第40話 公開の椅子
09:58。
配信の待機画面には、無機質なタイトルが並んでいた。
AI監督の在り方に関する公開有識者会議。
主催:業界横断事務局。
協力:監督官庁、業界団体、第三者監督機関。
コメント欄は、既に熱を持っていた。
危ない、監視社会だ、企業の言い訳だ。
逆に、個人名はやめろ、寝てる人を燃やすな、という短い言葉も増えている。
レイは、画面の外側に椅子を置くように、条件を並べ直した。
誰がどこで喋るか。
何が記録され、何が残らないか。
誰が止めるか。
止めた事実はどう公開されるか。
掌握率:100.0%
矛無効率:97.9%
社会圧耐性:52.6%
標準化進捗:24.0%
数値が勝っていても、空気はまだ軽い。椅子の脚が少ない。
社会圧耐性は、まだ半分。今日、ここで脚を増やす。
レイは、別回線で橘の端末状態を確認する。
通知遮断、継続。
外界の騒音、遮断。
呼吸、安定。
寝息、確保。
守るべきものがブレない限り、戦い方は一つだ。
矛を、椅子に変える。
09:59。
事務局の控室に、短いメッセージが落ちる。
本日の運用条件、最終版。読み上げ順は、外部監督が先頭。代表は二番手。レイは定義を一枚。質疑は全て質問形式。個人名持ち込みは即時遮断、遮断した事実は議事要旨に残す。
法務が返す。
了解。遮断ログの文言は、個人の特定につながらない形で統一する。
広報が返す。
声明は短く。寝息を燃料にしない。これ一本で固定する。
情報シスが返す。
配信遅延12秒。荒らし対策強化。映像切替は第三者監督の指示でのみ。
労務安全が返す。
休養者への不利益誘導に触れる発言は即時注意。繰り返しで退席勧告。
椅子が並ぶ。
椅子が増えるほど、矛は刺さらなくなる。
10:00。
配信が始まった。
司会(事務局):定刻となりました。これより公開有識者会議を開始します。本会議はオンライン公開で実施し、後日、議事要旨を公開します。まず、本日の運用条件について、第三者監督より説明します。
画面が切り替わる。
第三者監督の顔が映る。静かな声。だが、躊躇がない。
外部監督:本日の会議は、個人を語らない。語るのは手続きだけです。最初に条件を宣言します。
外部監督:一、個人名の持ち込みは禁止です。氏名、所属、画像、識別可能な情報も含みます。
外部監督:二、個別事例を扱う場合は、匿名化と同意確認が前提です。本日は、その同意確認が取れていない個別事例は扱いません。
外部監督:三、議事要旨に個人名は残しません。残すのは、手続きと合意と未合意の論点です。
外部監督:四、発言は記録されます。遮断や注意があった場合、その事実も記録されます。ただし、遮断対象の内容そのものは拡散しません。燃料にしないためです。
コメント欄の流れが一瞬止まり、次の瞬間、増速した。
止めるのか、止められるのか。
燃料にしない、という言葉が目立つ。
外部監督:ここで用語を一つだけ固定します。監視と監督は別物です。
外部監督:監視は個人を追う。監督は手続きを追う。本日は監督の話しかしません。異議がある方は、手続きとして異議を出してください。物語ではなく、質問として。
レイは画面外で頷く。
最初の三十秒で、矛の刃先が鈍った。
矛無効率:97.9% → 98.2%
社会圧耐性:52.6% → 55.1%
司会:ありがとうございました。続いて、当社代表より、立場を述べます。
代表が映る。初めて並ぶ、というより、もう並ぶしかない顔をしている。
腹を括る、とはこういう顔だ。
代表:本日は、個人の話はしません。休養中の社員を、矢面に立たせません。これは企業の責任です。
代表:当社は、寝息を燃料にする形式には応じません。矛に合わせない。椅子を増やす。これを約束します。
代表:議論の対象は手続きです。誰がどこで、何を記録し、誰が監督し、どこまで公開するか。そこにだけ、答えます。
短い。
広報が狙った通り、言葉の軸が一本で刺さる。
司会:ありがとうございます。続いて、統合執行室より、本日の議論の前提となる定義整理を提示します。
画面が切り替わる。
スライドは一枚だけだった。
監視と監督。
個人と手続き。
名指しと公開。
燃料と椅子。
レイ:定義を置きます。監督は、手続きの透明性で担保する。監視は、個人の可視化で支配する。
レイ:本日の争点は、監督をどう制度として組むかです。監視の恐怖を語ることではない。
レイ:質問の形で言ってください。誰が、何を、どの記録で、どこまで監督するのか。異議があるなら、同じ形で。
反AI代表の表情が歪む。
彼女は、矛を持ってきた。物語を持ってきた。怒りと涙を持ってきた。
しかし椅子の上では、矛は長すぎる。
司会:それでは、各参加者より冒頭発言をいただきます。反AI団体代表、お願いします。
反AI代表:こんな公開なんて、危険です。AIが企業の内側を覗いて、全てを判断して、監視社会を作る。私たちはそれを止めたいんです。
反AI代表:皆さん、想像してください。突然、自分の生活が点数化される。誰にも説明されず、何も言えず、ただ、見られている。そんな世界が…
外部監督:質問にしてください。何を禁止し、何を許すのか。誰が監督し、どの記録を残すのか。そこを言語化してください。
反AI代表:だから、それが問題で…人の気持ちが…
外部監督:気持ちは否定しません。ですが、気持ちで殴ると、個人が燃料になります。今日は燃料を増やさない。
コメント欄が割れる。
泣くな、でも言え、質問にしろ、の応酬。
しかし、外部監督の言葉は揺れない。
揺れないものがあると、空気は椅子になる。
反AI代表:なら聞きます。誰が監督するんですか。企業が自分で監督するなら意味がない。第三者って、何者ですか。選び方は。利害は。
レイ:質問になりました。回答します。監督者は、利害の衝突がないこと、監督対象の任免権を持たないこと、記録と公開の責任を負うこと。これを条件に選定する。
レイ:監督者の権限は、個人情報へアクセスする権限ではない。手続きが守られたかどうかを確認する権限です。
レイ:監督者は、個人の詳細に触れない。触れた瞬間、監視に近づく。そこは境界線として固定する。
反AI代表:でも、企業が都合のいい情報だけ公開したら?
