彼らの願い
アリスが去った後でもまだ、デビットは墓の前に立っていた。
自分の中で折り合いがつかないということなのだろうか、それとも先ほどのアリスとの会話を思い出しているのだろうか。
そんな中、康太はふと気づく。自分の体が動くということに。
デビットの体は、まるで自分のもののように動く。先ほどまで、自分の意思では動かせなかったというのに、今はまるで自分がデビットであるかのように、当たり前のように動いた。
木で作られた粗雑な墓。康太はそれを前にして手を合わせた。
西洋の人間からすれば、あまり見ない祈りの形だっただろう。西洋では手を合わせるのではなく、手を組む、あるいは十字を切るといった動作が祈りの所作だ。
日本のような手を合わせるというのは、本来はあまり見ない祈りの姿だ。
「君も祈りをささげてくれるんだね」
その声が聞こえた瞬間、康太は振り返る。そこには、わずかにやつれたデビットが立っていた。
自分の体が今デビットであったはず。なのに目の前にやつれたデビットがいるという光景に、康太は混乱してしまっていた。
未だ自分の体は八篠康太になっていない。まだデビットのままだ。
だが目の前にはデビットがいる。この現象が一体どういうことなのか、康太は混乱してしまっていた。
何より、この目の前のデビットは、今康太を認識している。
それがそもそもおかしいことだった。だがデビットはそのようなことは全く意に介さずに康太に歩み寄る。
「彼らも、君に祈りをささげられて、おそらくは喜んでいるのだと・・・思うよ。君は私と同じ・・・いや、それ以上の理解者だからね」
「何を言って」
デビットが墓の方に視線を向けたために、康太も同じように墓の方に視線を向けるが、そこには先ほどとは違った光景が広がっていた。
先ほどあったのは粗雑ながら丁寧に埋葬された墓が一つだった。だが目の前には、すでに二十近い墓が並んでいる。
いったい何が起きたのか、康太が混乱している中、デビットは康太の横に跪くと祈りを捧げ始めた。
「君には・・・申し訳ないと思っているよ。もう少し、私が賢ければ、こんな風にはならなかったんだろうと・・・そう思う」
「おいデビット、一体何を言って・・・」
康太がそう声を出した瞬間、自分の声がデビットのものではなく、八篠康太のものになっていることに気付く。
いつの間にか声だけではなく、体も八篠康太のものに戻っていた。
そして康太はもう一つ、気づくことがあった。康太のすぐ近く、最初にあった墓の上にいつの間にか一羽の鳥がいて、まっすぐとこちらを見つめていた。
その鳥は逃げるでもなく、また何かを求めるでもなく、康太をじっと見つめていた。
それがいったい何なのか、康太は本能的に理解できていた。
「師匠に伝えて・・・いや、謝ってほしい。不出来な弟子で申し訳ないと。迷惑をかけたと・・・いや、この場合一番迷惑をかけてしまったのは、君なのだけれど」
デビットは苦笑しながら康太の方を見て、今度は先ほど小さな村のあった方角に目をやる。
康太もつられてその方向に目をやる。その光景が目に入ってきた瞬間、康太は自分の目を疑った。
小さな村があったはずだ。視界の隅には森もあったはずだ。わずかではあるが、小さくはあるが人の営みがあったはずだ。
だが今康太の目の前に広がっているのは、一面、十字架の群れ。視界の隅から隅まで、端から端まで、目に見える彼方まで続く、十字架の平原。
森はなく、村のほとんどは瓦礫と化し、小さいが存在していたはずの畑も荒れ果てていた。
もはやそこに人の営みがあるようには見えなかった。
それが何を意味しているのか、康太は理解できていた。
「巻き込んでしまってすまない。だからこそ、今度こそ、君だけは、助けたい・・・いや、助けなければならない」
デビットの笑みは儚げで、とても疲れているように見えた。やつれた表情がそう見せているだけかもしれない。
そんな中、康太の耳に誰かの声が届いていた。誰かが自分を呼んでいるような声が。
聞きなれた声だ。何度も聞いた声だ。何度も自分を呼んでくれた声だ。何度も自分を肯定してくれた声だ。
その声を、康太は忘れられるはずがなかった。
「師匠がうまくやっているようだ。さぁ、未来の世界の友人よ、私たちは、君を生かす。あの時生かせなかった、すべての、すべての者の総意として」
「・・・すべての・・・?」
康太が周りを見ると、墓のあった場所に、多くの人が立っていた。人種、年齢、性別、何もかもが違う。
それが誰なのか、康太はわかっていた。康太が体感した、康太が身をもって経験した死の、その本人達なのだと。
そして墓の上に止まっていた鳥は、デビットの肩に止まり、再び康太を見つめ続けた。
「待てデビット、いったいどういう」
康太の追及を前に、デビットは康太の前に手をかざし、それ以上言葉を紡がせることを許さなかった。
「すまない、そしてありがとう。私たちのような、救えなかった魂のために嘆いてくれた君を、私は心から尊敬する」
その瞬間、デビットの姿は康太が見慣れた、黒い瘴気の塊となる。そして肩に止まっていた鳥は雷の塊に、周りに立っていた人々もまた、黒い瘴気となって世界を包んだ。
そしてその瘴気と雷は康太の体の中へと吸い込まれていく。
黒い瘴気や雷だけではない。この世界そのものが、草原が、廃墟が、森のあった場所が、空が、すべてが康太の中に吸い込まれていく。
やがて何もない、虚無が康太の周囲を満たしていく中、康太はなぜかそれがどういうことなのかを理解しつつあった。
『君は、私たちの願いを、私たちが、心から願った、叶わなかった、叶えたかった、あぁ、そうだ、君が、君こそが、我が神の』
デビットの声が頭に響き、その言葉が最後まで紡がれるよりも先に、康太の耳に、鳴り響くような声が届く。
「康太!」




