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25話 あらましを説く

 自分の影がそのまま落とし穴になる。

 そんな怪異譚を及己は語った。


――影女なら知ってたんだがな。

――影女?ああ、影が主から独立して勝手に動くんだ。生気を吸うといわれている。

――シャドー・パーソン…似たようなのがそっちにもいるんだな。

――及己と話すと面白いなぁ、違うようで似ていたり、同じモノを見てるのに違うものになる。

――この『妄者の書』もそういうものなのかもしれないな。解釈の分だけ複雑になっていく。

――人の念か。なるほどな……だからか……。


 低めの少し掠れたような、穏やかで落ち着いた声が脳裏を通り抜けていく。


「――どうした、及己」

 杳の声に、及己は、はっと我に返った。一瞬、遠い日の記憶に触れていた名残で瞳が揺れる。

 だが、すぐに何事もなかったかのように視線を落とした。

「いや、なんでもない」

 そう言いながら、意識を手元の作業へと戻す。

 柔らかな陽光が差す縁側で、今は三人黙々と芋の蔓を処理していた。先端の若芽は食用に、太く薬効のある部分は薬用に。亘の教えどおり、乾燥させやすく扱いも良いように一寸五分ほどの長さに切り揃えていく。

 鋏の軽やかな音が規則正しく響く。


 ざるの中に、切り揃えられた蔓が少しずつ小さな山を築いていった。その山がはっきりと形を成し始めた頃、不意に杳が複雑そうな顔で呟いた。


「……いいのかなぁ、こんないつも通りで」


 手元を見たままの問いだった。

「いいじゃないの、いつも通り」

 及己は鋏を止めずに答える。

「そうじゃなくってな」

 杳は、言葉を探すように一拍置いてから続けた。

「やること聞いて、バアルベリトとやり合って……もっとこう、本のヤツらと激しくやり合うのかなって思ってたんだよ」

 杳の蔓を切る音が少しだけ乱れる。

「でも、前とあんまり変わらなくてさ。変わったことって言ったら、向き合うヤツが増えたくらいだ」

 指を折るように、言葉を重ねる。

「タタリと、『本から生まれたモノ』と、『封印された者』と……」

 元々いる怪異は姿を見せないご近所さんみたいなものだ。それでいいとしても、と、杳は口の中で言葉を濁す。


 その様子を見て、及己は静かに問いかけた。

「気が抜けそう、って?」

「いや、そうじゃなくって……いいのかなって……」

「いいよ」

 及己の声には全く迷いがなかった。

「最初に言っただろ。杳は基本的に何もしなくていいって」

 その言葉に杳は黙り込む。手元の鋏の音だけが空虚に長く響いた。

 及己は手を止めて、金の瞳をうつむいた杳の横顔に向ける。

「……何を、焦ってる」

「……いや……間に合うのかな、って」

 その小さな呟きに、及己だけでなく隣で作業をしていた亘もぴたりと手を止めた。


「鬼鎮めの任は、大体平均十五年くらいで力尽きる」

 杳は淡々と続ける。

「おれは、八歳から始めたから……寿命はあとだいたい七年だ」

 あまりにも静かな声音だった。

 まるで、他人事のように。

「あと七年で、鬼鎮めと本の回収を、終えられるのかなって……」

 

 一瞬、時が止まった。


 鋏の音も、風の音も、遠ざかっていく。


 及己の喉が引きつったように動いた。

 込み上げる嗚咽を呑み込み、顔を歪めながら彼女は絞り出すように言う。

「……そんな計算、しなくていい」

 及己は、ふいと視線を逸らす。

「それに何もしていないわけじゃない」

「え……」

「一応、張ってるんだ」

 この地、そこから広がる結界の外の世界を見据えるように目を細める。

「日中、ぼんやり縁側で茶を啜っているだけじゃないんだよ。

 一応、この地全体と、結界の外まで意識を回してる。回収する奴らをずっと索敵してるんだ」

 その言葉に、杳は一瞬、隣の亘を見た。

 聞かれてもいいのか、判断しかねる視線だった。

「亘は、全部知ってるよ」

 及己はその視線に気づかぬふりで続ける。

「私が槐さんとどういう関係だったか。本のことも。それに――」

 一拍置いて。

「本を地下倉庫の書棚にしまったのは、亘だ」

「……え」

 動揺し、亘を凝視する杳に亘は困ったように微笑んだ。「黙っていて、ごめんね」と言いたげに。

「今は本の外にいる。索敵範囲も、精度も、ずっと高い」

「ん……?」


 ――今は?

