陛下と乙女、そしてポチ
皇帝は自分の仕出かしたことの重大さに気が付いて、ハナに謝らなければと項垂れながら部屋に戻って来た。
なぜハナに対してあれほど怒りが込み上げてきたのだろう。ハナの楽しそうな顔は大好きなはずなのに。イオとセテにそのことを話していたら、皇帝陛下ではなくハナのために二人は教えてくれただろう――それは嫉妬です、と。
だが、彼はむっつりと黙り込んで歩きながら己の頭の中で一生懸命考えてしまった。アレスのことを愛しているし、イオもセテも同じように愛している。だからハナはその三人の膝に座ってはいけない。そこまで考えて、ではセルゲンやエレウの膝なら良いのだろうか、と考えるとそれも許せない。
皇帝は恐る恐る後ろに控えているセルゲンをチラッと見た。
――余は……セルゲンのことも愛しているのか、そればかりか、エレウまで……二公爵もか? なんと気が多い男なのだ、余は!? いや、魔王だからそれくらいで丁度良いのか……? え? 魔王って、そもそもナニ?
「陛下、私の顔に何か付いておりますか?」
「セルゲン……そなた美しい顔をしているな……」
愕然とした表情でボソリと言われたセルゲンは困ってしまったが礼は言った。
「……ありがとう、ございます?」
新たに発覚した(勘違いによる)事実に己の存在自体が疑わしくなり、動揺する皇帝の胸の裡を推し量る者など誰もいない。
――そ、そうだ、ポチは分からなかったのだ。帰ってきたら暴力を振るったことを謝って、きちんと教えなければな。余は全ての者を愛しているからポチが座って良いのは余の膝だけだ、と
ものすごい博愛主義者な魔王、もとい皇帝陛下は全てが丸く収まるような気がしてきた。あくまでも気のせいだが。
これを聞いたなら、いくらセルゲンでも分かっただろう。ああ、陛下は誰よりもハナさんを愛していらっしゃるのですね、と。
「よし、そうと決まれば早速ポチに謝らなければ」
「ハナさんの居場所はご存知なのですか?」
「……ポチは行くところがないからな。余の部屋に帰って来ているであろう?」
先ほどとは打って変わりケロリとした顔で満足そうに頷く皇帝にセルゲンは、はぁ、とよく分からない顔で頷いた。
だが、居室には誰もおらず寝室にも誰もいない。そう言えばポチはサンルームでゴロゴロするのが好きだったな、とサンルームへそっと入るとアレスがぼんやりと椅子に座っていた。
「アレス」
「……陛下、おかえりなさいませ。どうなさいましたか?」
「ん、ああ。ポチを捜しているのだが……」
「そう、ですか……申し訳ありません、昨夜からみていないので……」
「いや、そなたが謝らずとも……どうした、アレス? どこか痛いのか?」
苦しそうに顔を歪めて震える声で返事をするアレスを皇帝は見据えた。その射抜くような鋭い眼差しは、しっかりとアレスを捉えている。
アレスは両手で顔を覆うと絞り出すような嗚咽交じりの声を出した。
「……わたし、出て行きます……」
「……な、なぜ、そんなことを言うのだ!?」
「わ、わたしには、陛下の、お傍にいる、資格がないのです!」
顔を覆った指の隙間から涙が滲んできている。ハナを捜しに行こうとしていた皇帝は肩を震わせて泣くアレスを抱き締めて膝の上に載せた。
***
ハナは慈愛の籠った遠い眼差しで、飼い主が見付かったミノタウロスの赤ちゃんの動画を見つめていた。
――☆飼い主が見付かりました☆ 先日、募集したミノタウロスの赤ちゃんを飼って下さる方が見付かりました。ありがとうございます――
新しい飼い主は目付きの鋭い男だが、ミノタウロスの赤ちゃんは男にヨチヨチと近付き短い手を一生懸命伸ばして円らな瞳で抱っこをせがんでいる。そして、男が見た目によらぬ優しい手つきで赤ちゃんを抱き上げる動画を見てハナは優しい気持ちになった。
「うふふふふ……良かったね、ミノちゃん」
新しい飼い主とミノちゃんの邂逅シーンが繰り返されるモニターを見つめるハナの瞳には決意が宿っていた。
――極刑にされても良いから、本当のことを言おう
心行くまで邂逅シーンを見つめてから涙の痕を拭くと皇帝の塔へと向かった。
