5 空を選んだ人
翌日、何事もなかったかのように、日常が戻ってきた。
ルカはスカーレット・ウィングに乗り、リディアたちエンジニアチームは大型の飛空艇で、エストリア共和国へ帰還した。
拠点の作業場。
いつも通り、大きな窓は明け放たれ、潮の香りを含んだ風が滑り込んでくる。
十一のデスクが並ぶ空間。
この拠点に個室はない。
“首席設計士”という肩書きを持つリディアにも、特別扱いはなかった。
上下関係は薄く、肩を並べて仕事をする。
それが、このチームのやり方だ。
ルカのデスクも、当たり前のように並んでいる。
彼は決裁が必要なときだけ、ふらりと現れ、立ったままサインをしていく。
十一脚の椅子のうち、
彼の椅子が、いまだに一番綺麗で、一番硬い。
「ルカ、書類置いておいたから。サインして」
格納庫にいたルカを捕まえて、リディアは腰に手を当てて言った。
ルカは面倒そうに笑う。
「リディアが代わりにやっ――」
「いいわけないだろう!」
――目は、ちゃんと合う。
彼は笑いながら、すれ違いざまにリディアの肩を軽く叩き、デスクへ向かった。
――仕事中は、いつも通り。
リディアは、その背中を見送る。
目を伏せ、拳を小さく握った。
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ルカに惹かれない女なんて、いない。
類まれな天賦の才。
それでいて偉ぶらず、チームの一人ひとりを尊重し、大切にする。
いつだって、爽やかに笑う。
けれど、その蒼い瞳の奥には、
実力と努力に裏打ちされた、揺るぎない自信がある。
あの瞳を見て、心を奪われない人間など、
――きっと、いない。
私も、そうだった。
あの日、
あの蒼い瞳に自分だけが映し出されるのを見て、確かな熱を感じて、心が震えた。
一瞬の幸福。
だけど彼は、きっとあれを“過ち”だと思っている。
彼は“蒼の翼”。
誰にも人生を背負わせない代わりに、
誰の隣にも立たない男。
自由のために、孤独を選んだ人。
仕事中のルカは、いつも通りだ。
けれど、私にだけは、仕事以外の話を振らなくなった。
仕事以外では、目も、合わなくなった。
――でも、それでいい。これでいい。
泣いてはいけない。
泣いたら、ただの荷物になる。
私が愛したのは、“蒼の翼”。
愛を返してくれるような男なら、
きっと、はじめから好きにならなかった。
私だって、空を選んだ女なのだから。
泣かない。
縋らない。
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リディアは、スカーレット・ウィングを見上げた。
彼が愛しているのは、この子だけ。
「誰よりも、別嬪さんにしてあげるからね」
赤い機体に、そっと指を伸ばす。
リディアは、淡く笑った。
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その後、ルカは調子を取り戻した。
天才性を保ったまま、
スカーレット・ウィングのパイロットであり続けた。
国からの昇爵の打診も、
他国からの引き抜きの話も、すべて拒み、
彼はただ、“蒼の翼”であり続けた。




