食事と修業
「・・・ほう、今日は生姜焼きか」
夕食時、部屋でいろいろと作業していた小百合を呼び出して康太たちは料理の並べられた食卓を囲んでいた。
今日の料理は豆腐の味噌汁、白米、生姜焼き、サラダ、そして買ってきたお新香の五品目である。一般的な家庭料理としては及第点レベルだと言えるだろう。小百合も文句はないのか薄く笑みを浮かべながら席に着いていた。
生姜の香りが鼻孔をくすぐる。鼻から通る料理の香りが全員の食指を刺激していた。
「なんだ、康太が作ったというからどんなひどいものが出てくるかと心配していたが、存外まともじゃないか」
「お褒め頂き光栄です。二人にも手伝ってもらったんですよ」
視線を文と真理の方に移すと小百合はなるほどなと納得したような顔をする。彼女は恐らく二人が主に作ったのだと思っているようだが、実際には康太が主に作り味付けも全て康太が行った。
それなりに料理が作れるという言葉は嘘でも偽りでもない。実際康太はそれなりに料理ができるのだ。もちろんあくまでそれなりでしかないが。
「それじゃあ師匠、とりあえず号令お願いします」
「ん・・・それではいただきます」
小百合の号令と共にいただきますと全員が言葉にした後でそれぞれ今日の夕食を口に運んでいく。
味噌汁、生姜焼き、サラダ、白米、お新香。
それぞれ順番に食べ進んでいく中で康太は小百合の方を見ていた。
文や真理は途中で味見をしていたためこの料理の味を知っているが、彼女はまだこれらの味を知らないのだ。
作った張本人からすれば師匠である小百合の反応が気がかりになるのも無理もないだろう。
そして小百合も康太の視線とその意味に気付いたのか、生姜焼きを口に含みながら小さく笑って見せる。
「あぁ・・・なかなかの出来だ・・・私の弟子にしては上出来だな」
不器用なりに褒めようとしているのが康太にもわかる。この人はこういう人だ。素直においしいなどと絶対に口にしないだろう。
むしろこの言葉こそ小百合にとっての最高の賛辞なのだと、康太はそれを素直に受け取ることにした。
「いやそれにしても案外料理できるんですね。思っていたよりずっと美味しいですよ」
「いやぁ・・・まぁ人に出せる料理かっていうと微妙なんですけどね。うまくできてたなら良かったです」
康太は家族以外の誰かに料理を振る舞うなど初めての経験だった。今まで家の中、あるいは学校の家庭科の授業くらいしか料理をしてこなかったために誰かのために料理をするというのは未知の領域だったのである。
これが家族なら気安く、それこそ多少失敗してもいいくらいの気持ちになれたのだろうが今日料理を振る舞うのは師匠と兄弟子、そして同級生にして同盟を組んでいる文なのだ。
妙なものを出すわけにはいかない。何よりそんなものを食べさせるようなことをしてはいけないという考えが根底にあるために料理が妙に慎重になってしまった。
もちろん失敗しなかったのだからそれに勝るものはないが、もう少しきちんと料理を勉強しておいた方がよかったかもしれないと思ったのは内緒である。
「これだけ作れれば上出来でしょ・・・これは私が作る料理も気合入れなきゃね」
「文は明後日だろ?明日が姉さんで・・・明々後日が師匠ですか?」
「あぁ、まぁ楽しみにしていろ。それなりの物を作ってやる」
一体どんなものが出てくるのか楽しみでもあり不安でもあった。
料理くらいできるというニュアンスの言葉を言っていたが実際どうなのだろうか。
小百合は基本的に傍若無人だ。常識がないわけではないがいざという時は基本的に自分本位な行動をとることが多い。
誰かに食事を作るという行為は基本的に献身の心からくる。誰かに美味しい食事を食べてもらいたい。喜んでもらいたい。そう言う心が料理の根底にはあるのだ。
そんな心を小百合が持ち合わせているとは思えなかったのである。
康太が不安になりながら視線を真理に向けると、彼女は苦笑しながら大丈夫ですよと小さくうなずいて見せる。
真理が大丈夫というからには恐らく大丈夫なのだろうが、一体どんな料理が出てくるのか一切不明だ。せめて何料理が出てくるのかは知りたいところである。
