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夜、皇帝がハナを連れて寝室に行くとようやくセルゲンとエレウの短い休憩時間になる。セルゲンも皇帝の隣室の自室へ戻ろうとするとエレウが躊躇いがちに声を掛けた。
「セルゲン様、ハナさんのことでお話が……」
セルゲンもまたハナに関して思うところがあるのか、頷いた。
「私の部屋で」
セルゲンの部屋は綺麗に整えられて小さなテーブルとソファが置かれている。皇帝の私室以外の貴族の部屋に初めて入るエレウは些か緊張している。
「座って待っていてくれ」
「はい」
皇帝の侍従セルゲンは帝国で二番目と言って良いほどの魔力を持っている。エレウは座り心地の良いソファに座りながら、我ながらとんでもないところに来たものだ、と今更ながら実感した。
セルゲンは直ぐにトレイにお茶を持ってやってきた。
「すみません、お茶でしたら私が!」
「気を使わずとも良い。帝国内で私より茶を美味しく淹れられる者はそういないからな」
「ありがとうございます。いただきます」
ほのかに漂うバラと香りにカップに口を付けると、アーモンドの香りが口中に広がる。
「良い香りですね」
「ああ、リュシファウスのカナアンから取り寄せた……で、話とは?」
「……ハナさんのことで数点疑問があります」
セルゲンの眼が鋭くエレウを射抜いた。その視線に一瞬怯むが、大事なことだと判断したためエレウはここへ来た。皇帝のお気に入りに関して迂闊なことは言えないが言わなければならない。
「まず、現在の地球の環境で人間が生息するこは不可能です」
「……そのようだな」
ハナの魔力が枯渇してからエレウも色々と調べた。改めてハナがひ弱だと認識して、何が原因で病気になったり怪我をするか考えられるだけ考えてすぐに対応できるようにするためだ。そしてあまりにも当たり前すぎて気づかなかったことに漸く気付いた。
現在の地球には生命体が生息できる状態ではない。そこに一人でいたハナ。メルカーノに連絡を取ったがやはり人間はおろか生命体は発見されていない。
「人間がどのように進化したのかは研究中ですが、いずれにしても親がいなければ子供は生まれません」
エレウは推測は交えず事実だけを述べた。セルゲンは頷いてその後を継ぐように気付いたことを口に出した。
「それと関連があるのかもしれんが、彼女は先ほどこう言ったな「お父さんのビールのおつまみにしても程がありますよ」と」
ハナに父がいて、しかもビールがある環境で生活をしていたと分かる台詞だ。
地球ではあり得ない状況であり、また銀河において純粋なる人類はハナのみ。そして、唯一のハナがよりにもよって皇帝の初恋の女性に似ていて、彼の心を揺さぶっている。一見無害に見えるハナだが、何か企んでここへ潜り込んで来た可能性もある。
「探りを入れてみるか……」
皇帝の気に入りを疑うということは気が重い。だが、帝国において最も大切なのは皇帝でありハナではない。
***
本日ハナは皇帝のお気に入り、イオとセテにお茶会に呼ばれている。側室に呼ばれるなど初めてでどうしたら良いのか分からずセルゲンに相談したところ、お花とお菓子を持って行ったらどうでしょう、と頼りない返事をくれた。
イオとセテのことは知っているが、お茶会に誘われるほどの仲でもなく、二人とも美しすぎてハナはどちらかというと気が引けてしまう。
とりあえずセルゲンの助言に従いマカロンと花を持って、皇帝に連れられてイオの住んでいる貴族の塔へと憂鬱な気持ちでやってきた。
イオとセテはハナと皇帝を立って待っていた。
「お待ちしておりました、ハナさん」
「久し振りだね、ハナさん」
「こんにちは、お久しぶりです」
二人は主賓のハナに挨拶をしたが、皇帝には挨拶しない。
「それと、陛下」
「なんだ?」
「最近いらっしゃらないので寂しいですわ」
イオの棘のある言葉に皇帝はギクリとしてハナに目線を向けた。それからイオに、ここで言うな、と言わんばかりの視線を向ける。ハナは二人から視線を逸らして、セテは面白そうにそのやり取りを見ているだけだ。
「ス、スマン。そ、そのうち行く、と言うか、そのだな……」
愛人と本妻の板挟みにような状態に(勝手に)なっている皇帝に溜飲を下げたのかイオは微笑んだ。
