弟子たちの訓練
小百合がそんな風に飲んでいるとはつゆ知らず、康太たちは魔術の修業ついでに軽く組み手を行っていた。
魔術の修業で組み手を行うというのは正直どうなのだろうかと思えるかもしれないが、この訓練は絶対と言えるほど必要なものなのである。
思考の瞬発力をつけると言えばわかりやすいだろうか、相手の行動に対して適切な行動をとることができるようにするにはこのような組み手が一番手っ取り早いのである。
もっともこれで身につくのはあくまで肉体的な反射に近い。相手が拳を振り上げたら距離を取りながら対応するか相手の懐に潜り込むという二択だ。簡易的ではあるが反応できて損はないという事であるが魔術師としてはまだ足りない。
この修業の最終段階としては組み手を行いながら魔術で対応するということが求められる。つまり一瞬の間にどの魔術が最適かを導く力が必要になってくるのだ。要するに今はまだ土台固めといったところなのである。
元々男子である康太の方が身体能力では勝っている。だが実際に真理と組手を行うとこちらの打撃は軽くいなされ、相手の拳はほぼこちらに命中する。そんなやり取りが繰り返されることになる。
小百合と違って真理はちゃんと加減をしてくれているためにそこまで痛くはないが、それでもほぼ一方的に殴られるというのはいい気はしない。少しでもやり返そうとむきになればその隙を突かれて再度一方的に殴られるという悪循環だ。
この修業では感情的になってはいけないのである。常に冷静に、常に相手の状態を見ながら判断しなければ勝てない。
康太の構えはほぼ空手、あるいは柔道のそれに近い。左手を前に、右手をやや引きめに構え、足は常に動きやすいようにやや開いて腰を落とす。
拳でも蹴りでもすぐに反応できるように手の位置は肩と同じくらいだ。移動も防御も攻撃もできる構えと言ってもいい。
真理の構えも康太とほぼ同じ。若干違うところがあるとすれば康太よりも左腕がやや伸びているというところだろうか。距離を測る意味があるのかそれとも何か別の思惑があるのか、真理の左腕はほんのわずかに曲げられている程度、あの状態では攻撃に流用できるとは思えない。
そしてその考えの通り、真理の左腕は今まで一度も攻撃には使われていない。康太の拳に対して添えるような形で常に防御だけに徹している。
体格差に物を言わせて強引に懐に入ろうとするのだが、真理の足さばきによって華麗に躱されてしまうのだ。
タックルなどで追い込もうとしても左腕と足を使って軽く飛び越えながら蹴りを入れてきたり、左で牽制しようとするとその左をかいくぐって足技を多用してきたりと康太に対しては腕の攻撃よりも足の攻撃の方が多いような印象を受ける。
リーチはこちらの方が上、一方的に攻撃できるはずなのだがなぜかいつの間にか真理の攻撃の射程距離に入ってしまい適度に殴られる。ヒット&アウェイが非常に上手い。いや相手と自分の攻撃の射程距離の把握が上手いのだ。
恐らく真理も同じような訓練を受けてきたのだろう。技術も考え方も反応も康太よりずっと上であることがうかがえる。その証拠にタコ殴りにされているわけだが。
「ここまでにしましょうか、次は文さんですね、どうぞかかってきてください」
「はい、よろしくお願いします」
康太が適度にボコボコにされたところで相手を変えて再び組手の修業に入る。身体能力的にはほぼ互角、つまりは技術的な違いだけが現れる。
腕や足のリーチも大体同じくらいだ。一方的な戦いになるとすればそれは技術の違いだけである。
真理の構え自体は変わっていない。左腕を前に突き出した独特の構えだ。
対して文の構えは腰を落として前傾姿勢。今から突っ込むぞというのが全身に表れている構えだった。
両腕をほぼ同じくらいに前に出す、ボクシングの構えに似ているかもしれない。相手の攻撃に対して懐に潜り込もうとしているというのがありありとわかる構えである。
その構えを見ても真理は構えを変えることはしなかった。その必要がないと判断したのだろう。薄く笑みを浮かべながら左手でかかってきなさいという動きをして見せる。
文が動いたのはそのすぐ後だった。全力で突っ込めば相手の攻撃はできても一回、それを防御してしまえば懐に飛び込める。
先程の康太の行動を見てやはり懐に飛び込むことこそ重要であると感じたのだろう。真理は異様に接近されるのを嫌がっているように見える。
こちらが接近すればその分だけ引っ込む。逆にこちらが引けばその分前に出る。典型的なヒット&アウェイの戦法をとってきている。
問題は相手の技術が高すぎて追い込んでいるはずなのに一方的に攻撃されてしまうという点だ。
互いの射程距離に入った瞬間、先に動いたのは真理だった。文は完全に両腕を使った防御態勢、攻撃をするよりも多少無理をしても懐に入ろうというつもりである。
それに対して真理が動いたのは足だった。両腕で防御されては自分の拳では突き崩せないという判断だと感じた文はその動きを見てどの攻撃が来てもいいようにしっかりと防御を固めていた。
だが真理の足は文の防御を完全に無視していた。否、正確に言うのであれば防御をする必要がない動作をしていた。
真理は低い姿勢で接近してくる文に対して逆に自分も前に出た。そして上から拳を叩き付ける動きを見せる。多少虚を突かれたがそれでも拳程度の動きであれば十分耐えられる。文は腕に力を込めるがヒットの瞬間真理の拳は開かれていた。
打撃ではなく掴み技。それを理解したころにはもう遅い、真理は文が反応しきるよりも早く体全身を使って文を捻りあげてしまった。
