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ハナは寝起きがとても良いのに、今朝はいつものようにスッキリと目が覚めない。
ぼんやりとした頭で目を擦りながらむっくりと起き上がる。
「うんにゃ……」
まだ寝ぼけているのか、もう一度目を擦りながら部屋の中を見回す。
「……うん?」
明らかに見慣れぬ広い部屋に立派な調度品、花が飾られてテーブルには山盛りフルーツ。
なんだか見覚えがあるような気がするが、気のせいかもしれない。
「あ、そっか……あたし……」
ブツブツと口の中で独り言を繰り返す。
――確か、変なところに呼び出されたんだ。なんとか王国の王様に呼び出されて、魔王退治して来いって言われて、そうしないと家に返さないって……それで……ん?
部屋の扉がノックされてハナの思考は中断された。
「どうぞ」
「入るぞ……」
「ぎ、ぎゃああああっ!」
静かに入ってきたやたら背の高い異様な色彩の男にハナは飛び上がるほど驚いた。そして、驚くハナに釣られて驚く皇帝陛下。
「ど、どうしたのだ、ハナ?」
「ま、まままま、魔王! 魔王がいる!?」
「お、落ち着くのだハナ! 余は魔王であって魔王に非ず!」
「何言って……ぎゃああああああっ!」
魔王を指差しながらプルプルと震えるハナは、何かを見つけて再び雄叫びを上げた。
「ど、どうした、ハナ?」
「何か」とは――
「何この頭!? 猿!? 猿みたいじゃん!? 誰やったのこれ?」
皇帝陛下の丁度後ろに掛かっていた、鏡だった。
ハナは皇帝陛下を押しのけて鏡にかじりついた。
「はっ……! も、もしや……ここは魔王の本拠地ね? それで捕まったあたしは、非情な魔王に髪の毛を刈られた、と。うん、納得」
強ち間違いではないのだが、記憶を弄ったせいで色々混乱しているようだ。
「ちゃんと説明するから、落ち着くのだ」
こうしてハナが騒いでいると、アレスたちも部屋に入ってきた。陛下がまず様子を見て、アレスたちは外に控えていた。
「どうしたの、ハナ! 大丈夫!?」
「あ……! ア、アレ……アレ?」
「落ち着いて、ハナ」
アレスはハナに近づくと、宥めるようにそっとハナの腕を撫でた。
「アレ? ……誰だっけ?」
ハナはちょこんと首を傾げると、必死で思い出そうと眉間に皺を寄せた。
艶々の黒髪の美少女が悲しそうな顔をしていると忍びない。
「アレスよ? 覚えていないの?」
「……あ! アレスか、何だ、そっか」
「少し、混乱しているみたいね」
「うん、ごめんね? なんか、変な感じがするの……」
そう言って未だに首を傾げるハナを椅子に座らせると、朝食を持ってくるようにお願いした。いったん、皇帝たちに退室してもらうと、部屋にはハナとアレスのみが残った。
「ねぇ、さっきのって魔王だよね?」
「ええ。朝食をいただきながら説明するわ。お腹すいているでしょう?」
「う、うん……お願いします」
***
すぐに用意された朝食を食べながらハナは話しを聞いていた。
魔王との決戦の際、魔術を放ったら地球に転移したのだが、かなり未来の世界へ転移してしまったこと。魔王はここで、銀河帝国の皇帝であること。魔王は悪の王ではないこと。
そして、最後に――
「そっか、戻れないのか……パラドックス? とかが起きて、この世界の人たちみんないなくなっちゃうかもしれないんだ……そっか……なんとなく、思い出したような気がする」
混乱もだいぶ収まり、すっかり忘れているわけではないので言われればなんとなく思い出す。
「あの、ま……陛下に謝りたいんだけど。さっき大声出して騒いじゃったから……」
「ええ、そうね。来ていただきましょうね」
ハナがバツの悪そうな顔でポツリと言うとアレスは、満面の笑を浮かべて席を立ち上がった。皇帝を呼ぶというのも失礼だが、あの通り鷹揚なので気にしないだろう。
アレスのその後ろ姿をハナは虚ろな瞳で見ていた。
***
「調子の悪いところはありませんか?」
「ないです」
セルゲンは籠に山盛りのバナナをテーブルに載せ、皇帝は花束を抱えている。
「ありがとうございます。陛下、さっきは騒いでごめんなさい」
「気にするな。そなたは混乱しておっただけだしな」
ぎこちなく、空々しい遣り取りに皇帝は内心で溜息を吐いた。
――やはり、以前のようには行かぬか……
一線を引いたようなハナの態度に失望しつつ、項垂れる皇帝。
「あ、バナナ……ウッキー!」
そして、そんな空気をものともしない能天気な声。
「ムッキー!」
お猿のモノマネをしながらバナナを剥いてモシャモシャと食べているのは――
「あ……アレス?」
「アレス様?」
皇帝と、セルゲンの声が重なった。
「まいうー! 陛下もどうぞ?」
ハナへのプレゼント――プレゼントが山盛りバナナというのも色気がないが――をモッシャモッシャと食べながら、皇帝に勧めるアレスに二人の目が釘付けになっている。
そんな二人の視線にアレスはピタリと動きを止めた。
「わ、私、今……何を?」
「お、美味しそうにバナナを食しておった」
しかも、猿の真似をしながら。
自覚のあるアレスは真っ赤になってオロオロしながらバナナを握っている。
「いや、アレス。帝国法に猿の真似をしながらバナナを食してならん、とは定められておらぬ故、そなたの好きなように食してかまわんのだぞ? な、セルゲン」
「さようでございますとも! 猿だろうがゴリラだろうが!」
恥ずかしい真似をしてしまったとき、そこは見なかったことにして貰いたいのが乙女心だが、皇帝もセルゲンもフォローしてしまった。
「あ、私ったら……ウホッ……」
アレスはおもむろに立ち上がると、目を細めて鼻の下を伸ばすという変な顔をしながら部屋から走り去って行った。
「……な、なんだ、アレは?」
「ゴリラの顔真似と思われますが……?」
二人も首を傾げつつアレスの後を追った。
この後、二人は触れてはいけないところを散々フォローしようとして止めを刺してしまったのは、言うまでもない。