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17話 『本から生まれたモノ』

 出会いは自宅の石灯籠の中。


 怯えているように見え、自分の食事を分け与えたのが始まりだと尚は語った。

「一目で普通じゃないとは思った。でも……なんか、怖がってたから」

 それ以来、懐かれてしまい今では常に一緒だという。


「それに、こいつがいると道に迷わなくて助かるんだ」

 猫の喉元を撫でながら語る。

 及己は必死に、猫と目を合わせないよう顔を背けていた。

「……そもそも、なんでそんなに猫が苦手なんだ?」

「今はどうでもいいことだ……!」

 返答も普段とはまるで違う。

「そんなことより……おまえは、一体何をしに来たんだ」

 弱点を探られまいと、及己は話を元に戻す。

 その言葉に尚の顔からからかう色が消えた。


 父の非礼を改めて詫び、そして本題へ。

 あの日、持ち帰った『橋』と鈴で冷やかしに鬼鎮めを行った者が数名いた。そしてタタリに侵され、程度こそ違えど全員が発狂し――今は座敷牢に閉じ込めているが、なすすべがない、と語った。


 自業自得と承知の上で、それでも助けを乞いたい、と。尚は、これまでとは全く違う真摯な態度で頭を下げた。

「……その人たちについたタタリを離すことは、できる」

 話を聞き終え杳は静かに答えた。

「でも、タタリは共鳴するものがなければそこまで深くは憑かない。根っこの精神をどうにかしないとまた同じことになる」

 どうしたものか、と腕を組み思案する杳に、

「――そいつに頼めばいい」

 目を合わさず話だけを聞いていた及己が顎で猫を示した。

「タタリを離した直後にそいつをつけろ」

「は?」

「その猫は長男が食を与えたことで、カスパルの性質を帯びている。喉鳴らしには修復の力があり外敵にも敏感だ」

 そして、尚を射抜くように見据える。

「その猫はおまえに懐いている。頼めば無碍にはしないだろう。――だが、願いに邪念が混じれば、そっぽを向く。おまえの父親のような奴はダメだ」


 話が決まり、尚は帰りの際、ふと思い出したように尋ねる。

「この猫……もとはその本の一部なんだろ? 形代みたいなものなら元に戻すのか?」

 その声には猫と引き離されることへの不安が滲んでいた。そんな尚に杳は静かに首を振る。

「うちにも廉がいて、本に戻さず土地を守ってもらっている。なのにそっちの猫だけを戻すのは変だと思う。……おれは、しない」

 及己を見る。

「それでいいよな?」

「……杳がそう言うなら、否とは言えない」

 及己は、まだ少し不満を残していたが、杳の考えに従った。


 その瞬間、尚の腕の中の黒猫が顔を上げ、初めて言葉を発した。

「――わたしも、ヒサシが気に入っている。見逃してくれて、うれしい」

 流暢で、少し大人びた少女の声。


 静まり返る客間で、ただ一人、及己だけがわなわなと震えていた。

 やがて両手で顔を覆い、呻くように呟く。

「……おまえ、やっぱり喋れるんじゃないか……」


 客間に響いた及己の声はひどく虚しいものだった。


 乙夜家の屋敷は佐伯家のそれとは比較にならぬほど大きく、そして威圧的だった。

 富と権威をこれでもかと誇示するかのような黒塗りの巨大な門。その前で杳と及己は足を止める。

「……めんどくさいな」

 及己が、心の底からそう思っていることがありありと伝わる声で、ぽつりと呟いた。


 乙夜家の当主は二人の訪問を快く思っていない。客人として迎える気はなく、あくまで『長男の知人』としてなら裏口からの出入りを許す――そんな条件を提示してきた。

「大人の社会は、複雑なんだよ」

 杳は宥めるように、どこか面白がるような響きを声に含ませて言った。

 裏口へ向かう長い石畳を歩きながら、杳は不意に足を止める。

「なあ、及己。少し頭がこんがらがってきた」

「なにが」

「情報が多すぎる。……一度、整理させてくれ」

 及己は黙って頷き、先を促す。

「まず、『本から生まれたモノ』って、なんだ」

「『封印の書』は、あの本の呼び名の一つだと言っただろう」

 歩調を緩めたまま、及己は静かに語り始めた。

「別の名は『妄者の書』という」

「妄者……」

「原型はどこかの若者の手記だったらしい。常に何らかの妄執に囚われていた、ね」


 その声音は、遠い国の古い伝承をなぞるかのように淡々としていた。

「物が積み重なった隙間の暗がりからこちらを覗く目がある、とか。墓から生える草には墓主の魂が宿っていて、触れれば同じ死に方をする、とか……そういった妄想を延々と書き連ねていた」

「……それで、怪奇作家にでもなったのか?」

「そういう展開なら面白かったんだけどね」

 及己の声に、かすかな皮肉が滲む。

「若者が死んだ後、手記は人の手を渡り歩いた。異様さに驚かれ、尾ひれがつき、悪戯に改変され……やがて変質していった」


「人の念を溜め込んだそれが、具現化するようになったんだ。槐さんはまるで付喪神のようだ、と言ってたな」

「分からなくもないが、めちゃくちゃだ」

 言葉の意味はわかるが、話の規模が飛躍しすぎていて実感が湧かない。杳は狐につつまれたような面持ちで、ただ呆然と及己を見返すことしかできなかった。

「めちゃくちゃなことを引き起こすのが人の念なんだろう。この土地だってそうだ。人の念が土地の循環を止めるなんて考えられなかった」

 及己は一度言葉を切り、杳をまっすぐに見た。

「読んだ誰かが、『これが現実に現れたら』と妄想した。それで、その通りになった――それが『本から生まれたモノ』、だ」

「……じゃあ、『封印の書』ってのは?」

「これも妄執の延長線上だ。文字が異形を生むなら、文字で縛れるのではないか、と。当時の魔術師だかがそういう呪いを本に施し、さらに変質させた。それが『封印の書』の正体だ」


 杳は、しばし黙り込んだ。

「……『生まれたモノ』も、再封印するのか?」

「できるならしたい。でも、封印された罪人たちより難しい。数え切れない人間の念が年月をかけて絡み合ったものだからね。読み解きにくいし、何より『枷』がない」

「……あの、尚の猫も?」

「……あれ…なぁ……」

 及己の声が、わずかに曇る。

「人間への復讐を恐れた妄想が根源のはずなのに、あの長男に懐いて性質が変わっている。……長男の『念』が猫を変えたとしか考えられない」

「あいつは十七年前に本から抜け出したもののはずだ。…私が結界を張ったのは十五年くらい前。害意のある人外は土地の内側からすべて弾き出されたはずだ」

「なのに、あいつは結界の内側にいる」

 見えてきた乙夜家の裏口の門を複雑な面持ちで見つめた。

「結界が阻むのは、人外であること、そして佐伯と土地に対する害意だ。廉が結界を出入りできるのはそのためだ。あいつには害意がない」

「……その流れで言うと…私が結界を張った時点で、あの猫にはもう害意がなかったということになる」


 その結論は、及己自身にとっても、どこか腑に落ちないものだった。

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