魔術師として
「康太は・・・そうですね、確かに魔術師としての才能はあると思います。なんというか・・・思ったことをそのまま実行できるだけの何かがあると思います」
それは本来あってはいけない才能と取れる場合もある。
思ったことをそのまま実行する。それは時として良い方向へと働くこともあるだろう。だが時には行ってはいけないような凶事に手を染めてしまう可能性もある。
一度戦って文はそのことに気付いていた。だがそれは魔術師にとって必要な考え方の一つだ。
自らの行動を自らの意志によって、自らの思うが儘に行うことができるというのは大きな利点でもある。
時に良心の呵責や常識によって阻まれる思考から実行へと移す過程、多くの人間が超えてはいけない一線を越えることができない。
時にそれは自らの、そして時には多くの周囲の人間を危険にさらすことになるだろう。
少なくともその中で康太は自らに襲い掛かる危険、その可能性を無視したうえで、否考慮したうえでなお実行に移した。
「でも同時に危険でもあります。きちんと魔術師としての指導をしなければそれこそ・・・」
「私のようになるかもしれない・・・か」
小百合の言葉に文は小さくうなずくことしかできなかった。小百合の悪行、いやどちらかというと素行の悪さといったほうがいいだろう。師匠であるエアリスからそれらはいろいろと耳にしている。どれもこれも周囲の被害や常識的な考えよりも自らの感情を優先した結果だ。
それがいかなる意味を持っているのか、小百合は理解したうえで実行している。自らがどのようなことをするのか、それがどのような結果につながるのかを知ったうえで実行している。
康太にも似たような節がある。時折無茶苦茶をする中で、結果に関して考える時もあれば考えていない時もある。
このままいけば間違いなく小百合の二の舞、あるいは小百合よりも性質の悪い魔術師になるだろうことは明白だった。
「小百合さんは康太をどんなふうに育てるつもりなんですか?まさか自分と同じように・・・?」
「いやそれは無い。私は私であいつはあいつだ。私と同じように育てるつもりは最初からない」
小百合の言葉を聞いて文は一瞬安心したが、その次の言葉を聞いて戦慄することになる。
これは小百合が最初から考えていたことでもあった。そしてそれを実行するべく彼女は康太を指導し続けている。
「あいつには私以上の魔術師になってもらう。破壊に関してもそれ以外の技術に関しても、時間はかかるだろうがな。私と違って普通の魔術も覚えられるようだし可能性はある」
つまり、破壊の技術に関しては小百合は康太に全てを教えるつもりなのだ。そしてそれにプラスして破壊以外の魔術も真理が教えていく。つまり小百合の上位互換を作ろうとしているのだ。
それがどういう意味を持っているのか文でも理解できる。ただでさえ強烈にして凶悪な魔術師である小百合の上位互換などが完成しようものならそれこそ誰にも止められなくなる可能性が高い。
「康太が途中で投げ出したら?」
「・・・あいつがこれ以上私の下で学ぶのは嫌だというようであればそれはそれで仕方がないが・・・まぁそれは多分ない」
「・・・何でそう思うんです?」
「勘だ」
またしても勘を理由にした考えだが、この事に関しては文も半ば同意していた。
康太は普通の学生だった。そしてその考えや感情の起伏、何をとってもまだ一般人のそれが抜けきらずにいる。
普通人間というのは辛いことから逃げようとするものだ。どんなに逃げ道が無くなったとしてもどうにかしてその場から逃げようとするのが人間というものだ。
その結果どうなるかは人による。物理的に逃げる人間もいれば精神的に逃避する人間もいる。中には現状をあきらめて耐えるものもいるだろう。
康太の場合はそのどれにも当てはまらない。康太は苦難の中から『まだましだな』という考えにたどり着くのが上手いのだ。
自分がどれだけの苦境に立たされているかを未だ正確に理解していないというのもあるかもしれないが、辛い環境の中でも好意的に見ることができるものを探そうとする。
だからこそ逃げない、逃げる必要がない。
そもそも康太にとって小百合の弟子であることは実際はあまり辛くないのだ。他の魔術師の弟子になったことがあるならまだしも康太は小百合の弟子になったことで魔術に関わることになった。つまりそれ以外を知らないのだ。
多くの経験と広い視野を持つことで人は正確な評価をすることができる。康太の場合魔術というものに関わった経験も少なければ視野も狭い。その為自分がいまマイナスにいるということに気付けないのだ。
「それに辛いのならあいつは実際真理に相談するなりするだろう。今までそういうことはないようだし、何より今辛いのなら最初の時点で逃げ出している。あいつは魔術というものに関わるのが嫌いでもないようだしな」
それは康太が男だからというのもあるだろう。魔法や魔術、とにかく不可思議なものにあこがれ、自分がそれらを行使することができる。それは康太にとってある意味物語の中でしかありえなかったことだ。
その中に自分がいる。その事実そのものが康太にとって小百合の元から逃げない理由の一つになっているのかもしれない。