従兄の隅の窓 E・T・Aホフマン作 des vetters eckfenster 試論 すべてが人形劇と化した仮想小説
これはホフマンが病気で寝たきりとなり、死ぬ数ヶ月前に書かれた(口述筆記)絶筆である。
主人公である従兄は病床にあり、寝たきりで動けない。唯一広場に面した、隅の窓から外を眺めるだけがたのしみなのだ。
ある日たずねていった、自分に、従兄は広場に集う人々の、ことをまるで旧知の人のごとく、生き生きとその、人柄、性情、人間関係まで、事細かに、語ってくれるのである。
だが待てよ、従兄は寝たきりで一歩も外に出られないのである。何でそんな、広場に集う人々の細かな人間模様までわかるのか?
実はというか、すべては従兄の想像・夢想に依るフィクションなのである。
つまりでまかせ、広場の人を見てあることないこと従兄が勝手にでっち上げて、作り出した、虚構の世界なのだ。
しかし、それはまさに、かくあらんとでも言おうか、とんでもない夢想世界というか、生き生きとした人間模様になっているのだ。
現実なのにそれは夢想、
おそらく実際の広場の人間は、従兄の語ることとはちがう人柄、性情、人間関係だろう。
つまり、間違っているだろう。
しかし、外にまったく出られない従兄にとってはその、つむぎだした夢想的な広場の人間像がつまり真実なのだ。そしておそらく従兄の妄想のほうが実際の広場の人の生活よりずっと、
生気があり面白いだろう。虚構と現実、現実が虚構であり、虚構が現実より凌駕してしまう。
物語(erzerung)の本質であるところの、虚構が現実を覆い尽くしてしまうという、そのエスプリが、つまり物語の始原が、その秘密が奇しくもこの「従兄の隅窓」という絶筆には、描かれているのだ。