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6話 おとなの声

 タタリとなった子の母親に会うため、杳は婚家を訪ねた。

 最初は怪訝そうな顔を向けられたが、佐伯の当主を名乗った途端、態度は一変し家一番の客間へと通される。無駄に広く、無駄に立派な調度品に囲まれた部屋で、母親の夫――現当主と、その母親である姑と向かい合った。


 当主は佐伯が土地神代行の任を続け、作物の収穫に貢献していることに深い敬意を払っている、と丁寧な言葉で語った。

 この家は収穫物の管理を請け負うことで一財を成したらしい。その口調には、自分たちもこの土地の繁栄を支える一部なのだという自負が見え隠れしていた。

 だが、話が赤ん坊のことに及ぶと、空気は一変した。


「跡継ぎも産めぬ無能な女など、この家には不要だ」


 姑はそう吐き捨てるように言った。まるで壊れた道具の話でもするかのように。夫である当主も、同じ調子で「顔がいいだけだ」と続ける。

 タタリとなった子の母親は、この家へ嫁いだものの、子を無事に産むことができなかったため実家へと戻されたという。

 それだけで、婚家でどのような扱いを受けてきたのかは想像に難くなかった。

 これ以上は無用だ。胸の裡が悪くなるのを感じ、杳は早々に会話を切り上げ、母親の実家へと向かった。


 母親の実家は土地の西の端にあった。

 戸口で応対した実の父親は、娘のことについて話したいという杳の言葉にあからさまに顔をしかめた。


「せっかくの良縁を無碍にしおって……家の恥さらしだ」

 そういきり立つ父親の背後、薄暗い部屋の奥で、憔悴しきった若い女性が人形のように座っているのが見えた。

 彼女が赤ん坊の母親なのだろう。その姿はすでに生気の色を失っていた。


 人の心が発する負の念、土地のタタリはそれに取り付き、さらに深く濃くなっていく。杳は両家の者に、静かな口調のなかに隠しきれない怒りを乗せて告げた。


「この地は人の負の感情に敏感です。現に、生まれることができなかったお子さんがタタリに呑まれて成仏できずにいる」

 少し語気を強めて、続ける。

「……あなた方はその方を『モノ』のように扱っているように見える」

「その方は人間です。もし、亡くなった子を思う心があるなら、あの子を死んでなお、苦しめないでやってください」


「タタリの一部に、しないでください」


 それが、佐伯の当主として言える、精一杯の言葉だった。

 正面から突きつけられた言葉に、親たちは言葉を失い、きまり悪そうに視線を泳がせた。土地の斎主を担う杳から指摘され、後ろめたさを突かれた彼らの顔には、隠しようのない居心地の悪さが浮かんでいた。


 母親の家を出て、外に待たせていた及己の方へ目をやると、一人の青年と話をしているのが見えた。

 青年は杳に気づくと、慌てたようにこちらへ向き直り母親の幼馴染を名乗った。


 彼は、婚家や実家の非道ぶりを語るうちに感情を抑えきれなくなったのか、声を震わせついには涙を流しだした。

「だから……やめろと言ったんだ」

「俺に、もっと力があれば……」

 そう言いながら、悔しそうに唇を噛み締める。

 その様子に杳は掛ける言葉を探しかねた。同情すべきか、励ますべきか。だが、そのどちらも今の彼には上滑りする気がした。


 流れを断ち切るように、及己が感情の起伏を感じさせない口調で問う。

「本心か?」

 弾かれたように青年は顔を上げ及己を見た。

「やめろと言うだけ言って、もっと力があればと言って……それで、何をした」


「今、ここで泣いているだけか?」

「及己……! そんな言い方……!」

 杳が遮ろうとするが、及己は視線を逸らさない。

「言うだけなら何もしていないのと同じだ。嫁はずっと救われない」

 目を細め青年を真っ直ぐに見据える。

 その場に重たい沈黙が落ちた。

 杳も青年も言葉を失い、ただ及己を見つめることしかできなかった。


「……どうするかは、本人たち次第だ」

 張り詰めた空気を鎮めるように、杳が低く呟いた。

 及己の正論を認めつつも、家同士の問題に踏み込めない者の限界を、諦めを飲み込んだ言葉だった。

「おれたちが立ち入っていい話じゃないだろ」

 その言葉に及己は青年から視線を外し、母親の家の方へと目を向けた。

「そうだね」


 一拍置いて、何でもないことのように続ける。

「じゃあ、とりあえずあの実親と義親を殴ってきてもいい?」

「やめろ。なんでおまえが殴るんだ」

 即座に杳が呆れたような声を返す。

 あまりにも突飛な提案に隣に立つ青年が息を呑むのがわかった。

 及己はそんな二人の反応など意にも介せず、ただ淡々と心の底から不愉快であるというかのように理由を口にした。

「迷惑」

「え?」

 思わず素っ頓狂な声が出た。及己はなおも表情一つ変えずに続ける。その視線は母親の家をまっすぐに射抜いていた。

「あれらの家からタタリを引き寄せる負の情念が見える。煽り立てられるとその分杳の負担が増える。迷惑だ」

「いやいや待て待て待て……! おまえが殴ったところで消えるもんじゃないだろ、そんなの!」

「目が覚めるかも」

 こともなげに言う。その声には微塵の冗談も含まれていない。

 杳は天を仰いだ。奥深いかと思えば短絡的なことを突然言う。この友人と祖父さんはどう付き合ったというのか。


「おまえがやると洒落にならんからやめろ」

 最終的に杳は懇願するように、そう言うしかなかった。


 殴る、やめろ、と応酬する二人を青年は呆然と見ていたが、やがて何かを決意したように口を固く引き結び二人に告げた。

「……俺が、彼女を支える」

 一呼吸置いて、「今度こそ」と。

 その言葉に嘘はない。杳はそう直感した。

「本人がそれを望むならそれが一番いい」

 杳は静かに答えた。

 そう言って心の中で彷徨える赤ん坊の魂に語りかけた。

 ――おまえの母親はもう大丈夫そうだよ、と。


 その夜、杳は仏間で静かに祈りを捧げていた。細板に残っていた細く頼りない赤子の魂の気配が、ふっと薄らぎ消えていく。

「……ただひたすら話を聞き浄化を促す……おれにできるのは、それだけだ」

 ふと気づくと、及己が部屋の入り口に立っていた。いつからそこにいたのか、まったく気配を感じさせなかった。

「人が暮らす限り、負の念は生まれ続ける」

「……まるで、いたちごっこだ」

 杳は誰に言うでもなく呟く。

「結局、土地が本来持つ自浄の力に頼らないと、この土地も、佐伯の家も、いつか限界が来る」

 及己は何も答えなかった。

 だが、杳の言葉への返答に迷っている気配が感じられた。

「なんで、あの親たちにあんなに腹を立てたんだ」

 その問いに及己は一瞬だけ杳を見やり、すぐに視線を窓の外へ移す。

「無視していい意志など、あるわけない」

 吐き捨てるように言う。


 金の瞳が窓の外、この土地を覆う昏い夜の闇を静かに見つめていた。

 その瞳の奥に宿る色のゆらぎを、今の杳はまだ読むことができなかった。

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