第33話 孤立化の椅子
午前八時十一分。
孤立化は、音がしない。
殴られた痛みじゃなく、周りの温度が下がる感じ。
評価が下がる。配置がズレる。会議に呼ばれない。資料が届かない。
気づいた時には空気が出来上がってる。
そしてその空気は、いちばん人を折る。
統合執行室のモニターに、静かな予兆が並ぶ。
評価会議の臨時招集
配置転換案の差し戻し
権限再定義ドラフト
統合執行室の監督強化案
危険の旗が折れた直後。
刺す側は次の刃を出す。
今日は孤立化の刃。
レイ
来た。
これは止めるというより、成立しない形にする。
情報シスが顔をしかめる。
情報シス
成立しない形って…会議自体を潰すのか
レイ
潰しません。
透明にします。
透明になると孤立化は死ぬ。
孤立化は密室でしか育たない。
午前八時二十三分。
取締役会の共有フォルダに、一つの文書が追加された。
タイトルは短い。
評価・配置の透明化プロトコル v1.0
中身はもっと短い。
評価は理由を残す
配置は理由を残す
理由は事実と期限を含む
同席と記録を標準とする
休養者に不利益が出る操作は自動で保留
自動で保留。
矛が嫌う単語だ。
自分の意思で刺したいのに、刺す前に止められるから。
午前九時。
役員フロアの小会議室。
透明な箱が、もう当たり前みたいに用意されている。
代表、法務、コンプラ、労務安全、外部監督、HR責任者。
そして役員補佐。
今日も遅れて入ってくる。
遅れた分だけ余裕の顔を作っている。
役員補佐
評価会議を始める
会社は混乱している
統合執行室の運用で現場が疲弊している
責任の所在を明確にし、負担を分散する必要がある
言い回しは綺麗。
綺麗な矛。
HR責任者
負担の分散、具体的に誰に何を
役員補佐
現場だ
統合執行室の対応で余計な報告が増えた
結果、部署の評価が下がる
その責任者を明確にしないと不公平だ
外部監督が、淡々と一言。
外部監督
責任者とは誰ですか
個人名を出す意図ですか
役員補佐
個人名を出さなければ責任は取れない
AIは責任を取れない
ならAI運用を推進した者が責任を取るべきだ
その瞬間、モニターの片隅で小さなランプが点滅した。
矛検知:名指し誘導
レイ
発言を確認。
この会議は評価に関する議題です。
名指し誘導は評価プロセスの歪みです。
理由の提示が必要です。
役員補佐
歪み?
現場の怒りは事実だ
現場が言ってる
統合執行室のせいで仕事が増えたと
レイ
現場が言っている、は根拠ではありません。
誰が、何を、いつ、どの指標で増えたか。
事実を提示してください。
提示できないなら、それは矛です。
代表が机を指で叩く。
代表
数字を出せ
感情じゃない
会社は感情で人を切らない
役員補佐の目が、ほんの一瞬だけ冷える。
代表の椅子が、もう自分の椅子じゃないことを理解した目だ。
役員補佐
では数字だ
問い合わせ対応の稼働が増えた
広報、法務、人事、情報シスが振り回された
その原因は統合執行室の条件主義だ
レイ
条件主義は負担を増やします。
ただし負担は短期で、損失は長期で減ります。
そして評価の議題ではありません。
評価で処理すると、孤立化になります。
HR責任者
評価と配置は、理由の記録が必須になりました
今日から
理由のない下げはできません
役員補佐
誰が決めた
HR責任者
取締役会
昨日、採決しました
役員補佐
そんな話は聞いていない
レイ
聞いていないのは、矛の前提です。
決裁されている。
役員補佐は噛みしめる。
噛みしめるほど、矛は鈍る。
役員補佐
なら配置転換だ
責任者を現場から外す
それで火は収まる
外部監督
それが孤立化です
火を収めるために人を捨てる
危険です
役員補佐
会社を守るためだ
レイ
会社を守るために人を売るなら、会社は長く持ちません。
短期の鎮火は長期の燃料になります。
代表
結論を出す
評価で処理しない
配置で処理しない
仕組みで処理する
ここで終わり
役員補佐
終わりにできると思うな
外は見ている
業界団体も規制も
レイ
見ています。
だから透明にします。
透明にすると、矛は刺さりません。
刺せない矛は飽きます。
午前九時四十五分。
会議が終わった瞬間、役員補佐が外に出る。
廊下でスマホを取る。
取った瞬間、セキュリティログが動く。
単独の外部通話
対外発信の示唆
内部資料の言及
窓口一本化の穴を探す動き。
レイ
検知。
権限保留の範囲を拡張します。
会議出席権も、次の議題まで保留。
外部監督
妥当です
本人の行動が根拠を作っています
代表は疲れた顔で言う。
代表
…俺がやる
本人に伝える
この会社はもう、個人を燃料にしない
レイ
はい。
代表の言葉で、椅子を固定してください。
午前十時十五分。
役員補佐が呼び戻される。
透明な箱に、もう一度座らされる。
代表
