大人の気遣い
「じゃあこれが紙と薬の料金。確認してくれるかな?」
「・・・はい、丁度お預かりします。ありがとうございました」
「こちらこそありがとう、これから君たちはどうする予定なのかな?」
真理が代表して金を受け取るとその場に蔓延していた緊張感は僅かに緩み、魔術師同士の商談が終わったことを表していた。
康太は残った商品をまとめ、小百合はそれを見ながら腕を組んでどうしたものかと悩んでいるようだった。
「とりあえずこの後の予定はありません。弟子たちが何か申し出があるならそれもよし、なければ別荘に戻ってのんびりしようかと」
そう言って小百合は康太と真理、そして文の方に視線を向ける。
何か要望があれば言ってみろという意味の込められた視線であるのは理解できるのだが実際何をしたいかと言われてもそう簡単には出てこないものである。
何よりこの辺りでいったい何ができるのかもわからないのだ。
「姉さんは何かありますか?俺この辺り来たことないんで何があるかすら知らないんですけど」
「そうですねぇ・・・実際飲食店やちょっとしたお店くらいしかないと・・・あとは少し行ったところにお城とかありますけど・・・」
「城って結構有名なものなんですか?」
「いいえ、そこまでではなかったと思います。私自身あんまり覚えていませんし・・・」
どうやら真理もこの辺りの地理に疎いようだった。有名な店などがどこにあるか程度は調べられてもどこか遊びに行けるだけの場所があるかと聞かれると疑問符を飛ばしてしまうようだった。
実際自分が住んでいるところ以外で高校生や大学生が遊ぶべき場所があるかと聞かれると微妙なところである。
時間をかけて移動すれば近くに有名な遊園地くらいあるかもしれないがそれなら朝から移動して向かいたいところだ。
既に時刻は十四時を過ぎている。今から動き出したのではあまりにも遅すぎるのだ。
今日何をして過ごすか。商談も終わってしまい康太たちは実際やることをすべて終えてしまったのだ。
そんな中康太は朝比奈の方を見てそうだとあることを思いつく。
「あの朝比奈さん、今日ってお時間まだありますか?」
「ん・・・そうだね・・・向こうに帰るにはまだまだ余裕があるけど、どうしたんだい?」
「いえ、実は俺たちに方陣術をちょっと教えていただけたらなと思いまして」
その言葉に大きく反応したのは他でもなく文だった。
彼女は朝比奈の方陣術の技術に非常に興味を持っていた。康太が教わるならぜひ自分も教わりたいと考えていたのである。
康太が俺たちといったのは文のことを含めているのだ。そのことを理解しているのか朝比奈は難しい顔をしていた。
「んんん・・・ちなみに教えるってどのレベルだい?僕の技術の全てってのはさすがに無理だよ?」
「いやそこまではさすがに俺が無理です。実は俺まだ方陣術のほの字も分かってないんです。まだまだ駆け出しでして」
「あぁなるほど、つまり基礎的な事とかコツとかそう言うのが聞きたいんだね?」
そうですそうですと頷くと文はゆっくりと康太の近くに歩み寄っていた。可能なら自分も朝比奈に指導してもらいたいと考えているのだろう。彼女の目が光り輝いているのが振り返らなくても分かる。
そしてそんな羨望のまなざしを向けられていることに気付いているのか、朝比奈も悪い気はしていないようだった。
だがやはり難しそうな顔をしながら小百合の方を見る。
「こういってるけど、小百合ちゃんとしてはどうなんだい?彼の師匠は君だろう?方陣術に関しても君が教えたほうがいいんじゃないかな?」
「私が教えることはあくまで基礎的な事だけです。何よりこいつはまだ普通の魔術をようやく扱えるようになったばかり、方陣術に手を出すのは時期尚早かと」
「ふむ・・・本当に駆け出しなんだね・・・それなら方陣術の技術を教えるのは確かにまだ早いかもしれないね・・・」
方陣術の技術が難しいのはあらかじめ聞いていた通りだ。そんなものに先走って手を出しても何も習得できないのが関の山である。
