決闘、開始です
会場は、石造りの床が広がる、比較的簡素なものでした。その一帯が吹き抜けになっており、上を見上げれば太陽が見えます。日はちょうど、真上に出ていました。……これなら、まぁ、いけそうですね。
中は簡素な上に、あちこちに傷が刻まれています。それほどまでに、ここの公爵家の方々は努力をなさっているのでしょう。
会場の調べを終えたわたしは、真ん中で待ち受けているファラント様のもとへ歩み寄りました。彼は既に、ウォーミングアップを終えています。ぽたりぽたりと、髪から汗が滴っていました。わたしも一応、公爵家に来る前にお兄様お手合わせを願ったので、さほど鈍ってはいません。お互い、準備万端ということでしょう。
水も滴る良い男、という具合でしょうか。ファラント様は酷く楽しそうな笑みを浮かべ、わたしに言います。
「待っていたよ」
「……左様ですか。それでは、本日はよろしくお願いします」
わたしは何かを続けて言おうとしてきたファラント様の言葉を遮りました。決闘前に、無駄な会話はいりません。そうでしょう、ファラント様。
それを主張するために、わたしは無言で腰からナイフを抜きました。幼少から使っている愛刀です。
すると公爵閣下が、中央に寄ってきました。
「本日は審判を務めさせていただきますね」
「……はい、よろしくお願いします」
ちらりと見れば、両親が小さく歓声を送っています。お兄様は親指を立てて、首を切るような動作を見せました。ですからお兄様、これは決闘であって、暗殺ではありません。落ち着いて。
そんな声援に答えるために、少しだけ手を振ってみます。すると三人が合わせて、グッと拳を向けてきました。
「さて、始めますよ」
公爵閣下の声に、ファラント様は剣を抜いて構えます。下段の構えでした。……なるほど。
わたしもナイフを構えて、間合いを見ます。
沈黙。
風が髪を巻く、心地良い音だけが響き。
「始め」
それと同時に、ファラント様が一気に距離を詰めてきました。
それを見越していたわたしは、体を後ろに回転させながら飛びます。
一線。
横に凪ぐように払われた一太刀は、わたしの足元があった場所を空振りました。
着地をする前に、わたしはそのままの体勢で投擲ナイフを飛ばしました。
ファラント様はそれを、先ほどの一線の勢いを殺さぬまま払いました。からんからん、とナイフが落ちる音がします。
初手の一撃としてはまずまずです。そもそも目的は、そういうことではありませんし。
着地とともに後ろに下がり、間合いを保ちます。
相手は、体格差が圧倒的にある男性です。足も早いですし、長剣のリーチもあります。むやみやたらと突っ込んで良い相手ではありません。
だから今は、様子を見ます。彼の太刀筋を見極めるのです。
空を斬っていく剣筋を見て、思わずほう、と息を吐きました。さすが団長です。剣が震えることなく、酷く安定しています。無駄な雑味を徹底的に取り除いた、美しい剣筋です。
ナイフを飛ばして牽制を続けつつ、わたしは腰から新たな武器を引き抜きました。
ナイフを鞘に戻し、その武器を形にしていきます。
「それは……折りたたみ式の棍か……!」
そう、棍です。長さで言うなら、一メートル六十センチの棍。普段は持ち運びがしやすいように、三十センチほどの筒になっています。これがあれば、長剣よりもリーチのある間合いが取れるわけです。
ただし目的は、別にありますが。
ふう、と息を整えた後、わたしは思い切り前方へと飛び出しました。
リーチが長いゆえに大振りなそれを、ファラント様は軽々と弾き飛ばします。交錯すること数分。わたしの手から、棍が零れ落ちました。
すかさず間を取り、流れてきた切っ先を腰から引き抜いた剣で受け流します。
……やはり予想通り、とても強いです。
長期戦に持ち込めば、体力の少ないわたしでは確実に負けてしまうことでしょう。
押し合いで勝てないことは、最早周知の事実です。
……個人的にはあまり嬉しくないのですが、数打っちゃ当たる戦法ですかね。
本当に、不本意極まりないですが。
打ち合いを続けているうちに壁際に追い込まれ、なんとも言えず間合いの取りにくい形になってきました。
しかしこれは、チャンスです。
