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2 風の止まる場所



 目を覚ますと、高い天井に年季の入った木の梁が走っているのが見えた。

 窓からはやわらかな陽光が差し込み、部屋全体が白く満ちている。


「ルカ!」


 名を呼ばれて視線をやると、リディアがすぐ脇にいた。


 記憶をたどる。


 ――そういえば、堕ちかけたんだったな。


 ここはエストリア飛行院施設内の病棟。その病室の一つだと、ゆっくり理解する。

 白い石の壁に囲まれた室内は静かで、消毒薬の匂いよりも、どこか潮と風を含んだ空気の方が強かった。


 ルカは視線を落とし、自分の指を見る。

 左右ともに、きちんと動く。

 足先も問題なさそうだ。


 起き上がろうとした瞬間、リディアに抱きとめられるようにして止められた。


「……何?」


 眉を歪めた途端、頭に痛みが走る。 


「いてっ……」


 反射的に額を押さえると、指先に布の感触があった。

 頭には包帯が巻かれているらしい。


「まだ寝ていて! 死ぬところだったんだ」


 至近距離の青い瞳を見返し、ルカは諦めて枕に頭を戻した。

 リディアは頑固だ。

 それに、今の体調で彼女に口で勝てるはずがない。


「スカーレット・ウィングは……」


 リディアは一度、視線を伏せてから椅子に座り直した。


「こんな時にまで飛行機か……」


 小さなため息。


「修理してる。……というより、ほとんど一から作り直してる」


「そうか」


 ――壊れてしまったか。


 喪失感が、静かに胸へ落ちる。

 大破させたのは初めてではない。だが、この感覚に慣れたことは一度もなかった。


 リディアはしばらくルカの顔を見つめた後、静かに立ち上がった。


「帰るのか?」

「帰る。ちゃんと寝て、早く治して。みんな待ってるから」

「うん」


 扉へ向かう華奢な背中を、目で追う。


「リディア」


 金のポニーテールが揺れて、彼女が振り返った。 


「ありがとう」


 小さく笑って言うと、彼女の瞳がわずかに揺れた気がした。


「……うん」


 扉が閉まる。

 ルカも目を閉じた。身体が重い。


 ――寝てしまおう。


---


 数日後。

 起き上がれるようになったルカは、リハビリがてら敷地内を散歩していた。


 診断は、肋骨の骨折と全身打撲。

 後遺症は無し。


 歩きながら、ゆっくりと腕を回す。

 まだ胸に、鈍い痛みが残っている。


 白い石畳は陽をよく弾き、歩くたびに光が揺れた。

 中庭を抜ける風は暖かく、どこか海の匂いを含んでいる。 


 ここでは、飛べない時間さえも、責められていない気がした。


 石畳を下ると、青い海が見えてくる。

 潮の風と、オリーブ畑。 


 錆びたベンチに腰を下ろす。

 風が金褐色の髪を撫でた。


「ここにいたんだ」


 声に振り返ると、リディアがいた。

 彼女は当たり前のように、隣に腰掛ける。


「……やぁ。元気?」

「スカーレット・ウィングの整備で死ぬほど忙しい」

「あはは。そうか。頼むよ、首席設計士殿」


 思わず笑ってしまい、胸に響いて顔を歪める。


「リディア、ほら」


 手を開いて閉じて見せる。

 意図を察したのか、彼女は呆れたようにルカを見た。


「そろそろ乗れるかな」


 白い歯を見せて笑う。

 リディアは眉を寄せ、不意に顔を背けた。

 覗き込むと、肩が小さく震えている。


「なぜ泣くんだ。俺は無事だ。手足も動く。

 スカーレット・ウィングも作り直せる。

 何も失っていないだろう?」


 リディアは手の甲で涙を拭った。


「……何でもないの。無事でよかったなって」


「リディア」


 彼女は立ち上がり、そのまま去ろうとする。

 ルカは反射的に、その細い手首を掴んだ。


「……おい」


 振り返らない横顔を見つめる。


「……愛してるわ、ルカ。

 失うかと思って怖かった。

 ……それだけなの」


「……」


「分かってる。言わないでいい」


 ルカは、その手を離した。

 リディアは背を向けたまま、石畳を登っていく。


 スカーレット・ウィングの赤は、覚悟の赤。

 敵を引きつけ、味方を家族の元へ返すための色だ。


 誰よりも、撃墜される危険を背負う。


 だから蒼の翼である彼は、家族を持たないと決めていた。


 ――自由のために、孤独を選んだ。


 ルカは彼女を追わず、再びベンチに腰を下ろした。

 青い海。青い空。

 潮を含んだ風に、オリーブの葉が揺れている。


 瞳を閉じ、髪を撫でる風の音に、ただ静かに耳を澄ませた。



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