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18話 反転

 裏口に据え付けられていた木板を木槌で打つと、待機していた世話係が現れた。言葉通り屋敷へは裏口から案内され、通されたのは当主の私室ではなく、日当たりの悪い物置に近い一室だった。

 そこに、尚が一人、立っていた。

「親父の非礼は詫びる」

 開口一番、尚は深く頭を下げる。

「気にすんな。大人の社会は複雑なんだ」

 杳は、さきほど及己に言ったものと同じ言葉を返した。


 尚に案内され、杳は座敷牢へ向かう。及己は、その強すぎる気配が患者を刺激しかねないという名目で部屋に残された。

 それが尚のささやかな悪戯だったのか、あるいは偶然だったのかは分からない。いずれにせよ、部屋には及己と尚の腕からひょいと降りた黒猫だけが残された。


 時が、止まった。


 及己は部屋の隅に、まるで壁に張り付くように立ち尽くしている。対極の位置で、黒猫もまたぴたりと動かない。

 沈黙を破ったのは猫の方だった。

「――絶対、嫌がると思ったのに」

 流暢な、少女の声。

 及己はびくりと肩を震わせ、必死に視線を逸らす。

「……死にたくなるくらい嫌だけど、杳が言うから堪える」

「どうして、そんなに猫が嫌いなの?」

 純粋な問い。だが、それは及己にとって最も触れられたくない部分だった。

「………敵に弱みは見せちゃいけない、ってなんかで見た」

「敵じゃないよ。あなたも、もう分かってるでしょ?」

 全てを見透かしたような言葉に、及己は口をつぐむ。

 代わりに、ずっと気になっていた問いを投げた。

「……なぜ、結界外に弾き出されなかった」

「けっかい?」

「十五年くらい前、自分の意思とは関係なく、この地から追い出されるようなことはなかったか?」

「しらない。おぼえてない」

 猫は本当に心当たりがないらしく、不思議そうに答える。

「……いつから、ここにいる」

「ヒサシが二歳くらい。だから…十七年くらい前かな」


 猫は本から飛び出した後、ただ逃げ続けたという。

 捕まってはいけない。捕まったら殺される。その本能的な恐怖に突き動かされるままに。やがて辿り着いた石灯籠の中で息を潜めていた時、幼い尚に見つかった。


 ――人間に見つかった。殺される。

 ――嫌だ。なんのために逃げたんだ。


 そう思い、逆に襲いかかろうとした、その瞬間。


 差し出された小さな手。

 その上にあったのは、温かな魚の切り身だった。


「――それが、あんまりおいしくて。嬉しくって。そのまま居着いちゃった」


 その言葉に及己はわずかに目を見張る。

 自分の一部を分け与える行為。それが一種の『契約』となり、復讐の妄念だった猫に家を守るカスパルの性質を与えたのか。

 正と負の妄念が、たった一切れの魚で反転する。

 人の『念』というものの不可解さに、及己は静かな驚きを覚えていた。


 一方、杳は尚と並んで座敷牢の前に立っていた。

 重い格子戸の向こうから、湿った空気と、意味を成さない呻き声が漏れてくる。

「親父たちが、おまえの叔父さんに刃物を向けたって聞いてたからな。正直、断られるんじゃないかと思ってた」

 尚が視線を逸らしながら、気まずそうに言う。

「あれはあれ、これはこれだ。それに、別に分家との関係を断ちたいわけじゃない」

 杳はそう答えながら、格子戸の奥、牢の隅で背を丸める人影から目を離さなかった。

「まあ、腹が立ったのは間違いないけどな。だからこいつらがタタリに触れる可能性があると分かっていても、放置した」

「……は?」

 尚が、思わず間の抜けた声を漏らす。


 言っても分からないだろうから、体験してみたらいい、と思った。

 上手くこなせたなら、それはそれで先の展望が明るい。ある意味、こいつらで試したようなものだ。

 その時点で制裁は済んでる。

「断らなかったのは、人を試すようなことをした落とし前のようなもんだ」

 杳の口調は感情の見えない淡々としたものだった。


「――で、結果が、これだ」

 尚が牢の中を顎で示す。

 隅にうずくまる男は、言葉にならない呻きを壊れた機械のように絶え間なく漏らしている。

「今はおとなしいが突然暴れ出す。近づくと所構わず手足をぶん回して暴れるから飯も治療もできやしない」

「うーん……」

 杳は短く唸った。

「なんとかなるか?」

「多分。ただ、もしかしたら、及己に協力を頼んだ方が早いかも」

「あいつ、そんなに頼りになるのか?」

「なるよ」

 短いが、迷いのない断言だった。

 尚は、その一言に含まれた信頼の重さを感じ取り、思わず小さく息を呑む。

 そして、わざとらしく、からかうように付け加えた。

「あの、猫顔の猫嫌いがねえ……」

「――それ、絶対に本人の前で言うなよ」

 杳は即座に釘を刺した。


 杳が方針を決め、二人で部屋に戻るとそこには先ほどとまったく変わらない光景が広がっていた。

 部屋の対角の隅と隅。片方に及己、もう片方に猫。互いに存在は認識しているが、決して距離を詰めようとしない。

「……なんだ、話はしなかったのか」

「したよ。すごく、した」

 及己が、どこか消耗しきった声で答える。

「じゃあ、なんでそんな距離取ってるんだ」

 尚が呆れ半分で言った。

「しても苦手なものは苦手なんだ」

「……なんで、そんなに……?」

 訝しむように問いかける杳に、及己は、いつものように吐き捨てる。

「今はどうでもいいことだ……!」

 その取り繕いようのなさに、意外すぎる弱さを感じて杳は思わず笑みをこぼした。


 事情を簡潔に説明し及己に協力を請う。彼女は一瞬だけ顔をしかめたが、それ以上何も言わず黙って頷いた。全員で再び座敷牢へ向かう途中、尚が特に意味もなさそうに猫を呼んだ。

「ほら、行くぞ、たま」

「「たま?」」

 杳と及己の声が、寸分違わず重なった。

「猫の名前」

「……またベタな」

 杳が、半眼で言う。

「……あ、言霊の『たま』とか?」

 何かしら深い意味があるのかと探りを入れるが、尚は首を振った。

「ちげえよ。丸くなると玉みたいで可愛いから、たま」

「「……」」

 その場に、妙に重い沈黙が落ちた。

 やがて及己が、壊れかけの絡繰り人形のように、ぶつぶつと呟き始める。

「たま……たま……玉……まるま…る……かわ……い……か……かわいい……?」

 虚空を見つめたまま、尚に問いかけた。

「……おまえ、アレか。『ニャンモナイト』とか言い出すクチか」

「いや、それを言うなら『アンモニャイト』だろ」

「何言ってんだおまえら」

 杳の心からのツッコミが響いた。

 軽口を叩く尚の顔には、本当にこいつ大丈夫なのか?という、隠しきれない不安がありありと浮かんでいた。

本日夜に更新できればもう2話ほど追加する予定です。

読んでいただける方はどうぞよろしくお付き合いくださいませ。

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