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30話 価値観・罪悪感

 すべてを聞き終えた後、及己は腹の底から吐き捨てるように言った。


「……クズだな」


 その一言で、エリダナの理性が弾け飛ぶ。

「火力だけで国を滅ぼすような雑な奴にッ! 知略で国が滅びる様の美しさが分かるものか……!」

「あの怨嗟の響きは知略あってこそ愉しめるものよ! 火力など聞く間もなく消し飛ばしてしまう! もったいない! 雑よ!」

 狂気に満ちた叫びを、及己は一呼吸置いて静かに返す。


「国の滅亡に、雑も美もない」

 そして、淡々と続けた。


「――あるのは、嘆きだけだ」


「……ッその嘆きの中にいたくせに! その嘆きを起こしたくせに! その嘆きを、まとめて消し飛ばしたくせに!」

 エリダナの罵倒を及己は否定もせず、目を逸らすこともなくただ受け止めた。

「……その通りだよ、エリダナ」

 そう言って、静かに手のひらをエリダナへと向ける。

 その中心に、白い光の玉がゆっくりと形を成していく。


「じゃあ、それらをまとめて消し飛ばした火力を――

 おまえ一人に、叩きつけてやろうか」


 感情のない声。

 光の玉が放つ純粋な破壊の気配に、エリダナの身体が本能的に竦む。

 完全に怯え、言葉を失ったのを確認してから及己は最後の言霊を紡いだ。


「『エリダナ。知略による破滅に快楽を見出す鬼女。

 その罪により、知略を巡らせる『網』と『色』を封じる。無人の平野で虚無を謳え』――」


 読み上げられた途端、エリダナの姿は光を発し無数の文字の粒へと変わった。やがてバアルベリトの時と同じように、文字がびっしりと書き込まれた一枚の古びた羊皮紙へと姿を変え、地面に落ちる。


