死にたくない
「どうしたんだ?なんか浮かない顔してたけど」
康太は支部から小百合の店への帰り道、何となくアリスに聞いてみた。アリスは康太の方を見ることなく小さく笑って見せる。
「・・・仮面をつけているというのにわかるものか?」
「なんとなくな。確証はないけど・・・でもわかる」
確証はないのにわかる。何という雑な説明だろうかとアリスはあきれてしまう。だがその勘の鋭さには、アリスも驚くほかなかった。
小百合のそれに近づいている。アリスはすぐにそう思った。小百合は長く続けた訓練と数多くの実戦によってそれを獲得した。
彼女にとってのそれは、彼女が使うことのできない索敵の魔術を補うためのものだった。そしてその精度は索敵のそれをはるかに上回る。
勘。
彼女が一言でそういってのけるそれを、康太は少しずつではあるがものにしている。勘に従う、勘を信じる。抽象的で説明もできないようなものだが、康太の中には確実にそれがはぐくまれつつある。
「・・・厄介なものだな・・・お前という奴は」
「なんだよ、気遣いのできるいい男といってくれ」
「気付けることと気遣えることは違うぞ?そのあたりを覚えておくのだな小童よ」
アリスにとって康太はまだまだ子供でしかない。いい男などと口にするにはあと十年はかかるだろうと見込んでいた。
もっとも康太が十年そこらでそこまで成長できるかどうかはわからないが。
「で?どうしたんだ?ずっと変な感じだったけどさ」
「・・・ん・・・先ほどの話を思い出していただけだ」
「先ほどって・・・あの石の話か?」
「うむ・・・石の話もそうだが、似たようなことがあったと話しただろう?」
似たようなことがあった。アリスが言ったのはとある人物の話だ。永遠の命を求めて物質的な生命から、概念的な生命へと生まれ変わろうとした者の話。
康太ははっきり言ってどこまで真実であるのか測りかねていたが、アリスの表情からそれがすべて真実であるのだなと理解していた。
「人間やめて、精霊とか神様とか悪魔とか、そういう存在になろうとしたってことだろ?なんでそんなこと・・・」
「言っただろう?永遠の命を求めたのだ・・・全く・・・そんなもの望んで手に入れるものでもないというのに」
「そんなこと言ったらアリスだってほぼ永遠の命を持ってるようなもんだろ?何百年も生きてるんならさ」
康太の言うように、アリスは確かに数百年の時を生き続けてきた。彼女の魔術、成長を著しく遅らせる魔術を使うことで寿命を強引に延ばしている。
何百年も生きてきて彼女の外見は未だ小学生並だ。このまま成長していったとして、老衰で死ぬことになるのは一体何百年、いや何千年後だろうかと康太は途方もない未来に少しだけめまいがしていた。
だがアリスにとってはそうではないらしい。薄く笑みを浮かべて首を小さく横に振る。
「永遠などというものか。この命には必ず限りがある。それは誰にだってそうだ。命には終わりがあるからこそ大事なのだ」
「・・・アリスでも死ぬのか」
「死ぬさ。むしろ私のようなか弱い少女など、その気になればだれだって殺せるだろうよ・・・あいにく簡単に殺されてやるつもりはないが・・・だがなコータよ、長い時間を生きるというのはそれだけ疲れるものだ」
楽しさを求め、娯楽を求め、堕落を求め、日々をのんびり過ごしているアリスの言葉だが、康太はなぜかその言葉を茶化すことができなかった。
普段あれだけだらけているくせに何に疲れるのかと、普段の康太なら言ったかもしれない。だが今のアリスの言葉にはそんな軽口を言うのをはばかられるほどの重さがあった。
「やっぱり誰かの死を見るのはつらいのか?」
「・・・そうか、お前はまだ身近な人間が死んだことはないのか?」
「親戚のおじさん?が死んだとき葬式には出たけど・・・なんかぴんと来なかったな・・・あの時は俺もずいぶん小さかったから覚えてないっていうのもあるかもしれない」
「ふむ・・・人の死というのはな・・・ひどく疲れるものだ。その人物との思い出があるのに、一緒にいた時間の数だけその人物がいなくなった喪失感へと変わる・・・だが同時に実感がわきにくいというのもある。お前と同じだ。時折、誰が死んだのか、あいつはもう死んだのか、そういうのがわからなくなる」
ふとした瞬間、死んだという事実を忘れることがある。何を忘れるということではなく、思い出が強すぎてその人物がまだ生きていて、ふとした瞬間にまた自分に話しかけにくるのではないか、そんな錯覚に陥るのだという。
老化などからくる痴呆などとは違う。長く生き続けたことによる弊害が、多く人の死を見続けたことによる錯覚が、アリスの中にあった。
「思い出すことはできるんだろ?記憶がないわけじゃないんだし」
「もちろんだ。だが記憶がありすぎるとな、時折そういったものが混合することがある。今私は日本にいて、コータという少年と行動を共にしている。そういうことを思い出すのに数秒時間がかかるのだ」
人間の記憶にも限界はある。アリスの記憶は未だ限界には達していなくとも、それでも何年も何十年も何百年も積み重ねた記憶は、徐々にアリスをむしばんでいるのだろう。
昔のこと、些細なことは忘れても重要なことは忘れない。その重要なことも徐々にあふれてきているのだ。