足し算もおぼつかない小学生が微分積分に手を出そうとしているようなものだ。その場で何をしているかを教えても恐らく何をしているのか、どのようなことをしているのかさえ理解することはできないだろう。
「でも少しでも教わりたいっていう向上心はなかなか好感が持てるね。そうだなぁ・・・じゃあ君がもっている魔術の中で一番得意なものを言ってくれるかな?」
「え?一番は・・・」
康太が小百合の方に視線を向ける。自分の魔術を小百合の知り合いとはいえ話していいものか迷っていたのだ。
視線を向けられた小百合もその意味を理解したのか問題ないというかのように小さくうなずいてみせた。むしろこのまま黙っている方が失礼だと思ったのだろう。
「俺が一番得意な魔術・・・っていうか練度の高いものは『分解』です」
「分解か・・・なるほど、じゃあちょっと待っててね」
朝比奈は自分が購入した紙の一枚を取り出すと持ち運びやすい形に切り揃えてから方陣術を描き出す。
一秒と経たずにそこには複雑な紋様の方陣術が書き込まれていた。
「これを分解したいものに張ってから魔力を流して約五分後に術が発動するようにセットしたよ。これに流し込めるだけの魔力の調整を身に付けたら使うといい」
「え!?い、いいんですか?こんなの貰って・・・」
「いいのいいの、君はなかなか見どころがありそうだからね。小百合ちゃんの弟子っていうのもあるけどちょっと贔屓したくなったのさ」
康太のどこがそんなに気に入ったのか知らないが、複雑な紋様の方陣術が描かれた紙を受け取って康太はありがとうございますと頭を下げていた。
実際この紙の中にどれほどの情報が込められているのかはわからない。恐らく康太が扱う分解とは少し違う術式が入っている可能性があるが、それでも分解という効果の魔術であることに変わりはないだろう。
そして康太はすぐに気づく。自分に対して嫉妬にも似た視線が向いていることを。
その視線の元は確認するまでもない、やや後方にいる文から注がれていた。
朝比奈から方陣術を一つもらえたというのがそんなに羨ましいのか、眉間にしわを寄せているのが振り返らなくても分かるほどの目力だ。
「・・・あの、朝比奈さん、よかったらこいつにもなんか方陣術を用意してあげられませんか?なんか俺だけ貰うってのは不公平な気がして」
同盟を組んでいるというのもあるが、自分だけ朝比奈に目をかけてもらっているようで康太は正直いい気はしなかった。
もちろん贔屓してくれているわけではないだろうし文を除け者にしているわけではない。朝比奈にそのつもりもなければ悪意もないのはこの場にいる全員が承知していることだった。
康太の意図を感じ取ったのか朝比奈は紳士的な笑みを浮かべた後小さくうなずいて見せる。
「あぁもちろんいいよ。それじゃあ君が一番得意な魔術を教えてくれるかな?」
「は、はい!えっと私の得意な術式はこれです」
そう言って文は自分の持っていた紙に一つの方陣術を作り出す。その中には術式が込められており朝比奈はそれを読み取ってなるほどねと呟きながら彼が購入した紙を一枚取り出していくつもの絵柄を描いていく。
それが一つ一つ独立しているものであると康太は気づけなかった。康太に渡したような一つの小さな術式ではなく、彼女に渡したのはその全てで一つの術式としての意味を成す康太よりずっと上級者用の術式であることが理解できた。
「君は自分で方陣術を作ることができるみたいだから比較的カスタムしやすいものを作っておいたよ。それぞれの独立した術式に連結することでいくつか応用がきくようにしておいた。活用するといい」
「あ、ありがとうございます!大事にします!」
自分のために新しい術式を作ってくれたというのが嬉しいのか文は目を輝かせている。朝比奈に術式を作ってもらうというのが一体どういう意味を持つのか康太はいまいち理解できなかったが、それでもなかなかやってもらえることではないというのがわかる。
