ハナと侯爵~その3
「おお、可愛らしいな」
「モーモ!」
ハナが出来上がった制服に袖を通し、さっそくお披露目をすると侯爵は優しい顔で、ミノちゃんもなぜか一緒に喜んでいる。
「ほんとに、可愛い制服ですね」
クリーム色の丸襟のワンピースに赤いリボン、白い靴下の制服はななかなか可愛らしくてハナもニコニコしながら頷いた。
「うむ、ハナに似合っている。可愛らしいぞ、ハナ」
「え!? あ、ありがと、ございます」
まさか自分が褒められると思わなかったハナは、赤くなりながら俯いて照れている。こんな風に男性にストレートに褒められればハナだって嬉しい。
「うむ……そうだ、髪を伸ばしたらどうだ? もっと可愛らしくなると思うぞ」
いつの間にかハナの傍に立っていた侯爵が、ハナの頭に大きな手を載せた。ハナの髪もいくらか伸びてきて現在ベリーショート。
女性の気持ちの機微など疎すぎる侯爵だが、自然とそんな言葉が口から出ていた。
「そ、そうかな? ……伸ばそうかな……えへへ」
俯いていた顔を上げて照れながらも侯爵を真っ直ぐ見つめるハナの嬉しそうな瞳に、優しい視線を送っていた侯爵はハッとした。
「あ、ああ、そうだな」
臆面もなく褒められたハナはすっかり照れてしまい、どうして良いか分からず誤魔化すように話を逸らした。
「あ、あの、あ! 学校楽しみだなぁ……友達とかたくさんできると良いなぁ……」
「そうだな……」
ぼそりと返した侯爵はハナの頭を撫でていた掌を心ここに非ずで見つめた。
***
「びっくりしたぁ……」
「モ?」
普段着に着替えて夕食を終え、ミノちゃんと部屋に戻ったハナはさきほどのやり取りを思い出して少し乙女的ドキドキを噛み締めていた。
男性に「可愛い」などと言われれば、お世辞と分かっていても嬉しいものだ。
それが、強面といえ美形な男の人に言われれば尚更に乙女心が大いに擽られた。
「でも、きっと深い意味はないって……」
「モ!」
良い感じで相槌を入れるミノちゃんを相手に赤くなりながら話すハナの表情は乙女そのものだ。
「あ! 侯爵さまのことだから、ペットに「可愛い」って言うのと同じだよね、ミノちゃん!」
「モーモ、モ!」
「うん、侯爵さま怖い顔だけど、優しい人だしね、気を使ってくれたんだね……あ、もしかしてお父さんが娘に可愛いって言うのと同じだね……」
どちらにしろ、乙女的なドキドキを久々に噛み締めながらハナは髪を伸ばそうと決心した。
***
「うむ、ハナは可愛らしい……見目が可愛らしいというわけではないのになぜだ? いや、見目は十分可愛らしいな」
寝室でブツブツと言いながら真顔で酒を煽る侯爵は動揺していた。
学校の真新しい制服に身を包んだハナの姿は少なからず侯爵に何らかの衝撃を齎していた。
普段は、ズボンを履いて少年の様な格好をしていたハナだったが、ワンピースタイプの制服を着ていたハナは紛れもなく年頃の少女。「可愛らしい」と言う言葉がスンナリと出てきた。
「いや、見目もだが、性格も可愛らしいではないか……ハナは。どこもかしこも可愛らしいではないか?」
そして、一月以上一緒に生活しているうちに見えてきたハナという少女。
ミノちゃん、ドラコと楽しそうに遊ぶ姿、一生懸命勉強に打ち込む姿。そこにあるのは極普通の十七歳の少女の姿だ。
それを可愛らしいと思う自分自身。
ペットに対しての「可愛らしい」という感情とは全く別の感情――彼にとって初めての感情に大いに動揺していた。
「うむ、順序立てて考えるのだ……そうだ、俺から見ればハナはだいぶ年が離れているからな、赤子同然。そうだ、赤子が可愛らしいのと同じことだ。と、言うことは……そうか、父親が娘を可愛らしいと思うのと同じことだ……そうか、ハナは俺の娘か」
うむうむ、と頷きながらもまったく納得していない顔で酒をグビリと流し込む。とにかく、口に出して考えを纏めなければならないくらいには動揺している。
「そうだ。可愛らしい娘を持って誇りに思うぞ……うむ、あの性格なら友人もすぐにできるな……恋人もすぐにでき――」
――侯爵さま! あの、彼氏に会ってもらえませんか?