 ――あれ、そういえば。


「……ってことは、本の中にいる時も……索敵、して……たのか……?」

「そうだよ」

 及己はこともなげに答える。

「だから、鹿の子の時にも声をかけたし、道案内もしたろう?」


 ――『血』

 ――『森』


 思い返せば、タタリの嘆きに混じって、時折異なる質の声が聞こえたことがあった。

「本と倉庫の壁が厚くてね。範囲はせいぜい結界内の人里程度。声を送るのもかなり気合がいるけど」

 及己は淡々と続ける。結界内に限られるが、十五年探り続けた結果、危険な『生まれたモノ』は槐と回収済みだと判断している。仮に残っていても、乙夜の猫のように性質が変わっている可能性が高い。


「優先順位は低い。だから、ずっと結界の外を探っていた」

 規格外な告白に杳は言葉を失った。傍らにいながらまったく気づけなかった己の無知に打ちのめされる。



「……いい機会かもしれない」

 及己は少しだけ声音を和らげた。

「気になっているようだから、整理しようか」

 その提案に、亘が伏せがちな視線を上げ、気遣わしげに口を挟んだ。

「僕は席を外そうか?」

「亘はどうしたい?」

 問いは、何のてらいのない響きのまま返された。

 亘は迷うように視線を彷徨わせ、しばらくの沈黙のあと決意を固めたように杳へと向き直る。

「僕がこの地に来た理由は、知っているね?」


 弟――杳の父の供養と、その死の追及。


 穏やかな声で、亘は語る。

「供養は建前だった。追及することしか、頭になかった」

「槐さんは、真摯に話してくれた。薊は……憔悴しきっていてね」

「そうしているうちに、君を身籠っていることが分かって……僕も、一旦、引き下がるしかなくなった」

「当時、台所で今みたいに及己が手伝ってくれててね。彼女からも色々聞いたんだ」


 視線を向けられた及己は、十六年前の情景を慈しむように、淀みのない澄んだ声で記憶を紐解き始めた。

「『望むだけ、伝えないといけない。何も隠してはいけない。誤魔化しても、いけない』」

「『それは、彼と、杲への侮辱だ』――槐さんは、そう言った」

 亘は、その言葉を深く胸に刻み直すように頷き、改めて杳を真っ向から見据えた。

「僕も話を聞きたい」

 その眼差しには、一切の虚飾のない誠実さが宿っていた。


 及己は話を戻す。

 結界の外へ直接乗り込むのが一番早い。

 結界内へ誘い込むのは影響が未知数な以上、原則却下。

 やり合うなら、廉に頼み結界の外にさらに小さな境界を引く。


「狙う順番は決めている。『封印されたモノ』からだ」

「残っているのは四体」

 及己は淡々と指を折り、『封印されたモノ』――魔族の名とその性質を順に挙げていく。


 アイドラン――『王』を自称する面倒臭い奴。

 ヴォルフィス――そそのかしの名人。

 マルディオス――ただの偽勇者。

 エリダナ――戦争が快楽という魔女。


「そいつらを押さえたら、『妄者の核』だ」

 及己の声音が一気に重さを増した。


「『妄執の始祖』……手記の主、若者そのものだ」


 以上、と言わんばかりに杳と亘を見る。

「え……それだけか?」

 あまりの少なさに思わず杳が聞き返す。

「だから言っただろう」

 及己は、かつての友人の功績を誇るように目を細め、晴れやかな表情で言った。

「槐さんが、頑張ってくれたんだ」


 ついでに、とすでに回収した者たちの名を同じように淡々と連ねる。

 アステリア――数字で忖度するやつ。

 サヴィル――自分一番なカッコつけ。

 フェルグリス――暴力こそ全てとかいう自称魔王。

 レムレス――廉の対極者で冤罪の犯人。廉がシメた。

 バアルベリト――杳のおかげで捕らえたあいつ。


 そして、最後に結びのように付け加えた。

「私が相当警戒されているようでね。『封印の書』の側ばかりが多く残っている。だから、ずっと結界の外を探っているんだよ」

 及己は呆然とする杳を眺め、誇らしいように口角を上げた。

 その自信に満ちた笑みに杳は悟る。

 彼女が十五年、どれほどの執念でこの静かな戦いを続けてきたかを。

 その時間の重みに、言葉を失った。


 ――そういうものなのか。

 ――人の、念か。

 ――なるほどな……だからか……。


「ここまで回収が進んでいたのは槐さんの念があってこそだ」

 及己は、誰にともなく呟いた。

 視線は、空へ。この土地の向こう、見えない何かへ。

「人の念は、強いんだ」

 風にさらわれそうなほど淡い呟き。

「封印された魔族たちなんかよりも、よっぽど、ね」

 けれどそこには、人の意思の力への絶対的な信頼が宿っていた。

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