「お待ちしております。さ、ハナさんに意地悪などしませんし、わたくし達がちゃんと送り届けますので」
イオがやんわり皇帝の同席を拒否をすると、後にイオに、帝国一鈍い御方ですね、とはっきり言われる皇帝は少し考えてハナの頭を撫でてから去って行った。ハナの捨てられた子ザルのような瞳に後ろ髪を引かれながら。
「お座りください、ハナさん」
皇帝の後ろ姿を不安そうに見つめるハナにイオが優しく促した。ハナは借りてきた子ザルのようにオドオドしながら座るとテーブルにお菓子の箱と花瓶を載せた。
「は、はい……。あの、これどうぞ」
「綺麗な花ね、ありがとう」
「あ、マカロンだね」
ハナが箱を開けるとセテが嬉しそうに笑って、箱から直接ピンクのマカロンを取り出して口に入れた。一口大とは言い難いサイズを難なく放り込む大きな口の中に尖った歯が見えてハナは驚きの声を漏らした。
「うわぁ……」
「ああ、驚いた? ごめんね」
「いえ、口が大きいな、と思って」
「ふふふ、正直だねぇ……私の祖先は生贄を丸齧りするのが好きでねぇ。その名残なんだ」
「ひょぇっ!?」
ふふふ、と笑うセテの微笑みは美しい顔に似合わず物騒で人間の恐怖心を呼び覚ますものがある。
「あらあら。ハナさんも、お行儀など気にしないで楽にしてちょうだい」
だが純粋な人間についてよく知らないイオは、セテのお行儀が悪くてハナが驚いたと勘違いして、恐ろしく透き通った声でコロコロと笑った。
こうして全く問題なしとは言えないが、和やかにお茶会が始まった。
二人は皇帝がいなくても表面上は穏やかに話をして、上っ面だけ楽しんでいるところへセテが脈絡もなく呟いた。
「それにしても陛下は、ハナさんが大好きなんだねぇ」
セテは穏やかに微笑んでいるのだが、その微笑みの底に得体の知れない不気味な何かが漂っている。
そしてイオを見ると、同じように微笑んでいる。
「おサルさんみたいだから、ですよ?」
「おサルさんねぇ……でも毎晩のように同衾しているって聞いたよ?」
セテは皇帝がハナに一切手を出していないことは分かったがわざと聞くとハナは、まったく分かりません、と言う顔で首を傾げた。
「どーきん? ってなんですか?」
「毎晩一緒に寝ていると聞きましたわ?」
「あ……ええ、まぁ……」
「いくらお気に入りでも毎晩はないから驚いたよ」
「そうですわね。週に一度の御召でお気に入りと胸を張って言えましたけど……今は言えなくなりましたわ」
ハナは二人のボヤきを聞きながら、漠然と頷いていた。二人は男女関係(男男関係)、要は体の関係についてお話しているのだが、異性とお付き合いをしたことのないハナには全く思い付かない話だ。
「それにしても、よく毎晩で体が持つね」
「ああ、最初は慣れませんでしたけど! 最近は慣れたせいか全然、もう平気です!」
セテの眼が鋭く光った。何が目的でハナが皇帝と体の関係があると嘘を吐いているのか、探らなければならない。
「そうか。頼もしいね……でも大変じゃない?」
「なにがですか?」
「ほら、陛下は大きいから」
「んー、確かに大きすぎますね。でも陛下より大きい人(というか魔物)は見たことありますし」
「「え!? 陛下より大きい!?」」
大きな感情の揺れを見せない二人が大いに動揺しながらハナをまじまじと見つめた。陛下より大きいソレをハナが見たこともだが、そんなことを陛下に言ったらヘコむ。
「結構いましたねぇ。でも、人間離れした形なので単純に比べて良いのかどうか分かりませんが」
互いに話の主語に食い違いがあることは説明する必要はないだろう。だが、ハナは構わず話し続ける。
「陛下の三倍くらいの大きさで、さすがにアレはもう死ぬかと……」
ハナはサイクロプスとの死闘を思い出して、しみじみと語る。
見た目はおサルさんだが実は皇帝を掌で転がす悪女かもしれない、とセテはドキドキしながら詳しく話を聞こうとする。ハナに探りを入れるためセルゲンが開かせたお茶会だが、二人はすっかりそんなことを忘れてしまった。
「……やっぱりハナさんが上なんだよね?」
そして色々な想像をした挙句のセテの質問がコレだった。もちろん彼の指す「上」とはまぁ、アレだが、何の奇跡か話が噛みあってしまう。
「そうなんですよ! 先ず下から攻めるんです、足元を崩して倒れたところを上からこうブスッと!」