――あー、初めまして。ハナの親父さんッスかぁ? あ、俺、ハナの彼氏のレイでぇす、ヨロシクー
「ダメだ! ハナはまだ十七歳! どこの馬の骨とも知れんチャラチャラした薄っぺらい男になどくれてやるわけにはいかん! というか、誰が親父だ! 俺はハナの父親ではない!」
彼の脳内には何故か赤い髪のチャラチャラとした風体の長身の男が、ハナに寄り添いヘラヘラと侯爵に挨拶をする、という映像が流れていた。
――ハナとケッコン? したいっつーかぁ。良いっしょ、オヤジさん
「許さん! 貴様のようなチャラチャラした男にハナはやらん!」
――っつーかさぁ、オヤジさん? デキ婚ッスよぉ。男の責任ってヤツ、取ったり取らなかったりぃ、みたいなぁ? アハハハー!
「だ、ダメだ! 絶対にダメだ……ハナは俺が幸せにする! 例えハナの腹に貴様の子がいようと、いや、断じて貴様の子ではない! それは、その子は……俺の子だ!」
脳内のチャラ男を怒鳴った侯爵は、自分の出した怒鳴り声に一気に酔いが醒めた。
そして、視界が一気に開けた。
「……そういうことか」
*
「ううー……暑いぃ……」
「モ……」
「ミノちゃ、暑いよぅ……」
空が白み始める頃、ハナは暑さに魘されていた。
最近、寝るときにミノちゃんがハナのベッドに入ってきてぺったりとくっついて寝るのが習慣になっていた。ミノちゃんがいつにも増してぺったりとくっつき、いやそれどころかぎゅうぎゅうと抱き着いていて暑くて堪らない。
しかも、微かにアルコールの匂いが漂ってきてハナはぼんやりとしながら目が覚めた。
寝ぼけながらミノちゃんを離そうと手を伸ばすが、がっしりくっついて離れない。
しかも、触った感触もがっしりしている上に、ミノちゃんのフワフワな毛の感触が全くしない。どちかというと、人間の皮膚に近い――
「ふぇぇぇっ!? 人間!?」
暑苦しい感触に一気に覚醒したハナをしっかり抱きしめていたのは、侯爵さまだった。
「こ! こ、ここここ、こ!」
「……なんだ? 鶏の真似か?」
ハナの奇声に薄らと目を開けた侯爵が、寝起きの擦れた声で言いながら再び目を閉じた。
「侯爵さま!? な、なにをしてらっしゃるんですか!?」
一方、すっかり目が覚めてしまったハナは何が起こったのか分からず、目を白黒させながら引っくり返った声を上げるのが精一杯。
「ハナ……」
「は、はい!?」
低い声で囁くように名前を呼ばれて顔を上げると、目を瞑った侯爵の顔が見える。
いつもは後ろに撫で付けている前髪がパラパラと落ちて、若く見えるなぁ、などととハナは少し現実逃避した。
「お前は、可愛いな」
そんなハナに目を瞑ったまま、侯爵は甘い雰囲気で囁いている。
「ふぇぇっ?」
「……だから、こうしていないと他の男に持っていかれてしまう」
まるで恋人にするように、ホケッとするハナの額に侯爵の唇が押し当てられた。
何がどうして侯爵がこうなってしまったのか見当もつかないハナだが、一つ分かったことがある。
「侯爵さま?」
「なんだ?」
「酔っ払ってるんですね?」
「うむ……そうだ」
「まったく……仕方ない人ですね」
「もう、びっくりした」と呟くハナの声を聞きながら侯爵は満足そうに目を閉じている。
ハナに嫌われている、ということはなさそうで一先ず安心だ。それどころか、ハナの赤い顔を見れば、遠くない将来気持ちが通じる可能性がありそう――
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「楽しくない! な、何を語っておるのだ!? ハナと侯爵、ハナと侯爵だと!?」
「陛下、もしものお話ですわよ」
「ハナは侯爵が好きなのか!? 返答次第によっては……くぅっ……だが、ハナが幸せなら余は、余は……ぐはぁっ!」
楽しいお茶会の場に流れる皇帝の血。胸を押さえ髪を掻き毟りながら転げまわる皇帝陛下のお姿に、イオとセテはドン引きだ。
「陛下、私はハナ殿はペットとしか思っておりませんから……ですが、なかなか悪くない話かと……」
「……いえ、確かにこの話は気に入らないですわ……ですからハナさんはわたくしが引き取りますわ」
血まみれの皇帝に止めを刺すイオ。