その手が届くのは
「それは違うわ。どんな理由があったにせよ、幸彦がそれを選択したのよ。その気になればあの子は逃げることだってできた。その気になればあの子は自分の身だけを守ることもできた。それをしなかったのはあの子の意地よ。あなたがどうこうできることではないわ」
春奈は悪くないと、幸彦の決めたことだと智代は言い切った。
実際に現場を見たわけではなくとも、幸彦がどのような行動をとったのかは智代には分っているようだった。
幸彦が未熟で、戦闘経験も浅い魔術師であったならこのようなことはいうことはできなかっただろう。
だが幸彦は未熟ではなく、戦闘経験も豊富だった。何が危険で、この行動をとればどのようになるのか、そのくらいの危機管理はできていたはずなのだ。
だからこそ、その行動の責任はすべて幸彦にある。誰かが悪いというわけではない。智代はそう考えていた。
「ですが・・・あの時私が近くにいれば、きっとこのようなことには」
「それは傲慢というものよ。自分で何もかもできるようになれると思うなんて、あなたはいつからそんなにすごい人物になったのかしら?小百合と一緒にお昼寝してて、おねしょして大泣きしてたあなたが」
「そ、それは昔の話です!今はもう」
「変わらないわよ、あなたは昔のまんま。優秀で優しくて・・・目の前で起きていることを放っておけない。それはあなたの美徳でもあるけど、欠点でもあるわ」
そういいながら、智代は春奈の頬をなでる。それは春奈が昔から智代にされてきた動作だった。
子供の時、諭されるときに智代にされてきた動作だった。
「いい?人間なんて生き物はね、できることには限りがあるの。私の手はここまでしか届かないし、私の目は前しか見えない。魔術でちょっとそのあたりが増えるかもしれないけど、それでも限りがあるの。何度も言ったでしょう?魔術は万能ではないって」
「・・・はい、できることもあればできないこともある・・・師匠にも、何度も同じことを言われました」
「あなたがあの時、幸彦を助けに行けなかったことを後悔しているのかもしれないけれど、それは世界の反対側で殺されそうになっている人を助けられなかったといっているのと変わらない。違うかしら?」
「・・・それは少し違うような・・・?」
「違わないわ。あなたがその時いけなかった場所の話なら、隣の部屋だろうと世界の裏側だろうと大差はないもの」
場所の違いではなく、その時の状況の違いなのだと智代は言う。春奈はその時行くことができなかった。
周りにも敵の魔術師がいて、それを倒しながら包囲網を縮めていく。調査部隊を守り、逃がしながらの戦線の押し上げは、必要以上に時間と労力を消費した。
智代の言うように、駆けつけることはできない状況だった。
文が使った強敵がいるというあの合図も、あくまで周りの魔術師に対するもの、そして春奈を通じてそれを伝えさせようとしたのだと思っていた。
救難信号などとは思ってもみなかった。実際文も救難信号という意味で出したわけではない。
だがあの時、もう少し別の方法がとれたのではないかと考えてしまうのである。
「でも・・・それでも・・・」
それでもあの場にいたという事実が、春奈に重くのしかかる。どんなに言い訳をしても、春奈はあの現場にいたのだ。
どんなに正当化しても、春奈はこの中で幸彦に格段に近い位置にいたのだ。
その事実が揺るがない以上、春奈の中にも後悔の念は募る。
「・・・悩むのは若者の特権ですもの。悩むなとは言わないわ。けどその悩みで自分のやるべきことができなくなるのなら、悩むのなんてやめてしまいなさい」
下手な考え休むに似たりという言葉の通り、その考えが必要なものならともかく、考えても仕方のないものを考え、悩んでも仕方がないのだ。
それならばいっそ考えない方がよほどいい。他のことをしていたほうがよほど建設的である。
とはいえ人間はそこまで簡単に割り切れるほど単純な生き物ではない。人間は機械ではないのだ。どんなに理屈で理解していても、心で納得できないこともある。
「そういえばあなたのお弟子さんは?今日はこないのかしら?」
「いえ、あの子はやることがあって少し遅れているだけです。たぶんもうそろそろ来るかと思いますが」
「へぇ・・・確かその子も現場にはいたのよね?」
「はい、幸彦さんと一緒に戦っていたそうです」
一緒に戦っていた。その事実を鑑みれば、幸彦の死を一番重く受け止めているのはその子なのではないかと智代は思っていたが、やることがあるという言葉に少しだけ感心していた。
人が死んだというのはどうしたって重くのしかかる。それを押しのけるか、別のところにおいてやるべきことをやれるというのはそうできることではない。
春奈でさえ頭の中が未だ整理できずに悩んでいるというのに。
もっとも、文のそれも混乱しようとする頭を強引に正常に戻そうと躍起になっているだけなのかもしれないが、智代にはそれがどちらなのかはわからなかった。
智代は文に会ったことがないため、どのような人物なのかを把握できなかったが、春奈の弟子というだけあって優秀な人物なのだということは知っている。
智代は何度か幸彦や奏が話していた時のことを思い出しながら、文と会うのを楽しみにしているようだった。




