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皇帝の居城であるパンデモニウムは、青く輝く湖の中央に白く輝くいくつもの尖塔が集まり形作られた壮麗で美しい城だ。上空からの眺めは圧巻で、人間の手では到底建設不可能と思われる。実際に人間が造ったわけではないのだが。
その城の中を気ままに歩く赤い髪の背の高い男性は城の主である皇帝陛下。メルカーノ視察からお帰りあそばされた陛下は甚くご機嫌に歩いている。玉座の間に入室すると臣下たちが頭を下げて微動だにせず待っている。
マントを翻しながら玉座に座ると皇帝は全員を見渡してから良く通る声で全員に命じた。
「ご苦労皆の者。顔を上げよ」
一糸乱れぬ動きで顔を上げた臣下たちは機嫌の良さそうな主の顔に少し驚いて、主の膝に座る少女を見てさらに驚いた。今まで玉座に座るときに誰かを伴うような真似をしたことのない我らが主が、膝に少女(?)を乗せているのだ。もちろん顔にも態度にも出さないが誰もが、全員同じように驚いていることが分かった。
――新しい側室さまか?
――随分ちんちくりんでペッタンコな側室さまだな……
――今まで見たことがないような種類の側室さまだな……人間か? 人間なのか?
――……醜いわけではないのだが美しいとも言い難い。何と表現したら良いのだ?
――ずいぶん貧相な魔力の側室さまだな
皇帝の膝に座らせられているハナを当然側室と思い込んだ臣下たちは、彼女を褒め称えるためにガン見せずに吟味し始めたが、どこをどう褒めるべきかさっぱり思い浮かばない。
日焼けして真っ黒な肌、同じように日焼けしてボサボサに傷んだ髪の毛にペッタンコな体。いや、見た目はアレだがもしかして頭がものすごく良いのかもしれない。或いはものすごい特技の持ち主かもしれない。
「皆の者、紹介しよう」
皇帝はそんな変な緊張感を物ともせずに口を開いた。権力者たるもの空気など読まない。空気ごときに惑わされていては銀河の頂点に立てるわけなどないのだ。
とにかく皇帝が口を開くとやはり全員微動だにせず、ビクリと体を震わせるという器用な真似をした。
「余のペットのポチである」
――ペット? ペット、てあのペット!?
――ペットであっても褒め称えなければならないだろう
ペットにあのもそのもこのもないのだが、全員で同じツッコミを心の中で入れた。国政を預かる者全員が同じ方向を向くと独裁政治に近付くのだろうが、銀河帝国は既に独裁政治のようなものなので問題はない。
「さ、ポチ。皆に挨拶をするのだ」
そして突然ムチャ振りをされたハナは、偉い人の膝の上に座ったまま自分より魔力が豊富でしかも背が軒並み高く、人間離れした超絶美形の集団に圧倒されて硬直していた。
「どうしたのだ、ポチ?」
挨拶を聞けば知能のほどが大体分かる。ハナの頭の出来が褒めるべきところかどうか見極めるため全員固唾を呑んでハナの挨拶を待った。
「え、えーと……野原ハナでぇ……へ、ふぇ、ふぇ……ぶぇックショイ!」
ところがハナは豪快にクシャミをしてしまった。皇帝には膝に座っているハナの緊張がひしひしと伝わっていたため、その緊張を解すために髪の毛をうねらせてハナの鼻の穴を擽ったのだ。
おかげで彼女は超絶美形全員に間抜け面を晒すことになってしまった。
「おお、ポチ! 期待以上であるぞ!」
そしてなぜか感動して喜ぶ皇帝陛下。
――おお、そういうことか!
――なるほど! さすが陛下お目が高い!
それを見て何かを察した臣下全員で拍手をして一緒になって喜んでいる。クシャミをしただけでスタンディングオベーションをされたハナは居た堪れなくなったが、誰も察してはくれない。
場の興奮が静まるとウェネリース公爵とエル公爵の二人が一歩進み出た。
「素晴らしいペットでございます、陛下」
「愛嬌のある仕草と良い、陛下の御心を癒すにこれほど相応しいペットはいないでしょう」
二人が口を揃えてなんとか褒め称えると皇帝は満足そうに顔を綻ばせて頷いた。
だが――
「ポチさまと仰いますか」
ウェネリース公爵がそう言った途端に皇帝は不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
何か失言でもしたのだろうか、と叩頭する公爵。
「これをポチと呼んで良いのは余だけである。良いな」
「御意!」
全員が再び頭を下げる中、皇帝はハナを抱きかかえて不機嫌なまま玉座の間を後にした。
しばらく無言で歩いていた皇帝が徐に口を開いた。
「良いか、ポチ」
「はい?」
「他の者にポチと呼ばせてはならんぞ」
自分が付けた名を他の者が口にしたとき、また不可解な感情に捕らわれたのだが、それは少々苦痛を伴うものだった。
ハナ自身は皇帝にもそうは呼ばれたくはないのだが、偉い人がそう言うので従うことにした。