「それぞれ何を作るんです?姉さんはカレーかシチューって言ってましたけど」
「私はパスタにしようかと思ってるわ。それなら今日明日の料理ともかぶらないでしょうしね」
「私は中華を担当しよう。何を作るかは当日まで楽しみにしておけ」
文が洋食というのは半ば想像どおりなのだが小百合が中華というとどんなものを作るのか全く想像できなかった。
中華料理というカテゴリーの中で康太が知っているものと言えば麻婆豆腐や春巻きやシュウマイやラーメンくらいのものだ。
それらを家庭料理で行うとなると一番あり得そうなのは麻婆系統だろうか。茄子か豆腐かで大きく分かれるかもしれないがどちらにせよ小百合が作るものである以上自分には食べる以外の選択肢はない。
もしかしたら激辛かもしれない。あるいは味が濃いかもしれない。いやそもそも康太の知らないような中華料理を出してくる可能性だってある。
せめて自分でも食べられる料理が出て来てくれればいいのだがと康太は心の底から願っていた。
「そう言えば小百合さん、明日の予定を聞いてもいいですか?」
実際どう動くのか全く聞いていなかったのでと文が夕食を口に運びながらそう聞くと、小百合も文にまったく予定を話していなかったことを思い出したのか一度箸をおいて自分の携帯を確認していた。
恐らく今回の商談相手のジャンジャック・コルトとのメールを見ているのだろう、小百合はそれに目を通すと小さく息を吐いてから再び箸を取る。
「明日の昼に近くにある店で昼食がてら落ち合うことになっている。その後場所を移動して商談開始だ。ここを十一時には出発することになるな」
ジャンジャック・コルトと落ち合うのが一体どこになるのか、どこかの店であるというのは今小百合が言ったとおりだが一体何の店なのか少し気になるところだった。
昼食という事は飲食店だろう。明日の昼食は外食なのだなと思いながら康太は自分が作った食事を口に運んでいた。
「へぇ・・・商談は一日行うんですか?」
「どうだろうな、相手の反応にもよるが大体夕方頃には終わると思っている。互いに近況を報告したりもするだろうしな」
小百合とジャンジャック・コルトは昔からの知り合いなのだ。久しぶりに会って話したいことなどもいくつかあるだろう。
小百合も人間らしいところがあるのだなと康太は小さく感心していた。自分の師匠に対する反応とは言い難いが今のところはそれでいいとさえ思っていた。
「特に今回は方陣術を扱う紙がメインの商品だ。相手も一度くらい発動の確認くらいはしたいだろう。場所の移動が一番時間を食うかもしれんな」
「確かに周りに誰もいないことが好まれますもんね。でもいいんですか?今回持ってきてるのって結構高価な紙なんじゃ」
「試し用の少し形がいびつなやつがいくつかある。それを使ってもらう。なんならお前もいくつか使ってみるか?」
「いいんですか?是非お願いします!・・・まぁ高すぎてたくさん買うにはちょっと手が出ないですけど・・・」
文も方陣術を使うものとしてその高価な紙とやらを使ってみたくなったのだろう。方陣術を使うものならではの感覚というものがあるのだろうがそんな高額を出してまで手にいれたくなるようなものなのだろうかと康太は首をかしげてしまう。
こういうのはやはり自分でやってみなければわからないのだろう。こういう時は自分の技術のなさが恨めしくなってくる。
方陣術というのは物質に術式を仕込むというものだ。個人差もあるがその術の仕込みやすさというのは存在する。
主に紙などが方陣術の発動に使用される媒体だが、今回小百合がもってきたのは方陣術を扱うのに適した紙だ。
「俺もさっさと方陣術が扱えるようになればいいんですけどね・・・」
「お前が方陣術を扱えるようにか・・・まともに使えるようになるのは早くても今年中・・・遅ければ来年以降になるだろうな。魔術と違って方陣術は面倒だ。普通のそれとは難易度が違う」
「まぁそれくらいかかるでしょうね。まぁでも基礎的な発動であればそれなりに早く習得できますよ」
