その頭を動かすのは
小百合の店の地下で、康太はじっとしていた。あの時、幸彦が死んだときのことを、もう何度繰り返し頭の中でイメージしただろうか。
あの時見た光景を、康太は忘れることができなかった。あの時感じたものを、康太は気にしないなんてことはできなかった。
あの時できなかったことを、後悔しないことなんて、康太にはできなかった。
どうして、なぜ、どうすれば、何があれば。
そんな風に何度も何度も記憶を頼りにあの時の状況を反芻し続ける。
水も食料もとらずに、康太はただ考え続ける。
そんな中、康太の目の前に誰かが立った。
いや、立ったというのは正確な表現ではないだろう。
目の前にいるのは黒い影だった。今までのようなぼやけた輪郭ではない。完全な人の形、神父の衣服を身にまとった人の形をした影。
目の前にいるその影が目に映っているのかいないのか、康太は小さく口を開く。
「・・どうすれば・・・助けられたのかな・・・」
それは、かつて康太だけではなく多くの人間が抱えた疑問だ。多くの人間が、救えなかったものを前にしてつぶやく言葉だ。
康太も例にもれず、そして目の前にいるデビットもまた同じように、その言葉を口にしたことがある。
「俺が・・・もっと強ければ・・・俺が・・・もっと速ければ・・・俺が・・・もっと敵を倒していれば・・・俺が・・・もっと・・・俺が・・・」
自分のせいではない。誰もが康太にそういった。文も、奏も、アリスも、神加も、春奈も、あの場にいた多くの魔術師が康太のせいではないといった。
だが、康太は幸彦の最期を見たのだ。あの時、幸彦は何かを言っていた。辺りに降る大粒の雨のせいでかき消されてしまったあの言葉。
何を言いたかったのか、何を伝えたかったのか、あの最期の瞬間、幸彦は何を伝えようとしていたのか。
あるいはただの独り言だったのかもしれない。もしかしたら意味なんてなかったのかもしれない。
康太は必死に自分の記憶の中の幸彦の声を思い出しながら、その言葉の真意を探ろうとしていた。
思考が暗闇の中に落ちていく。暗く、深く、沼のような抜け出せない思考の暗闇へと。
もう戻れない、そう思うたびに康太の中の何かが光る。稲妻のような光をもって、康太の意識を強制的に覚醒させる。
そして意識を取り戻しては、再び同じことを繰り返す。
依頼を受け、山の中に入り、雨を降らせ、敵と戦ったあの時のことを思い返す。
どうすれば助けられたのか、どうすれば救えたのか、どうすれば、あの窮地から抜け出せたのか。
自滅覚悟で周りの魔術師を倒せていれば、あるいは幸彦が戦っている現場に間に合ったかもしれない。
未完成でも、危険でも、習得途中の魔術を使えば活路が開けたかもしれない。
康太には生まれてから存在しなかった、命を懸ける覚悟。
幸彦にはあった。だからこそ、自分の命を懸けてでも周りの魔術師を攻撃させないように、自分に意識を集中させていた。
足りなかったのは覚悟だ。
死んでも倒す。死んでも守る。幸彦にはあって、康太にはなかったもの。あの時、康太がもつべきだったもの。
大事なものを守るためならば、自分の命さえも担保にして相手を倒す必要があるのだと、そうしなければ奪われるのだと、康太は感じていた。
負の感情に飲まれていく康太の耳に、聞き覚えのある足音が聞こえる。
一定のリズムで刻まれるその足音、迷いなど一切ない、自分が間違っているなど微塵も考えていないその足音。
もはや慣れ親しんだその足音を聞いて、康太の意識がゆっくりと、ゆっくりとはっきりしてくる。
この足音を聞くと、訓練を思い出すからだ。
意識をはっきりさせていないとすぐに気絶させられる。集中しないとすぐに倒される。そんな悲しい条件反射が、康太の沈みかけている意識を強制的に覚醒させていた。
ぼんやりと同じことを考え続ける思考から変化する。条件反射とは恐ろしいもので、次から次へと新しい考えが浮かんでくる。
考えなければ、即座に康太の首は落ちる。そういう状況を康太は何か月も続けてきた。
常に意識し、常に考え、常に探る。そういった訓練を康太は毎日のように積んできた。
だからこそ、それ故に、康太はその足音に起こされた。誰もが声をかけ、慰めた。それでも康太の耳には届かなかった。
だがただの足音が、無言で近づいてくるその音こそが、康太の意識を上へとむけた。
「・・・こんなところにいたのか・・・この馬鹿弟子が」
苛立ちを隠そうともしない声。先ほどまでデビットが立っていた場所に、さも当たり前のように立っているその人物を、康太はよく知っていた。
藤堂小百合。
言わずと知れた、康太の師匠。何度も何度も叩きのめされた、初めて出会った魔術師。
「立て、兄さんの通夜に出ないなど、兄さんが許しても私が許さん」
康太の頭を掴んで強引に上を向かせる。弟子の扱い方ではない。だが康太はこの扱いに慣れていた。だからこそ別に驚きもしなかったし、いつもの小百合だとしか思うことはできなかった。




