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ハナの死亡騒動から皇帝は、より一層ハナを大事にするようになった。か弱いハナが突然死する恐怖が拭いきれないからだ。おまけにハナにも好きなようにやらせることにした。帰るなどと思わないくらい楽しい思いをさせて地球のことなど忘れてしまえば……。
「これが……おやつ、ですか……?」
「あぁ、たくさん食すが良い」
食堂から戻って来たハナの前に出されたのは大量の枝豆。その見た目なんの捻りもない莢に入ったままの枝豆に手を伸ばし、恐る恐る口に入れるハナ。
「こ、これは――」
それは由緒正しい少し塩味の利いた枝豆。そう、枝豆以外の何物でもない枝豆。
「ただの枝豆じゃないですかー! しかもこんなにたくさん、食べきれませんからね!」
何かスゴイ物が出てくると期待していたら出てきたのはスゴイ量の枝豆。ハナはガッカリを通り越して、少しキレ気味にだがモシャモシャと枝豆を食べる。
セルゲンとエレウは枝豆から目を逸らしている。皇帝も少し目線を逸らした。
「まったくもう……」
まったく困った子たちだわ、と呆れた母親のように言われても皇帝も好きで山盛りの枝豆をおやつに出したわけではない。
因みに、今目の前にあるのは直径五十センチメートル程の皿に四十センチメートルほどの高さに盛られている。
「どれくらいあるんですか? 枝豆」
「ううむ、毎日この量を三百皿食したとして……百年は食せるな!」
セルゲンとエレウが更に目を逸らした。昨夜から皇帝と三人でなんとか一日のノルマは達成した。
「ぶっ……! お父さんのビールのおつまみにしても程がありますよ!」
今年収穫した枝豆も皇帝を始めとして銀河帝国の住人であれば魔力で持って百年くらい簡単に保存できるのだろう。
だが、問題はそこではない。枝豆は恐らく来年も栽培されて収穫される。同じ量とは限らないが、その次の年も次の年も……と、雪だるま式に枝豆が増えていく。もはや負債以外の何物でもない。
「なんでそんなに枝豆があるんですか!?」
「そなた、パイモン卿を覚えておるか?」
ハナが会ったことのある貴族を思い浮かべる。片手で足りるほどしか面会したことがないので直ぐに思い出せる。
――ウェネリース公爵、エル公爵、リュシファウス大公、宙華料理の……
「あっ! 宙華料理の伯爵様!」
「ああ、そうであったな」
あのときハナはお茶に浮かべる青い花を食べてしまい伯爵夫妻が戸惑っていた。だが、あまりに美味しそうに食べていたのでそこは誰も何も言わなかった。
「それでだな、伯爵の領地は辺境と言うだけあって、辺境なのだ」
「ふぅん?」
ハナは枝豆を放り込んで口をモグモグしながら首を傾げた。地球時代の辺境伯爵とは意味合いが違ってくる。
「観光誘致しようにも、遠くてそこまで客足は伸びない。おまけに領内の惑星は土壌改良を行ってもなかなか作物が育たない。要は貧しいところなのだ」
「え……」
ハナも討伐の旅であちこちを見て回って、貧しい土地というのを実際に見た。過酷な土地に住む人々は骨ばった体に暗い目をして、必死に畑を耕しやっと僅かばかりの収穫物を手に入れる。それでも土地から離れようとしない。いや、出来ないのだ。領主に管理されている彼らは、夜に紛れて別の土地へ逃れることもできるが、身元を保証するものがなければ仕事に就くこともできず末は知れている。何より他の土地へ行こうという考えが思いつかないのだ。今の生活以上の物が分からないのだ。
「それでな、どういう訳か枝豆なら栽培できることが分かったのだ」
「どーいう仕組みよ、ソレって」