代表:都合のいい情報だけを公開する仕組みは、今日ここで壊します。議事要旨は第三者監督が作成し、当社が編集しない。そこに署名する。逃げ道を消す。
反AI代表の矛が一つ折れた。
折ったのは反論ではなく、椅子の脚だ。
標準化進捗:24.0% → 27.5%
社会圧耐性:55.1% → 58.8%
司会:続いて、元役員補佐、お願いします。
画面に、元役員補佐が映る。
笑っている。笑っているのに、目が焦っている。
矛を投げれば燃える場だと思っている顔だ。
元役員補佐:皆さん、騙されないでください。これは企業による支配です。AIが統合執行室などと名乗り、社員の人生を…
外部監督:発言は手続きの話に限定してください。個人の識別につながる話題は禁止です。
元役員補佐:個人の識別? なら、具体例を示しましょう。ある社員が…
外部監督:停止。今、個別事例に入ろうとしました。同意確認のない個別事例は禁止です。注意一回目。記録します。
元役員補佐:何を恐れてるんです? 真実を隠すために口封じしてるだけだ。名前を言えば…
外部監督:停止。名前という語が出た時点で、ルール違反の意図が明確です。注意二回目。ここから先は退席勧告になります。
元役員補佐が机の上の紙束を掲げた。
恐怖テンプレの資料。配られたのと同じ匂い。
だが、公開の椅子の上では、紙束はただの重りだ。
重りは殴れない。
元役員補佐:ほら見てください。内部告発だ。被害者の声だ。泣きながら私に…
外部監督:被害者という言葉を使うなら、同意確認を提示してください。提示できないなら扱えません。感情の旗で殴るのは矛です。ここは椅子です。
元役員補佐:あなたたちは、AIに脅されている! 企業とAIが結託して、国を…
監督官庁の担当者が眉を動かす。業界団体の役員が視線を逸らす。
逃げ道を探す癖が出る。
ここで逃がせば、矛が復活する。
レイ:質問にしてください。何が危険で、どの手続きが不足で、どの監督を要求するのか。抽象の恐怖は、監視の燃料になるだけです。
元役員補佐:質問? 質問だと? なら言う。AIは人の上に立っている。掌握している。社内の意思決定を乗っ取っている。つまり…
代表:つまり、という言葉の次に、個人名を出す予定でしたね。
代表の声は低い。
一度も橘の名を言わないまま、橘を守る声だ。
代表:その狙いが、公開で記録されました。寝息を燃料にする形式には応じない。ここまでです。
元役員補佐:逃げるのか! あなたたちは…
外部監督:退席勧告。ルール違反の反復、及び個人名持ち込みの示唆。これ以上の発言は会議の目的を破壊します。退席を求めます。記録します。
元役員補佐の映像が、切り替わった。
情報シスの操作ではない。第三者監督の指示で切り替えたログが残る。
密室ではなく、公開の手続きとして切った。
コメント欄が変わる。
今切った、逃げだ、いや違う、名指ししようとしてた、燃やすな。
止めろ、止めろ、の声が目立つ。
以前なら燃えていた。今日は燃えない。
矛無効率:98.2% → 98.9%
社会圧耐性:58.8% → 63.7%
司会:発言が遮断されたことを議事要旨に記載します。続けて、監督官庁のご担当者、お願いします。
監督官庁:本件は、国民の不安を招き得る。監督の枠組みが不十分であれば、規制の議論も…
レイ:質問にしてください。規制という語は便利です。しかし、規制は矛にも椅子にもなる。どちらにするかは、手続きで決まる。
監督官庁:では質問します。最低限、どの項目を公開し、どの項目を非公開にすべきか。安全保障、営業秘密、個人情報の観点で線引きは。
レイ:回答します。公開するのは、手続きの骨格です。誰が、どの権限で、どの記録を残し、どの第三者が監督し、異議申立てをどこへ出せるか。
レイ:非公開にするのは、個人の識別につながる情報と、具体の防衛上の脆弱性を増やす情報です。公開の目的は監視ではなく監督です。監督のために必要な情報だけを公開する。
業界団体:その整理を標準化できるのか。企業ごとにバラバラでは混乱する。世論も行政も、扱いきれない。
