水の軍配は
康太と文がそんなことを話している中、倉敷は全神経を集中して水を操ろうとしていた。
奏との勢力争いは膠着状態に入っていた。
現状存在する水を操ろうと、互いにその場の水を知覚し、相手が動かそうとしている部分に互いに干渉し続けている。
相手の動きを先読みしながら水を動かそうとし、互いの力がほぼ互角であることを確認できた奏はこのままでいいと現状維持するつもりだった。
今の状態であれば素質の差で奏が押し勝つ。魔力の総量によってそれは決定的となっていた。
貯蔵量も供給量も奏の方が圧倒的に多いのだ。倉敷が勝つためには今のこの状況を打ち破るほかない。
だが常に全神経を研ぎ澄まし、水を操り続けるというのは想像以上に倉敷の体力を奪っていた。
意識を集中することでようやく拮抗できているこの状態を続けるのは至難の業だ。実戦を潜り抜けてきた倉敷も、ここまでの集中状態の持続を強いられているのは数えるほどしか経験していない。
このままではいけない。倉敷もそのことは理解していた。だからこそ何かできる手段はないだろうかと模索し続けていた。
とはいえ倉敷の術は基本水属性だ。その場に出ている水に関してはすべて互いの勢力下にあり、互いに力を掛け合っているような状態だ。
いつ決壊してもおかしくない急ごしらえの堤防のような、綱渡りに近い力のかけ方をしているのである。
ちょっと力のかけ具合が変化すれば、それだけで全体の動きが変化する。決まった形がない水であるがゆえに、互いの力のかけ具合が多少変化するだけでその場の水はうねりを上げて流れを作り出すのだ。
その場に出ている水はすでに操りきってしまっている。奏に干渉されていない水を見つけることができればまだ何とかなるかもしれないが、そんなものはこの場には見当たらなかった。
せめてほんの少し奏の気をそらすことができれば。そこまで考えて倉敷は奏の方に視線を向けた。
こちらを強くにらみながら、その表情は笑っているように見える。この状況で笑えるとは随分と余裕なのだなと、内心歯噛みしながらその目をにらむ。
と同時に、倉敷はあることを思いつく。いや、思い出したというべきだろうか。
試したことはないし、この状況で成功する保証もないが、それでも何もしないよりはましだと意気込んで意識を研ぎ澄ませる。
その場の水は常に動き続け、奏と倉敷の拮抗状態が維持されていることを示している。その場の水分には変化はない。
そう、変化したのは奏自身だった。
奏の目から唐突に涙があふれだしたのである。
「・・・なに・・・!?」
自らの体の変化に奏は一瞬疑問符を浮かべていた。歳のせいでいきなり感情とは別に泣き出したのか、それともこの状況が楽しくてつい泣いてしまったのか、そんなことを一瞬考えるが、奏は即座にその可能性を否定する。
目の前にいる少年が笑っている。してやったりとでも思っているような表情だった。
奏の目からあふれた涙は頬を伝うことはなく、奏の眼球にまとわりつくように膜となっていた。
それだけで視界が制限されるが、同時に倉敷は奏の鼻から強引に鼻水を分泌させていた。
人間の半分以上は水分でできている。空気中に存在する水分を操ることができる倉敷にとって、相手の体内の水分を操ることなど造作もなかった。
もっとも、体内にある水を操るというのはかなりの高等技術だ。良くも悪くも高い集中力を要求され、なおかつ奏が動いていないということが功を奏した。
唐突に涙と鼻水が分泌されたことにより、奏は一瞬、ほんの一瞬だがそちらに気を取られた。
そして倉敷は、そのわずかな隙を見逃さなかった。
ほんのわずかに乱れたその水の流れを感じ取った倉敷は、水の流れを加速させ、奏の操作を乱すべく一気に全体を操っていく。
奏も即座に立て直しを図るが、視覚を一時的に鈍らされ、なおかつ呼吸しにくい状況にされ、一気に状況が変わったことに対して対応しきれなくなっていた。
万全の状態でようやく倉敷と拮抗していたそのせめぎあいは、奏が一瞬動揺したことによって均衡が崩れていた。
右から左へ、上から下へ、隅から隅へ、端から端へ。
倉敷は水の動きを加速させ、ついに奏の操作を上回る速度でその水を一気に奏めがけて襲い掛からせる。
奏は悔しそうにしながらもその水の動きを見ていた。
そして自らのもとに水が襲い掛かりそうになるその刹那、満面の笑みを浮かべる。
「見事」
次の瞬間、奏に襲い掛かっていた水が一瞬のうちに凍り、その動きを止める。
倉敷の制御下から逸脱した水は氷となってその動きを止め、部屋中に冷気が漂っていく。
「・・・くっそ・・・やっぱそうくるか・・・」
水を止めるには炎で蒸発させるか凍らせるか、物理的な障壁を展開するかのどれかを取るしかない。
倉敷からすれば凍らされるというのは容易に想像できたが、これほど一瞬で水をすべて凍らされるとは思ってもみなかった。
それだけ奏の出力が桁違いということでもある。
自らの体の近くまで届きそうなその氷を見ながら、倉敷は白い息を吐いていた。