ハナの突っ込みはもっともなのだが、宇宙は広く神秘に満ちている。そんなことない、とは言い切れない。だが、宇宙の神秘が枝豆ではちょっとアレな気もするが。
「それで、国家予算で伯爵領で収穫された枝豆を買ったのだが……帝国領内の市場に卸して、パンデモニウム内の食堂に配ってもまだ……」
まだまだあるよ。いっぱいあるよ。
「なるほど……」
うんうん、と頷きながら枝豆を食べる手を突然止めるハナ。セルゲンとエレウはもう少し消費してくださいと縋るような目を向けている。
「茹でて食べる以外はしないんですか?」
「そうなのだ。煮物にしても、かき揚げにしてもメインにはなるまい」
腕を組んで考えるハナはここで様々な和食を食べたが、そういえば食べてない物があることを思い出したのだ。
「ずんだ餅、作れるかなぁ」
和菓子の類は全く出てこない。ないならないで良いのだが、ここに原材料が山ほどあるなら食べたい。
「なんだ、それは?」
「えっと、枝豆を餡にしてお餅とか白玉に添えて食べるんです」
数年前に父が出張のお土産として買ってきたことがあった。甘すぎず枝豆の風味が利いていて一人でほとんど食べてしまった記憶がある。大納言や小豆餡はあまり好きではないハナだが、あれは美味しいと思えた。
「そなた、それを作れるか?」
「えっと、たぶん……」
***
下働き区域南第4食堂の調理場を借りてハナとエレウ、セルゲンが塩水で茹でた枝豆を莢から出していた。皇帝もやろうとしたのだが、セルゲンにおやめ下さい、と懇願されて黙って見ていることにした。
三人とも無心に無言で莢から出している。
セルゲンに至っては、アルマゲドンで数多の神や生物を殺したとき以上に無心になっている。そのため気付かなかった。
「これって、魔術でパッとできないのかな」
「……確かにそうですね、セルゲン様?」
「……陛下にお出しする物、まずは手作業で丁寧にやるべきであろう」
手作業だろうが魔術だろうが結果に違いはない。だが、セルゲンはこの地味で地道な作業が気に入ったようだ。ツルン、ツルン、と出てくる感触が気に入ったようだ。
「薄皮も、取ったほうが良いかなぁ……」
「なら、その作業を余が魔術でパッとやろう」
「なりません、陛下!」
それも私がやりたいです、というセルゲンの思いは誰にも伝わらず、そんなことを思っているとはだれも思わない。
「えー? 良いじゃん、セルゲンさん。もう効率悪いから、やって貰いましょうよ」
立っているものは皇帝でも使うハナを調理場で働く者たちは怖い物を見るような目で見た。そんな調理場の面々はやたらモチモチする米――もち米を炊いて一生懸命搗いていた。モチモチしすぎる米はピラフやリゾットにして米を食べる彼らにはあまり好まれず、保管庫に貯蔵されていただけだったのだが、ハナの思い付きでお餅にしてみることになった。
「余もやりたいのだ。早くずんだ餅とやらを食してみたいしな」
「御意……!」
こうして莢から出した枝豆の薄皮取りという面倒な作業は皇帝が魔術でパッと終わらせた。とりあえずツヤツヤの剥きたて枝豆が二十人分のシチューが出来る寸胴鍋一杯になった。
「え、と、そしたらこれを潰すのかな……? うん、潰すんです!」
あの時食べたお土産を思い出しながら次の作業を元気に告げるハナ。
「分かりました……我が愛剣、アポカリプスの出番ですね」
どこぞの空間から取り出したアポカリプス――黙示と銘打つ両刃の剣を迷いなく寸胴鍋に突き立てるセルゲン伯の姿は、無駄に美しい。そしてその行動は無駄である。
「切り刻むんじゃなくて、すり潰すんですからー!」
「それでしたら私の三節棍、カプートドラゴニスが適任ですね」
エレウまで変な武器を空間から取り出して棍をつなげている鎖をカチャカチャ鳴らしながら得意げな顔をしている。たしかに剣よりは適任であろう。だが――