*
その頃、アレスは嗚咽混じりに皇帝に話をしていた。
ディリアで魔物や魔族をたくさん殺してきたこと。そして魔王を殺すために旅に出たことを。皇帝は黙ってそれを聞いていた。全て話終えるとアレスが泣くのを堪えようと我慢しているのが抱き締める皇帝に伝わってきた。
「そなたが余の眷属を殺したこと、余は赦すとは言えぬ」
例えディリアの地を離れても、王と呼ばれた魔王は眷属を殺した者を赦すと言ってはいけない。
「うくっ……黙っていて、申し訳ありませんでした……」
「……余はそなたを苦しめたのだな、アレス……」
「だから……わたし、は陛下の、お傍にいる資格など……」
しかも初恋の少女は愛を告げに来てくれた訳ではなかった。傷心の皇帝陛下は喪失感に襲われたが、愛する乙女が去りたいのであればそうさせるしかない。
「そなたが、そうしたいのであれば、余には止める術はない……だが」
頼りなく涙を流すアレスが罪悪感に押し潰されて自害するつもりではないか、と皇帝には思えてくる。そんなアレスを放り出して良いのだろうか。
「……へい、か?」
「だがな、アレス。そなたを赦すことできぬが、今からもう一度、新たな関係を築けないだろうか?」
「へ……へいか?」
「話したくなかったろうことを正直に話してくれた。出て行かないでくれ」
ぎゅっと抱きしめるとアレスは僅かに頷いた。
「アレス……過去の話は二度としてはならぬ」
「はい、陛下。ありがとう、ございます」
*
泣き疲れたアレスがウトウトし始めるとハナが部屋へ戻って来た。
「おや、お帰りなさいませ。ハナさん」
どこか皮肉げにセルゲンが言うと、ハナはジロリと睨んだ。百戦錬磨とは言わないがそれなりに修羅場を潜ってきたハナがその気になれば、魔力などなくともそれなりに威圧感は出せる。
「帰ってきたくなかったんですけどね」
そしていつになくふてぶてしいハナの言葉にセルゲンは一瞬だけ顔を顰めた。
「あ、陛下にお話があるんですけど」
「陛下は今お取込み――」
「どうしたセルゲン? おお、ポチ丁度良いな。話がある」
「私もお話があります」
話があると言った二人は無言でソファに座った。口火を切ったのは皇帝だ。
「あのな、先ほどはすまなかった」
「別にそんなのどうでも良いです」
銀河一の権力者が謝っているのに、そんなのどうでも良い、と言い切るハナにセルゲンは射殺すような視線を向けた。当の皇帝は少し怯んだが、大事なことを言わなければならないので持ち直した。
「そ、そうか。それでだな、ポチ。ポチが座って良い膝は銀河には無い。余は余の臣民全てを愛しているからな。そして、余の膝はアレスだけの膝なのだ」
ハナは、はぁ?、と言う顔で皇帝をマジマジと見つめた。セルゲンも若干、ワケが分かりません、と言いたそうな雰囲気を滲ませている。
――何ワケ分からんこと言ってるの? この人……人じゃないか。別に誰かの膝に座りたい訳じゃないんだけど?
だが、何かを言うと面倒なことになりそうなのでハナは頷いた。
「分かりました」
「なら良い。それで、そちの話はなんだ?」
寧ろこちらが本題だ。極刑、と言う言葉が頭をグルグル回る。
――敢えて言わなくても良いんじゃない? いや、もしかして、返してくれるかもしれない……そうだ。陛下は何だかんだ言っても優しいし……でも
ハナはゴクリと唾をのみ込みながら考え始めた。
「どうした、ポチ。話がないのなら――」
「あの! あたし、ディリアの――」
「その話は一切口にしてはならん!」
ディリアのとある国の王に召喚された、数千年前の地球人なんです。
そう言おうとしたハナの言葉は、怒ったような口調の皇帝に遮られて開いた口をパクパクさせた。
「え? でも……」
「良いか、アレスの前でその話は一切してはならん。余も聞きたくない!」
怒りを漲らせた皇帝はポチを睨むと立ち上がってアレスの許へ向かった。
ハナは茫然としてその後ろ姿を見つめただけだった。
お気に入り、たくさん。作者ビックリだけどありがとうございます。
そして皇帝陛下株、上場廃止。