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皇帝の私室へ戻るとセルゲンとエレウが隅に控えていた。
「陛下。美容師の手配をしておきました、五分後にやってまいります」
「うむ、トリミングというのだったな」
地球のペットの毛並は画像で見てもフワフワのモフモフで手触りが良さそうだった。皇帝は野ざらしで日に焼けて伸び放題、痛み放題でパサパサでゴワゴワしている手触りの悪いハナの髪を撫でながら思いを馳せた。
「楽しみだな」
「はい!」
嬉しそうに返事をするハナは討伐の間は一度も髪を切ることはなかった。理由は一つ、そんな暇などなかったからだ。いくら色恋沙汰に縁遠いハナでもお洒落に興味がないわけではないし、美形だらけのところで傷んでゴワゴワの髪というのも恥ずかしい。やはりその辺は年頃の少女。
地球にいた頃は、友達にお世辞でも褒められるくらいはツヤツヤで綺麗な黒髪だったのだ。あの頃の髪が蘇ると思うとやはりウキウキしてくる。
時間通りにやってきた王族専属の美容師は緑色だ。人間より爬虫類に近い容姿で身長は皇帝よりも高い。魔王討伐の間、様々な魔物と対峙したハナは今更驚くことはなかった。
「どのようなスタイルに致しましょう、陛下」
「そうだな、手触りの良さを所望する」
「畏まりました」
「手入れ中、余は見ないようにしておく」
「では、楽しみにお待ちくださいませ」
美容師は恭しく頭を下げるとハナを連れてサンルームへ行った。サンルームの隅に美容室のような設備がある。地球にいた頃のヘアサロンのように大きな鏡の前に座り布を掛けられると美容師と目が合う。
「だいぶ傷んでおりますね」
「は、はい。あまり手入れする暇がなくて……」
爬虫類だが美形の美容師と目が合いそんな会話を交わすと、ゴワゴワの髪が恥ずかしくてハナは俯いてしまった。
「私にお任せください。素晴らしい手触りをお約束いたします」
「はい! すごく楽しみです!」
「では、トリートメントからしましょう。最先端技術と魔術の結晶ともいえるトリートメントです」
早速トリートメントを開始する美容師の手付きがあまりにも気持ち良く、サンルームの丁度良い気温と相俟ってハナはいつの間にか寝てしまった。
だが、美容師はそんな些末なことは気にせず己の任務を遂行する。
*
「――モフモフ……ではないが、これはこれで良い感触だな」
「……ほぇぇ?」
頭をグリグリされる感触で目が覚めたハナは、状況が掴めず寝ぼけたままキョロキョロしている。
寝起きでちょっとヨダレが垂れている顔はあまり他人にお見せしたいものではないが、皇帝陛下と美容師は目を細めてそれを見ていた。
「愛嬌があって良いだろう?」
「ほほう、これが、愛嬌、というものですか……私、初めて見ましたが、なるほどなるほど……」
一人呟きながら何とも言えない不思議な気持ちになる美容師。
この時代の人間は神や天使や悪魔などと呼ばれていたものとの混血であり、ハナのような純血の人間はいない。
それは一つの進化というか流れであるので問題はないのだが、その結果恐ろしいほど整った容貌の生物ばかりになってしまった。この爬虫類系の美容師ですら美形です、と言い切れる。おかげで彼らは「不細工だけど可愛い」「愛嬌がある」という概念を持ち合わせていないのだ。
彼らの美的感覚にある意味衝撃を与えるハナの容姿や言動は、彼らにとって「愛嬌がある」なのだ。
「うむ、癒されるであろう……そうか、この手触りポヤポヤというのか」
皇帝はモニターに映る文章を読みながらポヤポヤ、ポヤポヤと呟きハナの頭を撫でている。
「陛下、週に一度は手入れをさせてください」
「そうだな。では来週も同じ曜日同じ時間に手入れをしてくれ」
「ありがとうございます!」
美容師は礼を言いながら、ハナの髪質に合わせて調合したシャンプー、トリートメント一式を置いて退室した。それと同時に皇帝の膝から降ろされたハナは皇帝の居室の壁に掛かっている大きな鏡を見て硬直してしまった。それから自分の頭を触り無言でワナワナと震えていた。
「な、なに……この髪型……」
セルゲンとエレウもハナを見ながら、どこかで見たことのある生き物だな、と思い二人同時に思い出したように手を叩いた。
――おサルさんですね!
――おサルさんではないですか!
「ヒヨコじゃない!? これ、ヒヨコじゃない!」
ハナ自身おサルさんだ、と思ったのだがヒヨコと言わなければ切なすぎる、そんな髪型。
痛んでいる部分をバッサリ切って手触りを追求しているうちに、五分刈りという女子としてあるまじき短さになってしまったのである。
「そうか、ヒヨコとはこのような手触りだったか」
「確かに、ヒヨコさんのようでございます」
銀河一偉い人がヒヨコさんと言ったので、寸でのところでヒヨコで収まった。
「ふぅむ……それにしても、ポチは黒毛の短毛種であったのだな」
――いや、違うから! 黒毛だけど、短毛とか長毛とかないから!
「ま、まおー……ぶっコロス……」
きっちり止めを刺しておくべきだった。
怒りに震えるハナの掌に魔力が集まる。
「む?」
その魔力を逸早く察した魔王、もとい皇帝陛下は魔力の元を辿った。ハナから発せられているそれは紛れもない初恋の乙女の魔力。だが、そこにいるのは可愛いポチであって初恋の乙女ではない。
「どうなさいました、陛下?」
「初恋の乙女の魔力が……」
「なんと!?」
セルゲンはキョロキョロしながら皇帝の部屋を見渡して首を傾げた。エレウも同じように首を傾げている。
「近衛兵!」
セルゲンの声に近衛兵がワラワラと入ってきて頭を下げた。騎士や兵は有事の際に直ぐに行動できるように皇帝の前でも跪いたり、膝を折ることはしない。
「この部屋に年のころ十六、七歳の可憐なる乙女がいるかもしれん……見つけたら手荒な真似は一切せずに陛下の御前にお連れするのだ」
「はっ!」
近衛兵たちはすぐさま、セルゲンが言うところの可憐なる乙女を探し始めたのだが――
「乙女の存在は一切見当たりませんでした」
眼前のハナは乙女として認識されなかった。少し肩を落とす皇帝だが、ポチがいるから寂しくなんかない、と己に言い聞かせた。
肝心のハナは掌に集めたありったけの魔力で床にコップ一杯分の水をブチ捲けるという、痛くもかゆくもない腹いせをした。が、皇帝陛下が大喜びしただけだった。