「すいまっせーん! すりこ木貸してくださーい!」
「どれ、余が潰してやろうか。そなたの細腕では荷が重いであろう」
点数――何の点数かは皇帝自身自覚していない――を稼ぐチャンスとばかりに皇帝がすりこ木を受け取り鍋に突っ込んだ。
とりあえずハナの想像していたような惨事は起こらず、しかも物凄い速さで豆が潰され滑らかになっていく。
「へーか、砂糖入れますね!」
もちろん分量などは分からないから適当に入れていく。皇帝が豆をすり潰しハナが砂糖を入れる。些細な作業だが共同作業に皇帝は楽しくなってきた。
――可愛がるのも良いが、こうして二人で何かをするのも良いものだな
「――か! へーか! そろそろ味見したいんですけど」
「お、おお、そうか」
手を止めるとハナが枝豆の緑が鮮やかな餡を、小さなお皿に盛り小さなスプーンでそれを掬った。
「はい、どうぞ。へーか」
「う、うむ……」
思わぬ形で、はいアーン、になり餡のほのかな甘みに皇帝の顔が綻ぶ。
――よ、良いものだな。よし、次は余がポチにそのスプーンで……
「はい、セルゲンさん」
「えっ!?」
陛下が小さな喜びに浸っていると、皇帝の口に入ったスプーンで餡を掬いセルゲンの口に持っていくハナ。皇帝の雰囲気で何かを察したセルゲンだが、口を開いた瞬間にスプーンが押し込まれた。
「どうですか?」
「え、ええ……ええ…」
それを見ていたエレウは自分でスプーンを借りてきて自分で掬って味見をした。
「ハナさん、もう少し甘みがあっても良いと思います」
「どれどれ……ん、確かに」
そしてハナはセルゲンの口に入ったスプーンで餡を掬い味見をした。全く気にする素振りがなく、皇帝とセルゲンで見つめ合い居た堪れない気持ちを共有した。
そんな二人の気持ちなど知らないハナが砂糖を継ぎ足す。そして、ささくれ立った気持ちでスプーンを眺めながらすりこ木で餡を練る皇帝の顔が突然輝いた。
――そうか! 次の味見であのスプーンを使えば、ポチと間接的な接吻を!
ハナ以外の側室なら口どころか全身平気で舐め回したり舐め回される男の手が緊張で震える。そしてある程度練ると再び小さな皿に餡を盛り味見開始するハナを心臓を高鳴らせて見つめる。
「はい! へーか!」
満面の笑みでスプーンを差し出すハナに皇帝は戸惑った。
「いや、あの、余は、そっちのスプーン……スプーン、そっち」
よりにもよってハナが掬ったのはエレウが持ってきたスプーンだった。ワザとやっている訳じゃないのは知っているが、なぜスプーンを手から放したエレウ、と皇帝は心の中で罵った。
「ハ、ハナさん! 銀河帝国では味見の順番が決まってるのです! 先ず調理した者、次にその場にいる一番位の高い者! と帝国特別法により定まっているのです!」
「あ、そっか。一番に食べてもらおうと思ったんですけど」
寸でのところでセルゲンが国家を揺るがすような気を利かせると、調理師たちがマジで!? という顔をした。そんなの知らないハナがそれを自分の口に入れて、良い感じです、とニッコリしながら餡を掬う。
「程良い甘さですよ、へーか!」
「う、うむ! 美味いぞ!」
こうしてハナの唾液が付着したスプーンでなんとか味見をすることができて、皇帝はご満悦になりセルゲンとエレウは胸を撫で下ろした。
*
白いお餅と緑の餡のコントラストが爽やかなおやつはパンデモニウムにあっと言う間に広まった。特に女性に大人気で城から帝星に広まり、パイモン伯爵領の枝豆の惑星名物として帝国領内の惑星に留まらず銀河中に広まって行った。
後日、そのお礼としてパイモン伯から大量の枝豆が贈られてきたのは言うまでもない。