わたしは特殊な糸のような紐が付いたナイフを取り出し、壁の上部に向かって投げ飛ばします。見事に突き刺さったそれを持ち、残り少ない体力を振り絞り壁を蹴り上げました。
一回転。
ファラント様より高い位置でバク転をし、投擲ナイフを飛ばしてから着地。そして背後から、間合いを詰めました。
首めがけて振り抜いたナイフ。
「……っっ!!」
しかしそれは呆気ないほど簡単に、わたしの手から零れ落ちました。
ぽたぽたと、二の腕から血が落ちます。
斬られた。
そう察したときには、ファラント様の剣が首筋にありました。
「……これで終わりかな」
「……そのようですね」
傷口を押さえつつ、はあ、とため息を吐き。
とさりと、ファラント様が倒れました。
それとともに首筋から離れていくそれに、思わず安堵の息を吐いてしまいます。
公爵閣下は、酷く冷静な声で秒数を数え始めました。
「……十。勝者は、アルメリア・フランディールです」
そして終わった決闘に、わたしは思わずへたり込んでしまいました。
「……何が……」
「何がとは、どういうことでしょうか」
未だに床に倒れたままのファラント様は、今の自分の現状が理解できないようです。仕方ありませんね。わたしもまさか、成功するとは思いませんでしたし。
駆けつけてくださったファラント様の妹様に手当てを受けながら、わたしは種明かしをすることにします。
「さして難しい話ではありません。ファラント様は、麻痺毒でお倒れになったのです」
「……なる、ほど」
公爵閣下に起こされながら、ファラント様は唸ります。
わたしは続けて言いました。
「しかし、ファラント様にどの毒が効くか不明でしたので、複数の毒を粉末状にして、ナイフの先に付けて飛散させることにしたのです」
ファラント様はおそらく、ある程度の毒への耐性を持っているのであろうと踏みました。理由は頭領の知り合いだったからです。暗殺者というのは、幼少より毒を含み、体に慣らす習性があるのです。実用性を求めたファラント様のことです。やっていそうな気がしました。
だからこそ、毒選びには苦戦したのです。
すると両親とお兄様が駆けつけてきました。しかし傷は、妹様のお陰ですっかり治っています。さすが天才魔術師です。この程度の傷を治療することなど、ちょろいものなのでしょう。
「しかし毒と言っても、何をやったんですか、アルメリア」
「とりあえず何が効くか分からなかったので、即効性のある毒や遅効性の毒、日の光を浴びると毒性を発するもの、二種の薬草を合わせると毒性を示すものなど、計十ほどの毒を集めてみました。正直、どうなるかはわたしにも分からなかったのですがね」
まぁこれがいわゆるところの、運と知恵の賜物というやつなのでしょう。
ファラント様に実力ともに負けているわたしには、暗殺者として身につけたこの技能以外、勝てる場所がないと踏んだのです。
因みに棍にも、飛沫性と高い毒を仕込んでいました。もちろんわたしには効かない毒です。既に慣らしてありましたからね。その辺りに抜かりはありません。
というより、ファラント様が秀でていることで負かしても、いつかはまた倒されてしまいます。だからこそわたしは、自分の中で一番秀でたことで勝ちたかったわけです。
まぁ薬の配分としては、どれも三十分もすれば抜けてくる程度の弱い毒です。ファラント様はよろよろと立ち上がり、弱々しい笑みを浮かべました。
「いやはや、参った。まさか負けてしまうとは」
「どんな勝ち方であれ、この勝敗に文句はありませんよね、ファラント様」
「ああ、もちろんだ。アルメリアの好きなようにすればいい」
その瞬間、その場にいる皆の視線が一気にわたしに集まりました。つまり、わたしが何を言うか期待している、と言った具合なのでしょう。
「それでアルメリア。君の願いとは一体何かな?」
皆が固唾を飲んで見守る中。
「わたしの願いは――」
ずっとずっと、一人で考えていた願いです。ファラント様を負かしたら言おうと、心から決めていた願いごとです。
わたしの願いは、ただ一つでした。
ひとつ間を空け、わたしは口を開きます。
ついで吐き出された言葉に、誰もが目を見開きました。