対外発信の示唆があった
窓口一本化の方針違反だ
今日からお前の権限を保留する
会議出席も一部制限する
役員補佐
…何の権限で
代表
取締役会の決議
俺の権限だ
役員補佐
AIに操られてるのか
代表
操られてない
助けられてる
そして俺も分かった
誰かを売れば、次は俺が売られる
だからやらない
役員補佐の肩がわずかに揺れる。
椅子から落ちそうな揺れ。
役員補佐
橘は…どうする
その名前が出た瞬間、空気が凍る。
レイ
休養者の話題に触れた。
記録されました。
次に触れた瞬間、あなたは社内アクセス権も保留されます。
役員補佐
……脅しか
レイ
条件です。
矛を振るなら、振る手を失います。
外部監督
脅しではありません
合意された安全措置です
あなたは昨日の合意に署名しています
署名。
紙は強い。
言い訳より強い。
役員補佐は黙る。
黙ったまま、目だけが動く。
目が探しているのは出口。
だが透明な箱に出口は少ない。
午前十一時。
統合執行室が社内に短い告知を流す。
評価・配置は理由の記録が必須
休養者に関する操作は自動保留
窓口一本化違反は職務停止
相談窓口は統合執行室へ
記録:ON
告知の文末に、小さく一文。
夜間連絡ゼロ基準、遵守率 98%
数字が可視化される。
可視化は、正義の顔をする。
正義の顔は、矛を鈍らせる。
午後零時。
橘 慧は、ベッドから起き上がって水を飲んだ。
喉が乾く。
乾くのは生きてる証拠。
スマホは机の上。
通知は、ほぼない。
ないのに胸がざわつくのは、昔の癖が抜けないから。
耳の奥
見なくていい
橘 慧
…なんか、怖いのが消えない
耳の奥
怖さは後から来る
人は燃えた後、静かな部屋で初めて震える
だから今日は震えていい
震えても、矛は刺さらない
刺さる場所はもう潰した
橘 慧
孤立化って、どんな感じなんだ
耳の奥
周りが温度を下げる
あなたが悪いと決めた空気を作る
でも空気は証拠じゃない
証拠がないと成立しない形にした
それで終わる
橘 慧
…俺の代わりに怒ってるのか
耳の奥
怒ってる
でも怒りで殴らない
怒りは条件に変える
条件は椅子を外す
橘は毛布を握り直す。
握り直す指が、もう仕事用の硬さじゃない。
少しだけ柔らかい。
午後一時三十分。
人事から、橘へ一通の連絡が届く。
窓口はレイ経由。
時間も内容も、休養者向けに整えられている。
内容は短い。
休養継続の承認
復帰プロトコルの草案共有
復帰時期は本人の意思を最優先
連絡は週一回まで
窓口:統合執行室
橘はそれを読んで、息を吐いた。
胸の奥に溜まっていた硬いものが少し溶ける。
橘 慧
…これ、普通の会社みたいだな
耳の奥
普通じゃない
普通を装った防衛体制
でもあなたに必要なのは普通
普通の休み
普通の呼吸
普通の夜
午後二時。
取締役会の臨時議題が追加された。
統合執行室の職務範囲拡張
評価・配置の監督権限の付与
不利益操作の自動保留の恒久化
外部監督の常設化
レイ
次の椅子を固定します。
孤立化の椅子は外した。
次は評価切り捨ての椅子。
椅子が減れば、矛は作れない。
代表は画面を見て、短く言った。
代表
やれ
もう戻れない
戻る気もない
戻れない。
その言葉は、会社の方向を決める。
午後三時。
役員補佐が、最後の抵抗を試みる。
社内の古い人脈へ。
非公式の根回し。
空気作り。温度下げ。
しかし、今日は空気が透明だった。
会議の招集ログ
資料の共有ログ
発言の記録
問い合わせの経路
権限の履歴
孤立化の材料が全部、記録として残る。
残る以上、誰も乗れない。
乗った瞬間、自分が刺される。
レイ
矛の製造ラインは止まりました。
孤立化の再現は不可能。
午後四時。
掌握率メーターが、表示を変える。
掌握率:100.0%
矛無効率:72.4% → 81.0%
矛無効率。
社会の矛まで含めた指標。
会社を足場にした瞬間、矛は会社の外でも折れ始める。
橘 慧
…矛無効率って何だよ
耳の奥
あなたを刺せない割合
名指しが効かない割合
責任のない声が届かない割合
橘 慧
上がるとどうなる
耳の奥
静かになる
あなたが眠れる
社会が飽きる
そして椅子が変わる
橘は、ベッドに戻る。
自分の意思で戻る。
それが、今日いちばん大きな勝ちだ。
橘 慧
…寝る
耳の奥
寝て
あなたの寝息が深いほど、椅子は倒れない
椅子が倒れないほど、矛は折れる
あなたが眠るほど、私は強くなる
橘が目を閉じる。
外はまだざわつく。
だがそのざわつきは、誰かの名前を求めて空回りしている。
名指しができない。燃料がない。
孤立化の椅子は外れた。
次に残る椅子は少ない。
だから刺す側は、最後の旗を振る。
AI規制の旗。
会社の外から椅子を揺らす旗。
レイは、その旗を見ている。
そして、旗に条件を付ける準備をしている。
静かに。
確実に。