方陣術は術式そのものを別の物質に刻み込むために今までやってきた魔術の修業とはまた別の種類の修業をしなければならない。
今までの康太の魔術の修得するペースから考えて基礎的な発動に関しては比較的早く行えるようになると考えていた。
だがそれを実戦レベルまで引き上げるとなると話は別だ。方陣術というのは魔術と同じように基本的に実戦で使ってこそ意味がある。
時間をかけて発動するのもそうだが、実戦でしっかりと扱えるようになるまでかなりの時間がかかるだろう。
それだけ方陣術というのは難易度が高いのだ。それこそ今康太が使えている魔術とは別次元と言っても過言ではないほどに。
「あとは自分にあった媒体を見つけることだな。今回の紙じゃないが個人によって相性というものがある。紙じゃなくて木と相性が良かったり鉄などと相性がいいようなものもいる。そう言うものを見つけるのも必要な工程だ」
自分にあった方陣術の媒体。つまりは自分がどの物質に術式を刻み込むかという事である。
その媒体によっては持ち運びが容易か否かというのも変わってくる。一番オーソドックスなのが紙なのだがその紙との相性が悪い術師もいる。
そして相性のいい物質がわかったら今度は方陣術との相性がいい物質を選定していくのだ。今回小百合がもってきている紙がそれにあたる。方陣術との相性がいい比較的高価なものだという。こういったものをそろえるのもまた方陣術を扱う上では必須なのだ。
もちろんそれだけの効果がある反面当然値が張る。そんなものを大量に手に入れられるあたりジャンジャック・コルトがどれだけ金を持っているかがうかがえる。
「ちなみにそのコルトさんって実際は何の仕事をしてるんですかね?そんだけ金を払えるってすごいですよ」
「ん・・・まぁそれは本人に聞くといい。基本的に魔術師のリアル事情を詮索するのは好まれないがまぁたぶん話してくれるだろう」
魔術師というのは基本的に個人情報を隠す。本名を隠すのも自らの正体を隠すためでもあるのだ。
康太の場合は高校生という身分だけで済んでいるが、どこに勤めている、あるいはどんな仕事をしているかというところから身分がばれるという事は総じてあり得ることだ。
そんな魔術師が自分の職業をおいそれと教えてくれるはずがない。もちろんそれだけ金払いがいいのだからそれなり以上の職に就いているであろうことは容易に想像できる。
食事を終えた後康太は皿を洗ってから別荘の二階にあるベランダにやってきていた。目的は魔術の修業である。康太は魔術師になった日から魔術の訓練を一度も欠かさずに行っている。それは旅行中であっても同じことだ。もっとも事件があったあの旅行ではさすがに自重したが。
魔術の修業と言っても康太のそれを見て魔術の修業をしていると気付けるものは少ないだろう。
実際に康太の手の内を知っている文でさえ、それが魔術の修業であると気づくのに少々時間がかかったほどだ。
康太の修業は今は三つ行っている。それぞれ今覚えている魔術のストックなどを作る作業やそれらの発動訓練。今覚えようとしている魔術の発動訓練。そして最後に属性魔術を覚えるための基礎知識の蓄積である。
最後の属性魔術に関しては真理や文の指導を受けるほかに手はないが、それ以外であれば今の康太でも十分に行える行動だ。
「・・・そうやってると普通に体鍛えてるように見えるわよね」
「まぁそうだろうな。実際俺もこれは体鍛えてるようなもんだと思ってるし」
康太が今やっているのは正拳突きと槍の扱いである。
所有する魔術である『再現』の残弾ともいうべき動作のストックを徹底的に行っているところなのだ。
これをやらなければ康太は主力である攻撃魔術さえも扱うことができなくなってしまう。こうした日々の積み重ねが重要なのだ。
拳が届くほどの近接戦闘では正拳突きを、数メートル程度の距離であれば槍を。それぞれ使って康太は近接戦闘を行えるように仕上げている。そしてもう一つ、康太の再現の魔術で行う動作がある。