ハナの頭の中にあのときの戦闘がリプレイされる。動きの鈍い一つ目の巨人の足元を魔導師二人が集中攻撃をして倒れたところをハナとミレイユの二人で心臓を狙って剣を突き立てる。ジェスチャーを交えて話すハナだが、その動きがまた微妙で……。
――ハナさんが押し倒したのですわね
――見た目はおサルさんなのに……
イオは扇子で赤くなった顔を隠して、セテは引き気味に少し冷めたお茶を飲んだ。急に態度の変わった二人にハナは熱くなり過ぎたか、と謝った。
「すみません……血なまぐさい話なんか、イヤですよね……?」
「いや、私は血なまぐさい生き物だから……血なまぐさい話、かな?」
「サイクロプス(一つ目巨人)殺した話なんて」
「「え!? サイクロプスを殺した?」」
「つまんないですよね。すみません」
ここで漸く二人はハナと話が噛みあっていなかったことに気付いた。
「そうだったのか? 私はてっきり……」
「わたくしも……ほほほ」
「え? 何の話だと思ったんですか?」
「もちろん同衾の話だよ」
「ああ、そっか。随分、話が逸れましたね」
逸れるというか、どこにサイクロプスの話が出てくる余地があったのだろう、と首を傾げる二人。とりあえずセテは始点に戻ってみた。
「一緒に寝てるんだろう? 陛下と」
「はい!」
さっきと同じ流れだな、とセテは一旦黙って考えた。ニコニコしながらお茶を飲むハナを見て突然閃いた。
「あのね、寝るっていうのは、寝るだけなの?」
「そうですよ? 他になにか?」
「ごめんねハナさん。同衾って聞いたのはね、セックスもするんだよね? って」
「え? なにがですか?」
「陛下とハナさ――」
「ぶっー! セセセセセセ……」
お茶を噴き出しながらの明らかな動揺ぶりに、二人は何故かホッとした。
「そ、それは! 白昼堂々お外でお茶を飲みながらニコヤカに語らうべき事柄なのでございましょうか!?」
「あら、ここでは普通よ? わたくしたち側室にとっては大事な話ですもの」
「わ、わたくしは! おサルさんであります故……!」
真っ赤になって挙動不審に陥るハナを見て、二人は何とも言えない気持ちになった。
――あら。何この子……可愛らしいですわ
――ちょ、なに? このおサルさん、可愛いんだけど
「ほほほ、先ほどの陛下を見ていれば分かりますわ」
「そうだねぇ。君のことが大好きで堪らないって、すぐに分かるね」
「それは、だから、おサルさんだから!」
今までの流れで、皇帝がハナを女性として好きになる要素がさっぱり思い当たらない。
「ハナさんはどうですの?」
ハナは少なくとも異性として好きになる要素はまったくない。動揺しながらもきっぱりと否定する。
「あたしは、特に好きってことはないです!」
それ以上に、銀河一偉い人を好きではない、と言い切るハナに感心するほどだが、二人はもっとハナをからかいたくなってきた。
「あら、でも男女が二人同じベッドで寝ていればそういう関係になるでしょうし、そこから……ほほほ」
「それにハナさん、美味しそうな匂いがするんだよねぇ……生贄特有のさ。陛下もきっとそう思っておいでだと思うよ」
「我慢強い御方でらっしゃいますものね、陛下は」
「ははは、そろそろガブッと行かれる頃じゃないのかなぁ」
「それに、恋に落ちる瞬間など些細で有り触れている場合が多いですものね」
ハナは二人の話に赤くなったり青くなったりしてとうとう固まってしまった。
久し振りに楽しいときを過ごした二人は、探りを入れることをすっかり忘れてしまい、セルゲンにおかしなところはない、と報告する。サイクロプスとの戦闘の話は、アルマゲドンを経験した彼らには大して珍しい話でもなくすぐに忘れ去られた。
*
「どうした、ポチ? そんな端に寝ていると落ちてしまうぞ」
「あ、あたしは端が大好きなん……ひゃっ!」
「危なっかしいヤツだな」
伸ばされてきた皇帝の手から逃れようとゴロゴロ転がるとベッドから落ちそうになり、寸でのところで皇帝に抱き上げられた。
「随分と今日は落ち着かぬな……何かあったのか?」
――恋に落ちる瞬間など些細で有り触れている場合が多いですものね
確かに、空気は読めないがこれと言って悪いところの見当たらない、とっても可愛がってくれる皇帝。そう思ってしまえば……。
――違う! あたしは、家に帰るんだから! 絶対に帰るんだから!
ギュッと手を握り締めて決意を新たにするハナであった。