「戦いにおいて実力が拮抗した相手を突き崩したいのであれば、相手の思いもよらない行動をとるしかありません。それは格闘でも魔術戦でも同じです。先程の康太君との戦いを見て打撃ばかりで掴み技がないと思いましたね?拳と蹴りを警戒し過ぎです」
文の関節を極めながら真理はその体を組み伏せていた。先程までの打撃もそうだが組み技も恐ろしいまでの技術だ。護身術にしては些か出来過ぎではないかと言えるレベルである。
特に腕を掴んでからの過程がすごかった。恐らく掴まれていた文は早すぎて上手く目で捉えることができなかっただろう。
真理は文の腕を掴むと腕力で軽く捻り、完全に関節を極めるために体全身を使って捻りあげた。そして同時に足払いをかけて体勢を不安定にさせるともう片方の腕を使って文の体を引っ張り跳び上がりながら体重をかけて転倒させた。
一連の動作を一瞬でできるようになるまで一体どれほどの鍛錬を積んだのだろうか。恐らく康太が相手になっても軽く転ばされてしまうだろう。
「うぅ・・・思い切り引っかかった・・・」
「ふふ・・・戦いが終わったからと言って相手がすべての手の内を明かしたとは思わないことです。常に次の戦いに目を向ける立ち回りをするのも大事なことですよ」
康太の次に文が控えているということがわかっているのだからすべての手の内を見せるはずがない。
先程までの組手では康太に対して徹底的に拳や蹴りといった打撃のみの攻撃を繰り出していた。だからこそ文は組み技はないと思ったのだが、完全に読みが外れた結果になったのである。
魔術師というのは自らの手の内を隠すものだ。肉弾戦でも同じことだが自分ができることをいかに隠し、相手をだまして優位性を作り出すかが重要になってくる。
そう言う意味では読み合いを制さなければ戦いには勝てないということになる。ただ単になぐり合い、魔術を撃ち合うだけでは勝つことはできないのだ。
「姉さんも師匠にこうやって修業されたんですよね?」
「そうですよ?さっきの言葉は師匠からの受け売りです。虚を突くこと、そして手の内を隠すこと。小狡いかもしれませんが必要なことです」
小百合は常に手の内を隠し、なおかつ徹底的に攻撃するという事で康太たちを鍛えている。はっきり言って嬉しくもあり辛くもあるのだが、同時に小百合はまだ康太たちに手の内の全てを一度も見せていない。
魔術師として正しい姿でもある。こういう魔術師になれという姿を自ら体現しているかのようだ。
「でも小百合さんってもっと大雑把な人だと思ってました・・・とりあえず壊しときゃいいやみたいな・・・」
「あはは・・・あれで師匠は結構知略家ですよ。壊すことに特化しているのは否定しませんがそれ以上にあの人は魔術師の攻略が上手いんです」
無属性の魔術は総じてわかりにくいものが多いですからねと付け足しながら真理は自らの手のひらに水の球を作り出す。
流動しながらその形は変わっていき小さな輪を作り出していく。
「属性魔術と違って無属性の魔術は基本的に目に見えないものが多いです。そうなると相手にはどんな魔術を使っているかがわかりにくくなります。そう言うのを利用して師匠は相手の思考の裏をかいたりするんですよ」
「あー・・・そう言えば地味だって良く言ってましたもんね。そう言う利点もあるのか」
「康太君の場合は使い方が素直すぎてすぐに把握されてしまいますけどね。特に文さんも最初に戦った時康太君の魔術を大雑把ではありますが理解できたのでは?」
康太が文に対して使った魔術は分解と再現の魔術だ。特に攻撃を受けた時、再現の魔術に対してはほぼ正確に理解できていた。
射程距離の関係や攻撃を受けたタイミングなどから、文は最初攻撃の動作を複製する魔術であると考えた。射程距離は拳や武器のそれと同じ、つまり接近しなければ使えない類の魔術であると。
その考えはほぼ正解に近い。当時投擲武器を所有していなかった康太はとにかく接近することでしか戦えなかった。だからこそ文に簡単に魔術の把握をされてしまったのだ。
「確かに、康太の行動ってわかりやすいのよね・・・肉弾戦は結構いけそうなのに魔術が絡むと妙にバカ正直っていうか・・・」
「それ褒めてないよな?ていうかあれ以外に使い道がないんだよ」
「そこが康太君の改善点ですね。魔術というのはばれればその時点で攻略されたと同義です。魔術を使ってもどんな魔術を使っているかばれないようにするのが大事です」
せっかく無属性が得意なんですから頑張って考えてくださいねと真理は笑って見せた。教えてくれないんだなと康太は項垂れるがこういうことは自分で考えなければ意味がないという事も理解していた。
康太の場合使える魔術の量が圧倒的に少ない。つまり一つの魔術をどれだけ応用できるかどうかで変わってくるのだ。
今覚えている魔術の中で戦闘で十分使える魔術は三つ。分解と再現と蓄積だ。この三つを使う時いかにばれないように工夫するかが今の康太の課題になりそうだった。
もっとも簡単に行くとも思っていない。相手が魔術師である以上隠すのが容易ではないことはすぐ考えつく。
自分が隠そうとしているように相手も魔術を暴こうとしているのだ。魔術師としての戦いをしようとすればするほど考えることが多くなり、自分のできることがいかに少ないかが浮き彫りになっていく。
だからこそ初陣で小百合は康太に対して魔術師として戦うなと助言をしたのだ。今さらになってその言葉の重要性を理解した康太は今後どのように魔術を使っていくかを考え始めていた。
ちょっとまた予約投稿になりそうなのでお詫びで二回分投稿
反応が遅れてしまうかもしれませんがどうかご容赦ください
これからもお楽しみいただければ幸いです