「その生まれ変わろうとした人ってさ、どんな人だったんだ?」
「そうだな・・・よく笑う奴だったが、同じくらいよく泣くやつだったよ。子供の頃はちょっとしたことですぐ泣いてな・・・どうすれば泣き止むのかと苦心したものだ」
アリスのその言葉に、その人物との関係性を何となく理解してしまった康太は、それを聞くべきかどうか迷っていた。
あのような表情をしていたのだ。きっと大事な人物だったのだと理解しながら、康太は口を開くことはなかった。
「そいつが魔術師の道を歩んで、長いこといろいろと教えたものだが・・・結局よくわからん道に進んだことになる・・・まったく・・・私の弟子は本当にろくなことをしない」
聞くまでもなく、アリスの弟子の一人がそのような道を歩んだという事実に康太は目を細める。
アリスが今までどれほどの弟子を取ったのか、そしてどれほどの偉業を成し遂げてきたのか康太は知らない。
だがアリスの弟子の一人が人をやめようとしたという事実に、康太はどのように声をかけていいのかわからなかった。
「その弟子って・・・子供のころからずっと知ってたのか?」
「うむ・・・知人の血縁でな・・・その子の親が事故で死んだあと私が親代わりになって育てていた・・・といっても私が教えたことといえば魔術と日常生活で必要な知識だけだ・・・そこまで教えるのが得意というわけでもなかったのでな・・・」
「・・・どうして人を辞めたい・・・っていうか永遠の命なんて・・・」
「さぁな・・・私には皆目見当もつかんよ。長年生きてきたが、未だにわからないことの一つだ。こんな状態、良いことといえば知識が増える程度だというのに」
「でもアリスはやめようと思えばやめられるんだろ?一応自分で発動してるわけだし」
「まぁな。いつでもやめられる・・・確かに間違いではない。だがたぶん、私には無理だと思う」
「どうして?」
長く生きていると死にたくなるという人物やキャラクターは物語の中でよく見かけるが、アリスはそういう類の人種ではないようだった。
長く生き、これからも生き続けるであろう彼女が、自ら長く生きるような術を編み出し、それを発動し続けながら、長く生きることに対する利益などほとんどないと言いながらも自らが死ぬことを全く考えていない。
少し矛盾を感じる言葉だった。
「至極単純な理由だ。私はな、死にたくないのだよ」
「・・・すごく単純明快な理由でびっくりした。やっぱアリスでも死にたくないって思うのか」
「私を一体何だと思っているのだ。私だって人間だ。人並みに死にたくないと思って何が悪いというのか・・・それに、私は多くの死を見すぎた・・・死がどんなものなのか、死んだらどうなってしまうのか・・・そんなことを考えると震えが止まらなくなる」
「まるで女の子みたいだな」
「馬鹿者、私はいつだって女の子だ。この華奢な体を見ろ、お前と喧嘩でもしようものならすぐにやられてしまうようなこの弱弱しさを」
「ははは、面白いジョークだな・・・まぁそれはさておき・・・死ぬ感覚かぁ・・・」
康太は死というものを何回も経験した。疑似的にであるとはいえ、感覚的な死は二万回以上体感したことになる。
だがそれらの死はほとんど特殊な状況ばかりだった。というか死因のほとんどがデビットによる生命力の枯渇だった。
外傷などが原因の死ではないため、他の死の感覚がわからないというのは康太も同じである。
だがアリスよりはほんの少しだけ詳しく、死について語ることができた。
「そうだな・・・とりあえず体の中からなんかが抜けてく感じはする・・・力が入らなくて、声も出せなくて、息をするたびに自分の中から抜けちゃいけない何かが抜けてくような・・・そんな感じだったな」
「・・・そうか・・・お前は感じたのだったか?」
「あぁ、デビットの時にな・・・三日間死に続けた」
「ふふ・・・あ奴もずいぶんとお前に迷惑をかけたものだの・・・だが、そうか・・・やはり死にたくはないな・・・そのような感覚、可能なら味わいたくはない」
死にたくない。生物としては当たり前の欲求で、誰もが一度でも思うようなことであるのは間違いないだろう。
だが、何百年も生きた魔女、アリシア・メリノスがそのようなことを考えているとは思いもよらなかったために少しだけ康太は笑ってしまう。
「何かおかしいことを言ったか?」
「いや・・・なんか、さっき言ってた弟子が何でそんな方法を取ろうとしたのかわかった気がするよ。人を捨ててでも永遠の命を求めたわけ」
「ほう?それはなんだ?なぜあ奴はあのようなことを」
「アリスと一緒だよ。死にたくなかったんだろ」
康太の言葉にアリスは納得してはいないが理解はしたのか、複雑そうな表情をしてしまう。
康太は意図的に口にはしなかったが、もう一つ、その理由に心当たりがあった。
親代わりになって育ててくれた女性は、死にたくないと、長く生きていたいといった。だからこそ、自分も一緒に生きたいと思って、そのような手段を取ったのだろう。
結果的に、失敗に終わったのかもしれない。それが一種の親孝行のつもりだったということにアリスは気づいていないようだった。
気付かないほうが良いことなのかは、康太には分かりかねることだった。
土曜日なので二回分投稿
これからもお楽しみいただければ幸いです




