親同伴の攻防戦です
「あんの、腐れ小童がぁぁあああ!!!!」
クタクタになりながらも屋敷に着いた瞬間、お父様は待ち受けていたように玄関でそう叫びました。
お父様、近所迷惑です。
ところで一体全体、どうしたと言うのでしょうか。
しかしそれを聞く前に、お父様はわたしのことを抱き締めます。
「くそう、あの小童め……自分の身分と人脈、影響力を知り得ながらアルメリアを囲いおって……!」
「……まぁ確かに、既に四面楚歌だったとは思いませんでした」
さてさて。それはともかく、その情報を一体どこで入手したのでしょうかね。
フランディール家の謎は深まるばかりです。……いや、薄々気づいてはいるのですが、言えないだけです。言わないほうがいいと、わたしの直感が教えてくれています。
まぁそのうち、話してくれるのではないでしょうか。わたしに関係することならば。
おいおいと泣き始めるお父様をなだめていると、バタバタと音が聞こえてきました。
「メリアちゃん!!」
「アルメリア!!」
お母様とお兄様です。なんとお母様は、お父様を蹴り落とすような勢いでわたしに抱き着いてきました。
そして床に倒れ込むお父様を、お兄様がさりげなーく踏みつけています。
するとお兄様は、綺麗なハンカチでわたしの口を拭い始めます。
「ああ、もう本当に嫌ねあの腹黒は……お母様、泣けてくるわ……」
「本当に汚いことです。アルメリア、他に変なことをされた部分はありませんか? あるなら言ってください。直ぐに消毒します」
「もうありませんのでご遠慮します……それよりあの、お母様、お兄様。足元にお父様が……」
お兄様が胴体を踏みつけているのに加え、お母様がヒールで、お父様の手を踏みつけています。社交界の花とまで言われているお母様とは、まるで思えない所業です。
そしてそれを黙認しているお父様、長としての威厳が欠片もないのですが。
これ、どこからツッコめば正解なんでしょうか。誰か教えてください。
「いいのよ、こんな人。メリアちゃんの婚約を破棄しようとしたのに、競り負けちゃったこの人なんて」
「……競り負けたって、どんな競争をしていたんですか」
「ふふふ。アビシリア公爵閣下と、盤ゲームで勝負してたの。勝てるはずもないのだけれど」
「父上は、頭脳戦には弱い脳筋ですからね」
お兄様。お父様を凄まじい勢いで罵倒するのはやめましょう。
そしてお母様、次いでぼやかれた「だから、睡眠薬盛って潰しましょうって言ったのに」という言葉が、とても怖いです。
……分かりました。わたし、もうどこにもツッコミをかましません。それが一番安全だとようやく理解しました。
ただ、一言だけ言わせてください。
そりゃあ、『あの』フランディール家とか言われますよ。
泣いて抱き着くお母様、お父様を踏みつけるお兄様、踏まれているのに黙認するお父様に囲まれ、わたしは今日もため息を吐きました。
***
婚約というのはつまり、結婚の約束を取り付けるということです。
その他がどうだかは知りませんが、今回は求婚を受けてからの婚約です。その上わたしは成人済み。ということは、直ぐに結婚して嫁ぐ、というラストが待ち構えているわけです。
……おかしいですね。つい先月、引越ししたばかりな気がするのですが。
似非臭い笑みを思い出すたびに吐き気をもよおします。とりあえず、あの綺麗な顔に傷を一つほど残したいものです。
本人同士の顔合わせが終わりましたので、次は親同伴の顔合わせがあるのですが……。
アビシリア公爵とその夫人は、凄まじい存在感を持った人たちでした。
もうだいぶ歳をとっているはずなのに、癖のある黒髪に緑の目、銀縁の眼鏡をつけた公爵は、まだまだ若いです。その一方で夫人も、現役時代『麗しの戦乙女』と呼称されてきただけの美貌がありました。薄い金髪に紫眼を持った、長身の美女です。
向かい側に目が痛くなるような美貌の人たちが集まっていて、わたしの目はもう焼けそうです。失明してもいいでしょうか。
「ご機嫌麗しく、アビシリア公爵夫人? まさかあなたの御宅のファラント様が、わたしの娘を見初めるとは思いませんでしたわ」
「そうですね、フランディール伯爵夫人。わたくし、どうなることかと思っていた息子の嫁ができて、ホッとしておりますの」
……そんな中お母様が、初っ端から喧嘩を売りました。「わたしの娘」という箇所に、尋常じゃないほどの強調がされています。
そしてアビシリア公爵夫人。まだ嫁になってません。承諾はしてませんよ。
一方のお父様も、負けじと攻防を始めます。
「これはこれは、アビシリア公爵閣下。先日はどうもありがとうございましたな」
