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――大事な話がある
アレスにそう言われて、二人で静かな庭に出てきた。アレスの豊かな黒髪がそよ風に靡いて、白いワンピースの裾がひらひらと揺れている。
ハナはその様子を目を細めて眺めていた。
五分刈りにジャージのハナと違い、少女らしい姿に嫉妬心が湧き上がってくる。
「話って、なに?」
ハナはアレスからそっと目を逸らして、尋ねた。
「あのね、ハナ」
「ん」
「あまり、陛下にご迷惑お掛けしてはダメよ?」
「……ん」
別に迷惑を掛けているつもりはない。
ただ、ここのところ波長が合わないだけだ。陛下はまともにハナの話しを聞こうとしないから、ハナが言いたいことなど端から伝わらない。
もし、それを迷惑というのならハナは陛下とは一生喋らない。
イオやセテにも今後一切近づかない。
そう心に誓ったばかりなので、わざわざアレスに言われるまでもないが、黙って頷いた。
彼女なりに気を利かせているつもりなのだろう。
「あとね……」
どうやら、まだ話しがあるようだ。
アレスは悪い話を最後にするタイプのようだ。口篭って言いづらそうにしている。
「どうしたの? 驚かないから言ってよ」
ハナができるだけ穏やかな声で先を促すと、アレスは深呼吸をすると決心して口を開いた。悲痛な顔をしているがハナはそれを真っ直ぐ見据えている。アレスも見つめ返した。
「……あのね、ハナ、もう帰れないの」
「……ふぅん」
ハナは思った以上にダメージが少ないことに気が付いた。
だが――
「どうして、それをアレスが言うの?」
「……もとはと言えば、ディリアの王国側に非があるでしょう……」
静かに話すアレスからハナは目を逸らさない。
「私、あのたの人生を狂わせた、王国側の人間よ……帰れると嘘を吐いて……」
黙って話を聞くハナからは何の感情も読み取れず、あのときと同じような目をしている。目の前で繰り広げられる殺戮を黙って見ていたハナ。
そんなハナの様子にアレスは恐ろしくなってきた。
「……それだけじゃない……あなたの、心まで壊してしまった……私たち、王国の人間は、あなたに儀式を無理強いして……失敗したの……」
ここに来て初めてハナの表情が変わった。片方の眉を釣り上げただけだが、その顔には疑問が浮かび上がっている。
「可哀想に、ハナ……私の、心と同調して恐ろしい思いをさせたわ……」
――おかしい……
明らかにアレスがおかしなことを言っている。微かに震えているのは分かるが、俯いているためアレスがどんな表情をしているかは分からない。
「恐ろしい思い?」
「ええ、そうよ……あなたは、争いのない世界から来たのでしょう? なのに、殺戮の世界に引きずり込んでしまった。見てるだけとは言え……いえ、見てるだけでも、私たちが魔物を殺す様は恐ろしかったでしょう?」
「な、に……」
「しかも、あなたは、私の心と同調してしまった……! 殺した人間の心と同調するなんて、恐ろしすぎるわ!」
「ア、レス……? 何、言ってるの?」
「可哀想に、ハナ……私たちのせいだわ、ごめんなさい」
泣き崩れるアレスにハナは言いようのない気持ち――怒りを覚えた。
「ふ、ふざけないでよ……あたしが見てただけってどういうこと!?」
「あなたが、怒るのも無理はないはね……私が体験したことを追体験しているのよ」
「う、嘘……殺したことも、儀式で死ぬ思いしたのも、全部、嘘なの?」
「儀式は……それだけは本当よ。でも、それ以外は……」
「触らないで、嘘吐き!」
ハナは、労わるようにハナの頭を撫でるアレスの手を振り払った。
――アレが、全部嘘!?
初めて魔物を殺した日の痛み、感触、生暖かい血しぶき。
全て嘘だと言うのだろうか。
「じゃあ、あたしは、なんのためにあの世界に呼び出されたの!?」
――日常生活がなくなっただけじゃない! 頭までおかしくされて、他人の記憶を植え付けられて……そんなわけない!?
あれは紛れもなくハナの記憶でありハナの痛み、苦しみ。
「ハナ……ごめんなさい」
「……あれは、あたしの記憶なの! あたしがやったことを掠め取らないでよ!」
怒鳴りながら怒りの篭った目でアレスを睨む。
彼女がどういうつもりでそんな嘘を言うのかは分からない。
「ハナ、お願い、落ち着いて」
「うるさい!」
再び伸ばされたアレスの手を叩き落とそうとして、何かに阻まれた。
「暴力はいかん、ポチ」
「へ、陛下」
突如現れた皇帝にハナとアレスの視線が突き刺さる。
「大丈夫か、アレス」
労りが含まれている声にハナだけではなく、アレスまで顔を顰めた。
「陛下、私、ハナと二人きりで話しがしたいと申し上げたはずです」
「む、だがな、心配で……余は心配しただけで……その、実際に叩かれそうになったではないか」
「こんなの、ハナの受けた苦しみに比べればなんてことありません」
珍しくアレスは強い口調で詰め寄った。
そう言われて、皇帝はハナに目をやった。心なし青い顔は強張り、唇を噛み締めて苦しそうな顔をしている。
「確かに……余が存在せねば、ポチ……いや、ハナの人生も、心も狂わなかったであろうな……」
その哀れみの篭った瞳にハナはとうとう怒鳴った。
「一体、なんなの!?」
「アレスに、全て聞いた……」
「なっ! ちょっと待ってよ! 何を聞いたの!?」
「ポチ、いや、ハナ。落ち着くんだ」
皇帝は掴みかかってきたハナの手を握ると、宥めるように頭を撫でようとしたが手を振り払われた。
「全て聞いたって、どういうこと!? あたしのことを勝手にしゃべるなんてヒドイよ、アレス!」
「大丈夫だ、ハナ。ここにそなたを傷つける者はいない……そなたは、何も悪いことなどしていない」
アレスと皇帝の憐れむような目にハナは愕然とした。皇帝はどうやらアレスの話しを鵜呑みにしているらしい。
ハナの体験も記憶も痛みも、苦しみも全てアレスの物。
「違う! アレスは嘘を吐いてるのに!」
「ハナ」
「ハナ」
――あたしはなんなの!?
ハナは口を閉ざすしかなくなってしまった。