なにせ協会に行けばすぐに仕事を押し付けられるような実力者だ。術式作成依頼の予約が年単位で埋まっていても不思議はない。
「すいませんこいつらのためにわざわざ・・・」
「気にしなくていいさ。何より若い子たちに慕われるっていうのは僕としても嬉しいからね」
康太たちにわざわざ方陣術を一つ作らせてしまったことを申し訳なく思っているのか、それともわざわざ方陣術を作ってくれたことが嬉しいのか小百合は複雑そうな表情をしていた。
目をかけてくれているという意味では感謝するべきところなのだが、今回はただの商談できたのだ。そんな中方陣術を作らせるというのは時間外労働に等しい。
朝比奈にいろいろと関わりのある小百合としては申し訳なさの方が若干勝っているようだった。
「姉さん、これって発動するの難しいですか?」
「そうですねぇ・・・そこまで難しくはないですが康太君のレベルではまだ無理でしょうね。方陣術の基礎から学ばないと」
「やっぱそうですよね・・・よし、これは大事にしまっておこう」
康太は方陣術の基礎も何も学んでいない。知識自体は身に着けていてもそれを発動できるだけの技術が全くないのだ。
それらを身に着けるまではこの方陣術はお預けということになる。少々もどかしさも感じるがそれ以上に自分の実力をつければ使えるようになるというのは嬉しいものだ。
実力を付けた後にやってくるご褒美のようなものだと思い、康太は方陣術の描かれた紙を自分の財布の中に入れておくことにした。
今後自分の実力が上がり、方陣術を扱えるようになったその日にはこの方陣術の紙を見ておくべきだろう。
そしてその時ようやく朝比奈の技術の高さと、文がここまで感動している理由を理解できる。
それまでは康太にとってこの紙はご褒美のようなものであり未熟な自分の証でもある。
財布の中に入れておくのは少しお守りのような雰囲気があるが、実際にお守りとしての効果など全くないのだ。
とりあえず目の前に目標ができたことで康太はやる気を出すのだが、それでもまだまだやらなければいけないことが山ほどある。まだ方陣術の修業には移れないだろうと思いながら小さくため息をついて財布をしまっていた。
実際これが使えるようになるのは一体いつになるだろうか。魔術の発動しかできない自分が方陣術を使えるようになるまでの時間。小百合や真理は今年中には発動だけならできるようになるだろうと言っていたがそれでもかなり長い月日が必要になる。
先は長い。まだその一歩目すら歩みだしていない康太には想像もできない境地だった。
「さて、結局今日はどうするか・・・別荘に戻って修業でもするか?」
「それもいいですけど・・・師匠、もうお酒は飲まないでくださいよ?止めるの面倒なんですから」
「あぁ?休日に酒を飲んで何が悪い。私は飲むぞ、止めたいなら好きにしろ、その時はどうなるかわかっているだろうな?」
昨日のあの惨状を思い出して康太と文は眉をひそめる。そして酔った小百合の被害にあった真理は顔色を悪くしていた。
また今日もあの酔っ払いに絡まれる作業が始まるのかと苦虫を噛み潰したような表情になってしまう。
そして三人のそんな様子を見てか朝比奈が小さくうなずいてからにこやかに笑みを浮かべた。
「それならどうだい小百合ちゃん、今日は僕と一緒に飲みに行かないかい?せっかく君も飲める年齢になったんだしさ」
「え・・・?それは適当な店にという事ですか?ですが今日は車で来ているのでは?」
「大丈夫大丈夫、妻に迎えに来てもらうから。静岡と愛知の県境に良いお店があるんだ。この子たちを別荘に送ったら僕の車で行けば君は電車で帰れるよ」
帰りのタクシー代くらいは持ってあげるからと言われ小百合は返す言葉が無くなってしまっていた。
