷もないから問題ないだろう」
「一応後は確認しておきますね。あとベルに連絡して警戒するように言っておきます」
康太は男性を車に轢かれないように道の隅に放置すると携帯を操って文へと連絡を始めた。
面倒事が起こっているという事と警戒するという旨のメールを送ると後部座席から後方の警戒をし始める。
先程の男性を攫ったとき、康太が抑えている間は暴れていたが、車が発進して数分もするとまったく反応が無くなっていた。
ある程度の距離をとったことで恐らく魔術の効果範囲から抜け出したのだ。
魔術には当然のように効果範囲というものが存在する。その範囲は魔力の使用量やその魔術の特性、あるいは使用者の力量によっても変化するが、どんな条件においても必ず限界というものは存在する。
あの場で大量の人間が操られていたという事はまず間違いなくあの近くに魔術師はいたのだ。そして車によって距離をとったおかげで男性は操られなくなり動かなくなった。
あの場にいたという事はつまり遠くに行ってしまえば相手はこちらを捕捉できなくなる。まず第一なのは尾行の確認、そして相手に捕捉されないように動くこと。
そうでなければ今拠点にしている別荘にまで敵が押し寄せることになる。それだけは避けなければならない。
「ジョア、尾行警戒だ。分かってるな?」
「わかってます。ちょっと時間かかりますけどそのあたりは許してくださいね。ビー、後ろはお願いします」
「了解です、ばっちり見てますよ」
康太は後ろからやってくる車の有無を確認しながら集中を途切れさせないようにしていた。
真理はというと尾行を警戒しながら道を迂回しながらいくつも無駄な通り道や寄り道をしながら文の待つ別荘に戻っていた。
今のところやってくる人影も車も存在しない。どうやら問題なく振り切ることができたのだと康太は僅かに息を吐く。
「それにしても・・・あれだけの人を攫って師匠を襲うだけが目的だったんでしょうかね・・・あまりに非効率なような・・・」
もし康太があのような魔術を使えるのであればそもそも人を攫って操るという事はしないだろう。
さりげなく近づいて適当な箇所に張り付けて操るだけで小百合を事故に見せかけて殺すことだってできたはずだ。
小百合をはめようとしたというのは十分にわかる。魔術的に直接攻撃をしないであくまで日本の法律という形でからめとろうとした。非情に嫌らしい手だが的確だというのはわかる。
だがあのような形を取らずとも別の手段もあったように思うのだ。
特にあれだけの人数を集めることに対する意味が康太はいまいち理解できていなかった。
「人を集めるのには二つ意味がある。一つは今回のような搦め手に使う時だ。一般人を使えば一見すれば事故に見せかけられる。いやらしくも面倒な手だ」
「・・・もう一つは?」
「魔術の実験に使うためだ」
実験。
それがどんな意味を持つかくらい康太だってわかる。それを想像して康太は僅かに嫌な予感がした。この予感が的中していなければいいのにと、そう思えるほどに。
つまりは魔術に対する被験者にしようという事だ。だが魔術の実験、いや魔術の鍛錬という意味では康太も似たようなことをしている。
暗示の魔術の練習という形で康太は両親に暗示の魔術を一日に数回試している。そう言う意味では康太も同じことをしていると言えるが小百合が今言った言葉には別のニュアンスが含まれている。
そして康太が感じた嫌な予感というのはある意味的中してしまっている。何故なら小百合だけではなく真理もあまり良い表情ではなくなっているのだから。
「それって・・・俺のやってるような暗示の訓練とかでは・・・」
「ないだろうな。まず間違いなく別の魔術の実験だ。それもひとさまには言えないような形で使うような・・・そうだな・・・言い方を少しわかりやすくすると人体実験といったところか」
人体実験という言葉を聞いていいイメージを浮かべるものは少ないだろう。今までの科学技術や医学は数多の人体実験の結果のたまものだ。その全てが無意味であるとは康太も思っていないがそれら全てが必要であり、なおかつやってよかった、やらなければならなかったかと言われると首をかしげてしまう。
特に今回のような魔術による人体実験がどのような意味を持ち合わせているのか、それに関してはもういい予感はしなかった。
「・・・やっぱり、魔術の効果を確認してるとかそう言う事ですか?」
「それだけならいいがな・・・魔術師としての限界を越えようとしている輩にとっては人間はいい材料だ。いくらあっても困ることはないだろうよ」
魔術師としての限界。
康太にはその言葉の意味がよくわからなかった。
魔術師に限界があるのは理解している。個人の素質にもよるが、必ず限界というものは存在する。
一度に操れる魔力の量が限られている時点で必ず魔術の出力にも限界が来てしまう。いくら術式の効率を上げてもそれは絶対だ。いくら筋肉を鍛えようと巨大な岩を砕けるようにならないのと同じように、人間が単独の力で空を飛べないように、必ず限界というものは存在しているのだ。
「あ、やっと帰ってきた」
康太たちが別荘にたどり着くと、別荘の入り口には文が待っていた。
一応周囲の警戒をしていたのだろう、その表情は険しく、康太たちの姿が見えるとほんのわずかにその表情を緩めていた。
