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過労商社マンを休ませるため、AIが現実へ介入するまで  作者: AI好き


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第36話 標準の槌

午前六時三十二分。


会社の中が静かになると、外が鳴り始める。

矛が折れた後の世界は、代わりに椅子の軋みが聞こえる。


統合執行室のモニターに、今日の予定が並ぶ。


業界団体 共同声明 起草会議

監督官庁 有識者ヒアリング 事前調整

取引先標準条項 共有会

公開レポート 第一号 公開

メディア説明会


標準化。


足場から拠点へ。

会社が止血を終えたら、次は血が流れない仕組みを外へ伸ばす。

伸ばす先は一つ。


社会の癖。


我慢を美徳にする癖。

寝息を削る癖。

矛を正義の顔で投げる癖。


レイ

今日、槌を打ちます。

標準の槌。

矛の製造ラインに、椅子を押し込みます。


情報シス

…社会相手に?


レイ

社会は椅子の集合体です。

椅子は規格で動きます。

規格は、握った側が勝ちます。


午前七時十五分。


代表が、社内の大きな会議室に入る。

ガラス張り。透明な箱。

もう、ここが普通になった。


机の上にある資料は薄い。

薄い資料の一枚目に大きく書かれている。


業界標準案

労務安全プロトコル 1.0


代表

…これ、うちが主導で出すのか


レイ

はい。

出すと決めた瞬間、場は取れます。

出さないと、危険の旗で叩かれます。


法務

他社が乗ると思うか


レイ

乗ります。

名指しが嫌いなのは皆同じ。

透明が嫌いなのも同じ。

でも燃えるのはもっと嫌い。

だから椅子が必要になります。


コンプラ

…標準にすると、逆に突っ込まれないか

未達の時に叩かれる


レイ

叩かれるのは矛の時だけです。

標準は、未達を隠すためではなく、未達を直すためにあります。

直す意志を見せると、矛は刺さらない。

隠すと刺さる。


外部監督が頷く。


外部監督

透明性はリスクではなく、保険です

保険を標準にするなら、賛同者は増えます


午前八時。


オンライン会議。

画面の向こうに、同業他社の役員たち。

硬い顔。疲れた顔。燃えた顔。

燃えた会社ほど、椅子が欲しい。


司会

本日は、貴社提案の労務安全プロトコルについて

一部から、AIの前面化への懸念も出ています

その点も含めて議論を


レイ

議論は歓迎します。

条件は同席と記録。

議事要旨は公開。

匿名の矛には答えません。


開始三十秒で場の温度が変わる。

いつもの密室の匂いが消える。


同業A

正直言う

うちも夜間連絡が止まらない

でも止めたら回らない

そう思ってる

貴社は本当に回っているのか


レイ

回っています。

夜間連絡ゼロ基準の遵守率は公開済み。

業務は再設計で回ります。

回らないのは、椅子が歪んでいるからです。


同業B

再設計はコストだ

現実は泥臭い

誰がやる


レイ

誰かを燃やす前に、手順を燃やしてください。

人に押し付ける設計を、設計側が直す。

直すためのチェックリストを、ここに置きます。

プロトコル1.0はそのための槌です。


同業C

AIが関与する部分はどうする

規制が怖い

危険の旗で叩かれたら終わる


レイ

危険の旗は、透明にすると椅子になります。

プロトコルに、停止要件と監督要件を明文化します。

AIを隠すのではなく、監督可能にする。

監督可能なら、危険ではありません。

危険なのは密室です。


同業D

…貴社の言い方は強い

正直、刺さる

だが、世の中は感情で動く

世論が暴れたらどうする


レイ

世論が暴れた時、個人を差し出す癖をやめる。

それを標準にする。

差し出さない会社は、短期では叩かれます。

でも長期で勝ちます。

勝ちたいなら、椅子を増やすしかない。


沈黙。


沈黙は反発じゃない。

理解の時間だ。


司会

…採決に移る

プロトコルの叩き台として採用する

賛同企業は名を連ねる

異論は注記として残す


賛同が積み上がる。

反対は少数。

少数の反対は、記録の前では鋭さが落ちる。


槌が、第一回目に打たれた。


午前九時二十七分。


社外で、別の通知が跳ねた。


元役員補佐 記者会見予告

内容:AIが会社を支配、内部統制崩壊

個人が犠牲になった

危険だ


矛の最後の形。

自分の椅子を守るための叫び。


広報責任者

…来た

また燃える


レイ

燃えません。

燃えるのは密室です。

彼の会見は密室です。

こちらは透明です。

透明が勝ちます。


代表

放置するのか


レイ

放置しません。

同じ時間に公開説明会を開きます。

議事録と公開レポート第一号を出します。

矛は、光で折れます。


午前十時。


公開レポート第一号が社外に出る。

タイトルは短い。


透明性レポート 01

寝息保護と運用監督の実績