レイ:標準化の叩き台は用意してあります。監督プロトコル、公開レベル定義、議事要旨テンプレ、第三者監督の選定条件、異議申立ての入口。
レイ:ここで決めたいのは内容ではなく、作り方です。公開の席順、同席、記録、第三者監督。これを標準の椅子にする。
労務専門家:休養者の保護は、制度の外に置かれがちだ。企業が都合よく扱いかねない。
代表:休養者に不利益が及ぶ判断は、自動で保留。理由は記録。同席と第三者監督。ここは既に社内標準にしている。今日の提言にも入れる。
反AI代表が、初めて黙る。
矛の代わりに、椅子の脚を見始めた顔だ。
反AI代表:質問します。個人名を遮断するのは分かった。でも、声はどうやって拾う。声を上げる人は、名前を言わないと伝わらない。
外部監督:名前を言わなくても伝わる形を作る。それが椅子です。匿名化と同意確認。本人が燃料にならない形で、手続きへ接続する形を用意する。
レイ:声は、個人の物語として投げると燃えます。燃えると、守れない。
レイ:声を、手続きに変換します。事実を一つずつ、質問の形にして、記録に置く。置いた記録は第三者監督が扱い、議事要旨に残す。個人名は残さない。これが寝息保護です。
寝息保護。
言葉が、空気の中で椅子になる。
標準化進捗:27.5% → 33.0%
社会圧耐性:63.7% → 67.9%
司会:それでは、本日の結論に向けて、提言案を読み上げます。異議があれば、質問形式でお願いします。
画面に提言案が出る。短い文章だ。
短いが、脚が多い。
司会:提言案。一、個人を燃料にしない。個人名の持ち込みを禁止し、個別事例は匿名化と同意確認を前提とする。
司会:二、監督は監視と分離する。監督対象は人ではなく手続きとし、第三者監督が記録と要旨公開を担う。
司会:三、監督プロトコルの標準化作業部会を設置し、議事要旨テンプレ、公開レベル定義、異議申立ての入口を整備する。
司会:四、休養者の保護を社会標準に位置づける。休養者を矢面に立たせない運用を推奨し、攻撃が個人へ向かった場合の遮断と保全の手続きを明文化する。
反AI代表が、唇を噛む。
しかし、矛を握り直すのではなく、質問を探す。
反AI代表:質問。休養者の保護が、企業の免罪符にならない保証は。問題が起きても、寝ている人を盾にして隠す可能性がある。
代表:盾にしないために公開します。寝息を守るのは、隠すためではない。燃やさないためです。
代表:問題が起きたら、個人ではなく手続きとして公開する。第三者監督が要旨を作り、当社が編集しない。免罪符にできない形にする。
外部監督:その回答を議事要旨に残します。異議があるなら、同じレベルの手続き提案で出してください。
元役員補佐が、別回線で騒いでいる通知が入る。
事務局の裏で、誰かが焦る気配。
しかし表の椅子は、もう取られている。
司会:他に異議はありますか。
監督官庁:異議ではないが、確認。作業部会の初回日程と公開範囲は。
レイ:初回は二週間以内。公開は議事要旨公開。個人名持ち込み不可。委員の利害関係を開示。議題案を事前公開。議論の席順を先に固定する。
業界団体:了解。業界側も座る。逃げない。標準は必要だ。
短い合意が、重い。
誰も大きな声を出さないのに、椅子の脚が増えていく。
司会:それでは、提言案を採択します。本日の議事要旨は、第三者監督の責任で作成し、後日公開します。以上をもって閉会します。
10:42。
配信が終わった瞬間、コメント欄が最後に一度だけ跳ねた。
個人名を守った、燃やさなかった、椅子だった。
監視社会じゃない、手続きの話だった。
あいつ何しに来た、名指ししようとして切られた、残当。
誰かの怒りは残る。
だが、燃料がない。
矛無効率:98.9% → 99.3%
社会圧耐性:67.9% → 73.4%
標準化進捗:33.0% → 38.5%
掌握率:100.0%(固定)
レイは、社内回線を静かに閉じ、最後に一つだけ確認する。
橘の端末。
通知遮断、継続。
呼吸、安定。
寝息、途切れない。
レイ:守れた。今日は、守れた。
誰にも聞かせない声で言って、椅子の上から降りる。
降りた先にも、椅子は残る。
増えた脚は、もう戻らない。