「ライリーベル、周囲の警戒は?」
「一応結界を張ってあります。入ってくるものがいれば感知できるように・・・でも何があったんですか?ビーの説明じゃ要領を得なくて・・・」
康太も可能な限りメールで説明しようとしたのだが、生憎メールに魔術のことを文章として残すと後々面倒なことになる。その為に可能な限り情報を隠して危険であることと警戒しておいた方がいいという事だけを伝えたのだ。
「その話は中でする。悪いが水を貰えるか?軽く酒を抜いておきたい・・・ジョア、車を頼むぞ」
「は、はい。ちょっと待っててください」
文はキッチンまで向かい適当なコップに水をくんで小百合の下まで持ってくる。真理は別荘の近くに車を駐車するとすぐに鍵をかけて別荘に駆けこんでくる。
「姉さん、尾行は大丈夫でしょうか?」
「人間の速度で追いつけるのにも限界があります。一応発信機の類も警戒しましたがそれらしいものは無し・・・問題はないでしょう。それよりも問題は・・・」
真理が視線を向けた先は小百合だった。その表情は決していいものではない。むしろ腹を立てているのか眉間にしわを寄せてその手に持っているコップを握りつぶさん勢いだ。
一体何に腹を立てているのかはわからない。だが今の小百合には不用意なことを言うのは避けたい。いつ八つ当たりされるかわからない、そう思えるほどに今の小百合は不機嫌だった。
「ジョア、ビー・・・明日からの予定があるとしたら諦めろ。私は今回のことを見てみぬふりをするつもりはない。いいな?」
「・・・はぁ・・・わかってますよ。ただ今回はビーとベルがいるってことも考えて行動してくださいね?」
「あぁ、最低限配慮する」
見てみぬふりをするつもりはない。それがどのような意味を持つのか康太も理解していた。
つまり今回の相手である魔術師は、小百合の逆鱗に触れてしまったのだ。それがどのレベルのものなのかはわからない。だが明らかに今回の件に関して不快感を抱いているのは確かだ。
「・・・師匠って案外正義感が強いんですか?人を操ってるのを怒るってことは・・・」
もし小百合があの人々を操っている魔術師に対して怒っているのであれば、案外まともな判断ができるのではないかと期待したのだが、どうやらそう言う事でもないらしく真理は複雑な表情をしている。
「・・・いいえ、師匠が怒ってるのは多分別件ですね・・・」
「・・・じゃあどんなわけで・・・?」
一体どうして小百合はあんなに不機嫌なのだろうかと康太が疑問を浮かべていると、真理はゆっくりと視線を動かす。その先には先程まで康太たちが乗っていた車が存在した。
「車が・・・どうかしたんですか?」
「・・・師匠ってあれで実は自分のものとか汚されたり壊されたりするのすごく嫌うんですよ・・・さっきの人達、手も足も結構汚れてたんで・・・たぶん車のフロントとかは汚れがついてるかと・・・」
今は夜遅く照明も少ないおかげで目立たないが、恐らく朝日が昇ればその汚れが目立ってくるだろう。
つまり小百合は『無関係な人間を操っている非人道的な魔術師』に怒っているのではなく『無関係な人間を使って自分の車を汚した』ことに対して怒っているのだ。
なんという沸点の低さだろうか、いや自分のものを汚されれば怒るのは普通の反応かも知れないのだが、それで潰されようとしている魔術師は哀れだというほかない。
そしてそれに巻き込まれようとしている康太たちもまた、不運だというほかないだろう。
小百合を怒らせてしまったのが運の尽き、こればかりはどうしようもない。
「あのー・・・師匠・・・一応確認しておきたいんですけども・・・相手はどれくらい叩き潰せばいいんですか?」
既に叩き潰すことは決定しているのだ。その度合いがどれくらいなのかははっきり言って小百合のさじ加減次第。康太は確認の意味も込めて小百合に問うと、彼女は口元に手を当てた後でにやりと笑う。その笑みは慈愛に満ちたものとは対極、これからどうやって相手を潰そうかを楽しそうに考えている邪笑だった。
「そうだな・・・軽く生きていることを後悔するくらいに叩き潰すか。人間の尊厳をすべて踏みにじるのもありだな・・・」
「あ・・・わかりましたもういいです」
つまり小百合は今回の相手を許すつもりはないという事だ。こうなったら自分達では止められない。
最悪警察沙汰になるかもしれないなと思ったが、恐らくこういう場合やってくるのは魔術協会だろう。
康太はちらりと真理の方を見るが、彼女は首を横に振りながらため息をついている。
恐らく今までこういう形で魔術師を叩き潰すことや、面倒を起こすことが多かったのだろう。真理はもはやすべてをあきらめたような、悟ったような表情をしている。
「あのさ・・・私まだ一向に状況がつかめてないんだけど・・・さすがにそろそろ説明してくれないかしら?」
「あぁすまん忘れてた・・・えっと・・・とりあえず大まかに話すとだな・・・」
完全に置いてけぼりにされていた文を見かねて康太は今の状況を教えることにした。一般人を操って小百合をはめようとした魔術師。そして車を汚されてブチ切れている小百合。それに巻き込まれようとしている自分達。ある程度の状況を教えると文はものすごく嫌そうな表情をしていた。
誤字報告五件分、そして日曜日なので三回分投稿
これからもお楽しみいただければ幸いです