それは康太が空中を歩行する際に扱う動作だ。自らの手を足場にして他人を上に放り投げる。この時他人の重さは自分の体重と同じであることが好ましい。
康太は陸上部という事もあり比較的細身な方だが、身近に女性しか魔術師がいないためにどうしても重りを着用してもらう必要がある。
これをすることで自らの手の動作を再現することで空中に疑似的な足場を作ることができるのだ。毎日毎日ストックすることで康太の再現の魔術のストックはそれなり以上の数になっている。魔力さえもてばそれこそ長期戦も行えるレベルだ。
もっとも康太の魔術師の素質では長期戦を望む時点で勝ちの目が薄いのは言うまでもない。
「あんたの魔術ももう少しうまく扱えればいいんだけどね・・・同時に一気に発動させればそれこそ近接戦では最強じゃない」
「まぁそれが理想なんだけどな・・・生憎と同時発動はまだ慣れなくてな・・・」
魔術の同時発動、それは魔術師にとってはある意味必須技能と言える。なにせ一つの魔術でできる事にはどうしても限りがある。瞬間的な選択肢の拡張のためにも同時に扱える魔術の量は増やして損はない。
康太の場合同じ魔術であればある程度同時に扱えるのだが、違う魔術の同時発動は未だに苦労していた。
同じ魔術がいくらでも扱えるようになればそれこそ正拳突きを大量に再現して目の前に拳の弾幕を作ることも、一瞬で間合いにいる相手を切り刻むことも容易だろう。そう言った技術の取得にはまだまだ時間がかかりそうだった。
康太としても可能な限り早く魔術の同時発動をものにしたいと思いながらも、こういったものはどうしても時間がかかる。
魔術というのは超常的な技術ではあるが、技術であることに変わりはない。一朝一夕で身につくものでもなければ、努力をしなければ身につくことはない。
都合よく次の日起きたらどんな魔術も扱えるようになっていたとかそう言うスペシャルな出来事は康太にはあり得ない。康太にあるのはただ地道に努力を重ねる事だけなのだ。
「でもそうしてるの見ると懐かしいわ。私も似たような事で悩んでたし」
「やっぱりこういうのは誰しも同じ悩みを持つもんなんだな。お前の場合何歳の頃だ?」
「そうね・・・大体複数の魔術を同時に扱うようになったのが七歳くらいだったかしら?同時に発動するのには苦労したわ」
文の言葉に喜んでいいのか悲しんでいいのか康太は非常に複雑な面持ちになってしまっていた。
文でもしっかり悩むべき点は悩んでいたという意味では喜ぶべきだ。だが今自分が抱えている悩みが彼女が七歳の頃に抱いていたものだと思うと泣きたくなってくる。
つまり自分は七歳児の文と同レベルだという事なのだ。そう考えると如何に自分が未熟であるかが理解できる。
冷静になって考えれば当然だ。文は五歳の頃から魔術師なのだ。今年の二月から魔術師になった自分より優れていて当然だし、何より自分よりこの悩みを抱えるのが早くて当たり前だ。
「じゃあそんな文さんや、何かアドバイス的なものを授けてくれるともれなく俺が喜ぶぞ?」
「何よもれなくって・・・そうね・・・魔術の同時発動は自分のイメージもそうだけど何より自分の中での設定を大事にすることかな」
「設定?」
文のいうききなれない言葉に康太は眉をひそめる。その反応を見てあくまで私がそうしてるだけだからねと文は小さく区切ってから小さく咳払いをする。
「とりあえずあんたは今どういう風に魔術を使ってる?それによるわね」
「どういう風って・・・普通に術式を作ってそれで発動してるけど?」
「・・・まぁそうよね・・・今から教えるのはそれの応用っていうか・・・まぁちょっとした改変みたいなものよ」
応用や改変。意味合い的には少々異なっているがとりあえず康太は耳を傾けることに集中していた。自分が得ていない技術を得られるのだ。こういう場では茶々を入れない方がいい。
誤字報告五件分、そして土曜日なので合計三回分投稿
来週の土曜から自分は夏休みに入ります。数日間予約投稿になるかもしれませんがどうかご容赦ください
これからもお楽しみいただければ幸いです