 それを拾い上げ懐から出した本へ挟み込むと、森には風の音だけが残った。


 杳は前に立つ及己に何と声をかければいいのか分からず、ただ立ち尽くしていた。

 やがて、及己の肩から力が抜け身体がわずかに前へと傾ぐ。

 長い溜息と共にその背中が丸まった。

 ゆっくりと振り向いた金の瞳に、先ほどまでの裁定者の色はなく、深い疲労と自嘲に似た影が浮かんでいる。


「……杳は、エリダナの感覚がまったく分からないだろう」

 杳は答えられない。

「これが、魔族だよ」

 それは、誰かに向けた言葉というより自分自身に言い聞かせる呟きだった。

「……魔族……」

 かろうじて、その言葉をなぞる。

 脳裏にはエリダナの狂気と、及己の感情を排した暴力が浮かび、そのどちらもがあまりに遠い世界のものに思えた。


「……いずれ、話さなければと思っていた」

 及己は言葉を探すように視線をさまよわせる。

 その仕草は、ひどく人間的で頼りなかった。


「槐さんも亘も知っていて、杳だけが知らない状態は良くないと思ってはいたんだ」

 躊躇いがその瞳を揺らす。

「でも……怖くてね。身勝手なんだけど……さ…」

「……及己」

 一呼吸置き、彼女はまじないのように呟く。

「答えなければならない。嘘をついてはいけない。誤魔化してもいけない……それは、相手への侮辱と同じ……」

 そして、まっすぐに杳を見据えた。

「聞く?魔族や――私のことを」


「――聞く」

 及己の覚悟が宿った言葉に杳は躊躇いなく答えた。その声は静かだったが、どんな刃よりも鋭く、及己の覚悟の芯を正確に貫く。

 及己はその視線を真正面から受け止め、覚悟を決めたようにぐっと顎を引く。


 ――だが。


「聞く――けどさ」

 一息置いて、杳は言った。

「その前に、色々することがあるな。長い話になりそうなだけに」

 先ほどまでの張り詰めた硬さは影を潜め、その声にはどこか宥めるような、しかし逃がさない響きが混じっていた。


 その言葉に及己の金の瞳から、張り詰めていた光がすっと抜ける。

 気が、抜けた。張り詰めていた糸が音もなく緩む。


「まずは廉だ。境界の準備をして待ってるんだろ?もう不要になったって知らせないと。あと叔父さんにもな。鼠の顛末、きっと気になってる」

「あ……そう……そうだね……」

 思わず、間の抜けた返事がこぼれる。

 それを咎めることもなく、杳は続けた。

「それに――」

 そこで一度言葉を切り、改めて、及己の目をまっすぐに見据える。


「そんな重要そうな話をこんな森の中で、魔族を封じた場所で聞きたくない」


 あまりにも真っ当で、不器用で、誤魔化しのない気遣いだった。

 及己は異を唱えず静かに頷く。差し伸べられた杳の手に自分の手を重ねた。

 それが帰路に就く合図だった。


 帰りの道すがら、杳は胸の奥に引っかかっていた疑問を口にした。

「……あいつが言ってた『大いなる死』って、なんだ? 流行病か?」

「そう。鼠が運び手になる病がある」

 及己の声はすでにいつもの冷静さを取り戻していた。

「正確に言えば、鼠についている蚤だ。その蚤が人間に取りついて血を吸うことで発症する。さらに発症した人間が肺を侵されると、今度は人間そのものが原因になる」


 淡々とした説明の裏にその病の凶悪さが滲む。

「広がる速さと、死亡率の高さから『大いなる死』と呼ばれ恐れられた」

「……疱瘡ホウソウみたいなもんか?」

「広がったら最後、という意味では似てるだろうね」

 広がったら、最後。

 杳はその言葉を胸の中で反芻する。もし、それが現実になっていたらエリダナが望んだような地獄がこの地に現出していたかもしれない。それを愉しむために、わざと起こそうとした。

 それを美しい、と恍惚と語るあの女の顔が脳裏に浮かぶ。


 腹の底から静かな怒りが立ち上り、杳の口から言葉が漏れた。

「……うん。クズだな」

「……そう。クズだ」

 だが同時に、一つの疑問が湧き起こった。

「でも……なんで、そうならなかったんだ?」

「単純な話だよ」

 及己の答えはあまりにも明快だった。

「この国には、そういった運び手になる鼠がいない。この本が異国から渡ってきたように、その病もいずれ渡ってくるかもしれないけどね」


「エリダナは見誤った。……こちらとしても幸いの誤算だった。もし起こっていたら岸邱や楸だけの問題じゃ済まなくなる」

「そんなに、すごいのか」

「疱瘡と同じだよ。遥か昔、人の力では止められず、神仏に縋るしかなくて大きな像を建てたそうじゃないか」

「――よく知ってるな」

「佐伯の家や杲のおかげで色々な記録を見られたからね」


 及己は、ふっと遠い目をした。

「あちらの世界でも似たようなことは色々あった。その一つで病は魔女が広げたものだから、裁けば静まる――なんて言ったりしてね。ただ猫を飼っているだけで魔女の冤罪を着せられて殺されたりもした」

「――え……」

「鼠が運び手だともっと早く気づいていれば、むしろ猫を飼っていることは名誉になったかもしれないのに」


 その言葉が、杳の中で一本の線として繋がる。

「……もしかして、及己が見たっていう、呪いの猫は……」

「そういう、人の思い込みの犠牲者だよ」

 静かな肯定。

 だが、杳は、そこで止まらなかった。

「……おまえは……」

「……?」

 言葉を選びながら、確かめるように静かに続ける。

「及己は……真実を知っていてもそれを止められなかった。その罪悪感が……呪いになったんじゃないのか……?」

「…………!」

 思いもしなかった、というように及己が息を詰める。

 弾かれたように杳を見た。

 杳はずっと及己を見ていた。探るためでも、責めるためでもない。ただ確かめるために。


 その純粋でまっすぐな瞳を正面から受け止めるのが、ひどく辛くなり、及己は逃げるように視線を前へ向けた。

 しばし、沈黙が落ちる。

 「……そう、かな……」

 やがて、小さく呟く。

「……そうかも……しれないな……」


 諦観と、ほんのわずかな安堵が混じったため息と共に言葉がこぼれた。

本日あと1話追加予定です。

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