なにせ年上でしかも恩のある相手から誘われては断りようがない。小百合は一度康太たちを別荘に送った後朝比奈の車で飲みに行き、飲んだ後は電車で最寄り駅までやってきてからタクシーで別荘まで。
そして朝比奈は妻に運転を代わってもらい帰ればいい。確かに何も問題はないように見える。
朝比奈の妻が運転を快く代わってくれるような人なのかと康太は感心していた。というか何だか悪いような気がするのだ。
運転させるためだけに呼び出すというのは相手にも失礼なのではないかと思えてしまう。
「それとも僕と飲むのは嫌かな?」
「いえ、ご一緒させていただきます。そう言う事だお前ら、私は一度出かける。お前達は別荘でのんびりしていろ」
小百合がそう言う後ろで朝比奈は小さく親指を立てながらにっこりと笑っていた。
弟子達を休ませるために一芝居うって小百合を連れ出してくれたのだという事を理解した三人は心の底から朝比奈に対して賛辞と感謝を送っていた。
こういう気配りのできる大人になりたいものだと三人は考えをシンクロさせていた。小百合に対して妨害をするわけでもなく、むしろ一緒に楽しむためにその行動を制限し迷惑を掛けられる人間を自動的に救済する。
これができる大人の余裕のあるふるまいなのかと康太たちは感動していた。
「じゃあ荷物とかは適当にしまっておきますね。いつごろ帰ってきますか?」
「あまり遅くならないようにはするよ。たぶん今日中にはこっちに帰れると思ってて。終電もあるしね」
小百合は帰りに電車を使うという事もありある程度終電を意識して飲まなければならないだろう。
そして先日のような徹底的に飲むということはできない。恩のある相手に対して失礼な行動はできないのだ。ある程度良識ある飲みかたをすることになるだろう。
どちらにせよ康太たちに被害が及ぶことはまずない。小百合たちが出かけてからは一時の安息が訪れることになる。
「ちなみに小百合ちゃんお酒なら何が好き?日本酒?ビール?それともワインかな?」
「私はどれでもいけますが・・・しいて言えば日本酒でしょうか」
「それなら和食メインのお店の方がいいね。いい店を知ってるよ。今日はそこにしよう」
「わかりました、ご一緒します。奥方に会うのも久しぶりですね」
朝比奈の妻とも面識があるようで、これなら面倒なことにはならないだろうなと康太たちはほんのわずかに安堵していた。
これなら万が一にも小百合が暴れ出すようなことはないだろう。少なくとも朝比奈の方に迷惑をかけることはなさそうだ。
「やりましたね姉さん。今日はぐっすり休めそうです」
「そうですね、今日は三人でのんびりしましょうか、それとも修業でも頑張りますか?」
「ある程度やったら今日は安息日にしたいです。せっかく羽を伸ばすチャンスですから」
「・・・お前ら私がいないからと言って羽目を外しすぎるなよ?」
小百合の言葉に康太と真理と文はにこやかな笑顔と共に何度も頷く。
自分がいなくなることがそんなに嬉しいかと小百合は若干苛立ちを覚えながらも小さくため息をつく。
自分の酒癖の悪さは自覚しているのだろう。小百合は今どうやって朝比奈達に迷惑を掛けないようにするべきかを考えているようだった。
ともあれ朝比奈の機転のおかげで康太たちの今日の平穏は守られた。あとは今日が終わるまでをどのように過ごすかという事である。
「そうと決まれば今日は気合を入れて料理しますか。せっかくですからちょっと豪華なカレーにしましょうかね」
「いいですね、俺も手伝いますよ」
「私も手伝います。今日はゆっくりできそうですからね」
「・・・お前ら明日覚えていろよ、徹底的にしごいてやる」
自分がいなくなるとわかった時点でここまで生き生きしている三人に小百合は僅かに殺意さえ覚えていた。
そして次の修業をする時はとことんいじめ抜いてやろうと心に決めたのである。
誤字報告が十件分来たので三回分投稿
ようやく予約投稿から抜け出せました、反応が遅くなり申し訳ありませんでした
これからもお楽しみいただければ幸いです