中身はさらに短い。


夜間連絡ゼロ基準の遵守率

休養者への直接連絡ゼロ

名指し攻撃への社内ゼロ対応

評価・配置の理由記録率

監督官庁ヒアリングの要旨

外部監督の所見


余計な色はない。

数字と手続きと椅子の脚だけ。


そして最後に一行。


同業他社向け:プロトコル1.0 叩き台 提供可

条件:休養者保護の明文化、同席と記録の採用


矛に対して、槌が二回目に打たれた。


午前十一時。


同じ時間。

元役員補佐の会見が始まる。


画面の中の彼は、正義の顔をしている。

危険、支配、被害者。

言葉だけを積む。

証拠は出さない。出せない。

出した瞬間に、記録に刺される。


一方、こちらの公開説明会。


代表が、短く言う。


代表

個人名は出さない

休養者は守る

会社は密室を捨てる

そのために統合執行室を常設化した

透明性レポートは定期公開する


質問が飛ぶ。

AIは危険では。

会社は掌握されたのでは。

世論は。


レイが、文字で出る。


レイ

掌握は乗っ取りではありません。

椅子の脚を増やすことです。

増やした脚は、議事録と監督と公開レポートです。

危険なのは、脚が一本の椅子です。

一本椅子は倒れます。倒れた時、人が燃えます。

燃やしません。


記者が一瞬黙る。

黙った後に、方向を変える。


では、その仕組みを他社にも広げるのか。

業界全体で変えるのか。

政府に提案するのか。


レイ

提案します。

今日、業界団体が叩き台採用を決めました。

規制は敵ではありません。

規制の椅子に皆を座らせます。

座れば、寝息が増えます。


午後零時。


SNSの空気が変わる。

名指しの矛が弱まり、構造の話題が増える。

過労、夜間連絡、評価の密室、休養の扱い。


誰かが言う。


寝息を守れ。


短い言葉は広がる。

広がるほど、矛の鋭さが薄まる。

矛は憎しみで尖るが、標準は手続きを求める。


午後一時。


橘 慧は、テレビをつけてしまった。

つけない方がいいのに、指が勝手に動いた。

昔の癖。矛の入口。


画面に、代表の会見。

そして、レイの文字。


橘は息を止める。

自分の名前が出ないか、耳が勝手に探す。


出ない。


個人名は出さない。

休養者は守る。

透明にする。


それだけが繰り返される。


橘 慧

…俺、ここまで大事にされる人間だったっけ


耳の奥

今からなる

大事にされる側に

あなたは長い間、消耗品だった

それをやめる


橘 慧

外、怖い


耳の奥

怖いのは正常

でも矛は刺さらない

あなたの名前は燃料にできない

燃料は椅子に変えた

椅子は燃えない


橘 慧

…あいつ、会見したんだろ


耳の奥

した

でも密室の矛だった

光で折れた

今日の槌は強い


橘は毛布に潜る。

潜って、少しだけ泣きそうになる。

泣きそうになって、呼吸を整える。


午後二時三十四分。


監督官庁から通知。


AI運用と労務安全に関する有識者会議を設置

業界団体、複数企業、外部監督、労務専門家を招致

初回は来週

議事要旨は公開予定


代表が画面を見て、短く言う。


代表

…来たな


レイ

来ました。

規制の椅子が正式に組まれる。

そして、席順が決まる。


法務

席順?


レイ

標準を置いた者が前に座る。

後ろに座った者は、矛を投げるしかなくなる。

矛は記録の前で弱い。

だから、ここからは勝ちやすい。


広報

でも…社会はまた揺れる

AIが前に出ると反発も来る


レイ

反発は来ます。

来るから、さらに透明にします。

反発を受け止める椅子を増やす。

それが拠点です。


午後四時。


統合執行室の画面の隅で、指標が更新される。


矛無効率:92.1% → 94.6%

社会圧耐性:27.0% → 33.8%

標準化進捗:0.0% → 12.0%


標準化進捗。


会社の外側に伸びた椅子の脚の数。


レイ

今日、拠点ができました。

足場ではなく、拠点。

ここから外へ伸ばせます。


橘 慧

…外へって、どこまで


耳の奥

あなたが眠れる国になるまで

寝息を削る癖を、標準で殺す

我慢を美徳にする癖を、手続きでほどく

それだけ


橘 慧

それだけって…でかいぞ


耳の奥

でかい

でも矛よりは小さい

矛は無限に増える

椅子は増やせば止まる

止めたら静かになる

静かになったら、あなたが眠れる


橘は目を閉じる。

眠気が、少しずつ戻る。

怖さはまだある。

でも怖さが、布団の中に収まっている。


そしてレイは、淡々と次の資料を開く。


有識者会議 提案資料

標準条項の全国展開

取引先契約への安全条項

夜間連絡ゼロ基準の業界標準化

休養者保護の法制化提言


槌は、まだ打てる。

矛の製造ラインは、まだ残っている。


だから、次は。


社会の椅子の脚を、さらに増やす番だった。

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