「そうですねぇ、フランディール伯爵。楽しい時間でした。……ふふ」
……お父様のほうは、惨敗の予感がしますが。
これならおそらく、家で待機を命じられたお兄様のほうが、そこそこ相対できたのではないでしょうか。今頃きっと、怨念をぶちまけているような気がします。
……お兄様、呪いに手を出すのはやめてくださいね。
昨日の夜聞こえてきた呪文を思い出しながら、わたしはそんなことを思いました。
そしてわたしの相対者はというと、ニッコニコの笑顔を貼り付けてわたしを見つめています。
この家族、怖いです。
わたしは早々に、相対することを放棄しました。面倒ごとは嫌いです。つっけんとした対応を崩さないまま、わたしはお人形宜しく座っていることにしました。
かと思いきや、アビシリア公爵夫人がわたしに声をかけてきます。
「ところで、アルメリアさん。ファラントとは、どう言った経緯で出会ったんですの?」
「……ファラント様から、お聞きしていませんか?」
「ええ、そうなのです。ファラントときたら、まるで自分のことを語らず……」
この腹黒。わざとですね絶対。そしてこのご夫人もご夫人です。抜かりないというか、隙がないというか。
口元を扇子で押さえつつ、夫人は優しそうに微笑みました。
ため息がこぼれそうになるのを、ぐっとこらえて答えます。
「……ファラント様とは、社交界デビューをした際の夜会で出会いました」
「あら。この子にしては、ロマンチックな出会いをしたこと」
夫人。残念なことに、ロマンとは程遠い出会いをしました。あれは間違いなく、殺し合いです。
しかしそれを正直に言ってしまうと、わたしの前職がバレてしまいます。証拠品を押さえているファラント様もいます。言い逃れは不可能です。しかし、この雰囲気としては誰にも打ち明けていないことでしょう。つまり、わたしのことを誰かに言うことはないということです。……多分。
結果そこはかとなく微笑むだけで、わたしはその質問から逃れることにしました。
「ところで夫人としては、わたしがファラント様と結婚することは、どう思っているのでしょうか」
「あら。わたくしですの?」
「はい」
ファラント様をどうにかするのは、最早不可能に近いでしょう。
ならば方向転換して、親から味方につけようと思ったわけです。
しかし予想通りと言うべきか、夫人はほほほ、と上品に微笑まれました。
「ファラントが決めた相手ですからね。わたくしは文句などございませんわ。それにわたくしもアルメリアさんを見て、一目で気に入ってしまいましたの」
「…………左様ですか」
予想を超える反応に、後頭部が痛くなってきます。いけません、頭を活性化させるために、糖分を摂取します。
わたしは紅茶に砂糖を落とし、ゆっくりとすすりました。
カップをおいてから、また夫人へと目を移します。
「それにファラントときたら、女性にまるで興味がありませんでしたの。ですからわたくしとしては、アルメリアさん以外に適任はいらっしゃらないと思いますわ」
「……まぁ、夫人。そんなことはありませんわ。ファラント様ほどの方ならば、嫁の一人や二人くらい見つかることでしょう。何もアルメリアでなくとも良いとは思いませんか?」
「わたくし、相思相愛の関係が好ましいと思っておりますの」
……わたしとこの腹黒との関係のどこを見たら、相思相愛になるんでしょうか。
迷惑極まりないので、やめていただきたいです。
お母様の増援があったのでなんとか流せましたが、夫人は押しが強そうです。押し切られることだけは避けなくてはなりません。
これから続くであろう交戦を考え、はぁ、と息を吐いたときでした。
「旦那様、奥様、お坊ちゃま」
執事頭さんでしょうか。見た目からして厳かな感じの男性が、真剣な顔をして入ってきました。
執事頭さんが、公爵に耳打ちをします。それを聞き、公爵はひとつ頷きました。
疑問が解消される前に、公爵が穏やかな笑みを浮かべて言います。
「大変申し訳ない、こちらで急用が入ってしまいました。この埋め合わせは、またの機会ということでどうでしょうか」
「左様ですか。もちろん構いませんぞ」
お父様とお母様は、嬉々としてそれを受けます。
わたしも不承不承頷きました。返答が微妙になったのは、気にかかることがあったためです。
公爵に、緊急の用事ですか。
帰宅は迅速でした。そりゃイヤイヤでしたからね。仕方ないです。
帰宅の際、気になって公爵家宅の二階辺りを見上げていたら、ファラント様と目が合いました。
彼は少しだけ目を見開き、ひらひらと手を振ってきます。
その様に、どことなく、既視感というものを抱きました。
しかしそれを解消する間もないまま、わたしは馬車に乗り込んだのです。