1 蒼の翼は墜ちない
これは、ルカ・アストレインという、“蒼の翼”と呼ばれた天才パイロットの話。
天賦の操縦技術と独自の魔導機構理論で知られ、エストリア共和国公認の自由契約パイロット《エアノート》。
貴族にも軍にも属さず、どの国からも招聘される《空の請負人》。
若くしてエストリア飛行院の顧問に名を連ねる男。
自由と孤独を背負い続けた、たった一人の男の話である。
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それは、ただの陽の煌めきのようだった。
だが次の瞬間、
――空が裂けた。
耳を焼く魔導エンジンの咆哮。
赤い閃光が、目を疑う速度で滑り落ちてくる。
敵パイロットが異変に気づいた時には、すでに遅い。
爆撃。
黒煙が噴き上がり、敵戦闘機は抗うこともできず、地へと堕ちていった。
ルカ・アストレインの真紅の愛機、スカーレット・ウィングは、立ちのぼる煙を裂くように鋭く旋回する。
空を自由に舞う紅の機体。
それは今日も、異国の空を飛んでいた。
ゴーグルの奥で、蒼い瞳がわずかに細められる。
陣形を組み、なお追いすがる敵機群。
ルカは高度を変え、死角へと回り込んだ。
マシンガン。
弾幕が走り、敵機が散開する。
一機に狙いを定め、追い詰める。
ルカに目をつけられて、逃げ切れた戦闘機はない。
狙われた敵機は、空中で回転しながら、青空から切り落とされるように墜ちていった。
「……数が多いな」
独りごちる声は、どこか乾いている。
ルカは文化交流の名目で招かれることもあるが、戦場に呼ばれる時は決まっている。その国が軍事力を誇示したい時か、あるいは――追い詰められている時だ。
今回は、後者だった。
この国のエース級パイロットは、先の戦でほぼ全滅している。
残された切り札は、ルカ一人。
――一機で敵の航空戦力を殲滅しろ、というわけだ。
「無茶言うよ」
小さく息を吐く。
だが、できてしまう。
これまでも、何度もやってきた。
速さと持久力、その両方でスカーレット・ウィングを凌ぐ機体は、いまだ存在しない。
ルカは操縦桿を強く引いた。
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「ちっ」
もう、かなりの時間を飛んでいる。
陽は傾き、空の色がゆっくりと変わり始めていた。
ほとんどの敵機はすでに落とした。
それでも――今になって、ようやくエース級が姿を現した。
敵機の性能を考えれば、夜戦に持ち込む選択肢はない。
だからこそ、日が落ちきる直前のこの時間。
相手は、なりふり構わず噛みついてくる。
赤く染まった雲を裂く。
両翼の青白い航行灯が、空に細い軌跡を描いた。
数本の細い光。
一斉に放たれる追尾弾。
高度を上げ、旋回し、振り切る。
そのまま、真上から突っ込んだ。
砲撃。
爆風。
衝撃を逃がすように、即座に旋回する。
「あと一機」
煙を吐きながら堕ちていく敵機を横目に、計器へ視線を走らせる。
指先でなぞる数値。
――挙動が不安定だ。
――頼む。あと少しだけ、耐えてくれ。
操縦桿を一気に倒した瞬間、
爆発音。
左翼付近で、追尾弾が近距離破裂した。
視界が、一瞬で白に塗り潰される。
――集中力が落ちてきたな。
白が引いた、その先。
黒い敵機。
「読まれたか!」
互いに、発砲。
衝撃が正面からぶつかり合う。
砕けた破片が、雨のように降り注ぎ、 その一つが操縦席を鋭く貫いた。
鋭角に旋回し、まだ爆煙の残る空を抜ける。
マシンガンを叩き込んだ。
炎が上がる。
「……やったか?」
煙の向こう、地面へ向かって堕ちていく影。
わずかに、息を吐いた。
だが。
黒煙の隙間から、青い光。
「まだ来るのかよ!」
最期の足掻きのような追尾弾。
――間に合わない。
高度を上げ、機体を捻る。
直後。
左翼、直撃。
衝撃とともに、機体が大きく傾いた。
「こちらスカーレット・ウィング。全機撃破。直ちに帰還する!」
『本陣、了解。助かった』
回線を切り替える。
「チーム!
最後に被弾した!
多分、まともに着陸できない。準備してくれ」
『見てた。ラジャー』
歯を食いしばる。
「スカーレット・ウィング……。
頼む、保ってくれよ」
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スカーレット・ウィング専属のエンジニアチーム。
少数精鋭の彼らは、皆、息を詰めて空を見上げていた。
首席設計士、リディア・カーヴェルもその中にいる。
防護服をまとい、機体を受け止めるためのネットを構え、 彼らはただ、その瞬間を待っていた。
「――来たぞ!」
「左翼が完全にイカれてる!」
赤い機体が、急激に失速する。
叩きつけられるように地面へ滑り込み、右翼が地を引きずって火花を散らした。
ノーズギアが削れ、金属音とともに吹き飛ぶ。
機体は、そのまま――
エンジニアたちが広げたネットへ、真正面から突っ込んだ。
数人まとめて引きずられ、悲鳴と怒号が重なる。
やがて、激しい摩擦音とともに、赤い機体は静止した。
次の瞬間。
右翼が、燃え上がった。
「ルカは!?」
誰かの叫びと同時に、ステップが運ばれる。
機体はすでに異様な熱を帯びていた。
一番に駆け上がったのは、リディアだった。
操縦席を覗き込む。
ルカは操縦桿にもたれるようにして、動かない。
彼女は迷いなく彼の顎に手をかけ、顔を上げさせた。
――呼吸は、ある。
だが、意識はない。
額は大きく裂け、血が顔の半分を覆っていた。
「気を失ってる!」
「引き上げるよ、手を貸して!」
「エンジンに引火するぞ! 急げ!」
エンジニアたちが一斉に集まる。
「せーの!」
ルカを引きずり出し、
全員が転げ落ちるようにして、機体から距離を取った。
直後。
爆発。
熱と衝撃が、空気を引き裂く。
赤い炎が、地面を舐めるように広がった。
「早く! 離れろ!」
数人がかりでルカを抱え、 彼らは必死に駆け出す。
再び、爆発音。
熱い爆風が背を焼いた。
待機陣まで戻ると、 すでに呼ばれていた救護隊が、ルカを引き取る。
エンジニアたちは、振り返った。
赤い機体が、
炎に呑まれていく。
その場で誰も、
――動けなかった。




