決闘を申し上げます
わたしにとってのお兄さんは、兄妹という意味でのお兄さんと同じ存在でした。わたしはいつも彼の後ろに引っ付いて回りましたし、彼もそれを楽しんでいたように思います。
しかしだからこそ、わたしはあの頃と同じことは二度としません。
影に潜んでいた生き残りに気づかず、お兄さんに庇われて泣いている幼い少女ではありません。
『お兄さん、死んじゃ、いやぁ……!』
脳裏に響くのはやはり、あの頃の声です。この日のことを乗り越えなくては、わたしは前に進めないでしょう。
研ぎ終えたナイフを水に浸し、月光にかざします。
「……これでいいでしょう」
わたしはため息を吐き出し、ナイフから滴り落ちる水滴が生み出す波紋を見つめていました。
「決闘を申し上げます」
改めて行われた両親揃っての会の初っ端で。
わたしはファラント様に決闘を申し上げることにしました。
周りがポカーンとしていますが、そんなこと知ったことではありません。
わたしは今、とても怒っているのです。はらわたが煮えくり返っているのです。
わたしは立ち上がり、仁王立ちをして言います。
「決闘内容はもちろん、戦闘です。敗者はどんな内容であれ、勝者の言うことを一つ聞く、という条件の元で行います。相手が地面に膝を十秒以上ついたほうが負けです」
「……ほう。それはつまり……」
「はい。わたしが負けたら、嫁だろうが番犬だろうが、何にでもなってやりますよ」
「……メリアちゃん、番犬はちょっと……」
「それはそれは。可愛い番犬になりそうだな」
お母様、うるさいです。それほどの覚悟があるという意味として捉えてください。
ええ、ええ、なってやろうじゃありませんか。なんなら番犬になった際、「わん」とでも吠えたほうがいいですかねぇ?
両親が「アルメリア、お前はそこまでして結婚したくないのか……! 良いぞ頑張れ!」
みたいな視線を送ってますが、わたしが決闘する理由は別にあります。
負かしてやるのです、この腹立たしい男を。
わたしが未だに、この人に守られていないとやっていけない、幼い少女だと思っているこの男を。
自惚れ野郎を打ち負かしてやらなきゃ、わたしの腹の虫がおさまらないのです。
その条件に、ファラント様は楽しそうに微笑みます。
「その決闘、受けてたとう」
「……言っておきますが、真剣勝負ですので手加減は無しでお願いします」
「そうか、分かった。なら妹を呼んでおこう。何かあっても、彼女なら直ぐに治してくれるからね」
そんなこんなで、売り言葉に買い言葉。
わたしたちは明日の正午より、公爵家の訓練場で決闘をすることになったのです。
***
以前わたしは、誰と戦っても負けることのない頭領に対してこんな疑問をぶつけたことがあります。
『頭領は、どうして負けないのですか?』
今思えば、なんとも馬鹿で子どもらしい発言をしたと思います。しかしその質問に、頭領は笑って答えてくれました。
『んなもん決まってんだろ? あたしゃ、負けるわけにはいかねーからだよ』
『……負けるわけにはいかないのですか?』
『そーだ』
にやりと唇を持ち上げ、頭領は言います。
『いいか、アルメリア。どんなに勝機が見えねー相手だろうと、五百回に一回くらいはこっちが勝つことがあんだよ。なら、勝つためにはどうしたらいいと思う? アルメリア?』
『……分かりません』
この後言われた言葉は、今でもよく覚えています。
頭領は今までにないくらい悪い顔をして言いました。
『簡単さ。その唯一勝てる一回を、運、知恵、技を総動員して、意地でもそのときに持って行くんだよ』
あたしらの世界は、死んだら負けわけだからな。
決闘前の最終調整中、わたしはそのことを思い出しました。
「アルメリア、いいですか? 彼は長剣使いです。間合いをうまく取らなければ、勝機はさらに薄くなるでしょう。必ず、必ず遠くから仕留めるのです。いいですか、アルメリア、」
「……ご鞭撻どうもありがとうございます、お兄様。ですが少しうるさいです」
そんな思考を邪魔してくれたのは、心配して会場にまで駆けつけてくれた、お兄様です。
わたしがそんなことを言えば、お兄様が見た目とは裏腹に情けない顔をします。
「僕はアルメリアがあいつの嫁になるのが嫌なんですよ……! あいつの嫁になるくらいなら、僕が君を娶ります!!」
「お兄様、落ち着きましょう。そして発言が、かなり際どいです」
一応関係的には従兄弟ですが、戸籍的には兄妹です。何をすっとぼけたことを言っているのですか。
思わず半眼を向けていますと、お兄様がおいおいと泣き始めます。
「アルメリアがあいつと結婚することになったら、僕は決死の覚悟であいつを殺しに行こうと思います」
「……お兄様。跡継ぎとしての自覚を欠片も感じさせない回答です。やめてください」
わたしは腰にナイフを差し、ため息を吐きました。幸いと言うべきか、ここにお兄様と同じ過保護な両親はいません。向こうの親と一緒にお話し合いを始めたからです。
なので適当に流しながら、装備を整えて行きました。
今のわたしは、黒装束とはまた違った服を着ています。動きやすいようズボンですし、靴もヒールのないものを履いています。ただ黒装束に身を包まなかったのは、戦う時間帯が昼間だった、ということに尽きるでしょう。だって、意味ないじゃないですか。昼間に黒とか。黒装束は闇にまぎれるからこその黒です。
部屋に置いてある時計を見れば、良い頃合いです。さて、行きましょう。
「それではお兄様、行って参ります」
「必ず勝ってくるんですよ、アルメリア! もしものときは、僕が加勢しますから!」
「……お兄様。それでは決闘の意味がありません」
やれやれ、と首を横に振りつつも、わたしは最後に髪を結びました。後頭部の高い辺りで一つにくくる結い方です。暗殺業をするときしか、この髪型はしたことがありません。
この意味が分かるかどうか。それはファラント様次第でしょう。
わたしは振り返ることなく、会場へと向かいました。