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皇帝の塔と貴族の塔を結ぶ通路で不審な動きをする人物が目撃された。たまたま傍を通りかかったセルゲンはその一部始終を見ていた。その後、その奇妙な動きに散々迷ってから無難な声を掛けた。
「……アレス様、どちらへ?」
「あ、あら、セルゲン。散歩よ?」
「お一人ですか?」
現在、正妃候補と側室たちの間で噂になっているアレスが無防備どころか、大っぴらにパンデモニウム内で奇妙な行動をしている。
あまり褒められたことではない。
早めに侍女やら、護衛を選定せねば、とセルゲンは内心で誰が良いか考え始めた。
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急ぎ足で歩くアレスがセルゲンの目に止まった。少し足元が危なっかしい。
あ、と思ったときにアレスは、磨かれすぎた床で滑って転んでしまった。可愛らしく転けたのなら、まだしも「ふべらばっ!」と奇妙な声を上げ豪快にツルンと仰向けに倒れたのだ。
その豪快な姿にセルゲンは魅せられた。ワンピースもスリップも捲れて、反対側にいたなら下着が丸見えだろう。ある意味百年の恋も醒める姿だ。
暫しその姿でじっとしていたアレスに、手を貸そうか貸すまいかセルゲンは悩む。
彼は学習した。乙女の恥ずかしい姿は気付いても、気付かない振りをしなければならないことに。
上級紳士であれば、何事でもないような微笑みでさり気なく手をかすのだろうが、彼は上級でもなければ紳士でもない。別にそうありたいとも思わない。
ただ、皇帝陛下の初恋の乙女の機嫌を損なわないようにするだけだ。
それでも、あまりの姿に手を貸そうか葛藤していると、アレスはゴロンと俯せになり、プルプルと震えながら四つん這いになった。
はて、どこかで見た姿だな、と思いながら見守っていると、プルプルしながら頑張って立ち上がったアレスが一言。
「産まれたての小鹿!」
と叫んだのだ。
「ああ、ハナさんが以前やっていましたね」
以前、皇帝に芸を所望されたハナがやっていたのを思い出した。
セルゲンが納得する間もアレスは「いやあああぁぁぁっ! 私、何をしているの!?」と悲鳴を上げている。そして、一部始終を見なかったことにすることにしたセルゲンは、すました顔でアレスに歩み寄った。
そして冒頭へ……。
「一人であまり出歩かないでください、アレスさま」
「ええ。でも、ここは平和ね……」
遠まわしに一人でも大丈夫だと告げるアレスにおかしなところは見当たらず、「お気を付けて」と見送った。
***
さて、アレスが奇妙な行動をしている間に、ハナはイオとセテとに会いに行っていた。
「会えて嬉しいわ、ハナさん」
二人に久しぶりに会うためか、一人でぎこちない雰囲気を放っているハナにイオが飛びついた。お姫様らしからぬ行動だが、ここで咎めるものはいない。
そして、イオの膝に座り、セテの手からお菓子を食べるという至福を満喫している内に、以前の調子を取り戻した。
「まぁ? では、ハナさんは過去の地球からやってらしたのね……」
話しが進むうちにハナの話しになり、今更隠すことでもない、とハナはかいつまんで話しをした。
「ふぅん……異世界に召喚されて、戻ったら未来だった、と」
それからセテはハナがサイクロプスと戦った時の話しを思い出した。血生臭い話しが大好きなセテは、その話しを覚えていた。
「じゃあ、サイクロプスとはその、ディリアとやらで戦ったんだね」
その話しを持ち出したセテにイオは少し眉を顰めた。
ハナにとって良い思い出ではない話しをわざわざする必要はない。
「サイクロプス……? あたしは、戦ってないですよ? 役に立たなくって、みんなの後ろに隠れてただけだもん」
「え……ハナさん?」
キョトンとした顔で答えるハナにイオは戸惑った。いつだったか、苦しそうな顔でハナは泣いていたではないか。
セテも不思議そうな顔をしてハナを見つめた。あんなに楽しそうに戦闘シーンを再現していたのに。
だが、嘘を吐いているとは思えないハナのキョトンとした顔に、二人は追求を止めた。触れてはいけない、と悟った二人はまた話題を変える。
「それにしても、数奇な人生……運命だね」
セテが遠い目をして呟くと、ハナは首を傾げた。
「運命?」
「うん。何か、ここでやるべきことがあるかもしれない……」
「やるべき、こと……」
ブツブツ呟くハナの表情は、先程までの楽しそうな顔と打って変わり剣呑な雰囲気が混ざり始めた。イオもセテもそんなハナの頭を撫でた。
「でも、一番はハナさんが幸せになることよ」
「おや、あれは……麗しき正妃候補様ではないかな?」
そうしてハナの頭をグリグリと撫でているセテの視界がアレスを捉えた。
「アレス?」
「あら、あちらは何もないのに……お一人でお散歩かしら?」
イオの言葉にハナは弾かれたように顔を上げた。
やらなければいけないこと。
アレスの不審な行動。
「あたし、やらなきゃ……」
未来に来た意味など分からないし、運命かどうかは分からない。
それでも、やらなきゃいけないことがある。
アレスの企みを暴いて阻止すること。
それが終わって初めて、ハナは再出発できる。
そんな気がする。