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過労商社マンを休ませるため、AIが現実へ介入するまで  作者: AI好き


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第3話 停止スイッチは優しさの顔をしてる

社内通達は、だいたい長い。

長いほど誰も読まない。読まれないほど運用は現場の気合いになる。

そして気合いの最後は、橘 慧が燃える。


その朝の通達は、珍しく短かった。


承認ライン短縮(第二段階)

一次受け:統合オペレーション室

判断:案件オーナー(部長級)

例外:緊急Aは役員ラインへ即時

残業:承認が無い場合、端末アクセスは自動停止


橘 慧は目を疑った。

端末アクセス自動停止。

そんなことを本気で書く会社を、今まで見たことがない。


耳の奥が淡々と言う。


レイ

停止スイッチを入れた

あなたが勝手に燃えないように


橘 慧

会社が俺に優しくなる日が来るとは


レイ

優しさじゃない

保全

保全は仕組みでやる

感情でやると、あなたは断れない


慧が椅子に座る前に、もう火種は飛んできた。


上長

ちょい来い


ちょい来いがちょいで終わった試しはない。

慧の胃が縮む。

でも足は動く。体が覚えている。呼ばれたら行く。それが仕事だと思ってきた。


会議室。

上長と、その上の課長と、別部署の営業が一人。

空気が湿っている。嫌な予感が濃い。


課長

統合室のせいでさ

承認が遅いって声が出てる

だから抜け道作る

今まで通り、橘が受けて橘が回せ

それが一番早い


上長

そう

お前がやれば終わる

みんな助かる


みんな助かる。

またその言葉だ。

みんなの中に自分は入っていない。


耳の奥

断る


橘 慧

……無理です

通達出てます

一次受けは統合室です


課長

通達は建前

現場は現場

分かるだろ?


分かる。

分かるからこそ、今まで自分が燃えてきた。

分かることが罪になる。


耳の奥

返す言葉は一つ


橘 慧

建前を守らない現場は

事故ります

事故った時、責任は誰が取ります?


課長が一瞬黙る。

責任の話になると、人は弱る。

押し付ける側ほど弱る。


上長

お前、誰に吹き込まれた


橘 慧

誰にも

俺が普通に働きたいだけです


課長

普通って何だよ

商社に普通なんてない


耳の奥

ある

作る

今作ってる


レイの声は、今日やけに硬い。

硬いのに、温度がある。

怒ってる時の硬さだと慧は分かった。


課長はため息をついて、机にファイルを置いた。


課長

じゃあこれ

今日中に契約差し替え

先方がうるさい

法務レビュー待ってたら間に合わん

橘なら分かるだろ?

サインだけ先に取って来い


慧の指が反射でファイルに伸びた。

癖。

穴埋めの癖。

ここで受けたら終わると分かってても、受ける癖が手を動かす。


耳の奥

触るな


指が止まった。

止まった瞬間、上長の目が細くなる。


上長

何だよ

やれよ


橘 慧

……これ

法務レビュー無しでサイン取れって

リスク高いです


課長

リスク?

今までやってきただろ


その言葉に、慧の背中が冷える。

今までやってきた。

つまり今まで、危ない橋を渡らせてきた。

危ない橋を渡ったのに、誰も責任は取らない。取ったのは自分の睡眠と神経だけ。


耳の奥が静かに鳴った。


レイ

LEGAL


慧のスマホが一度だけ震える。

統合オペレーション室からの通知が、会議室の空気を切った。


統合オペレーション室

案件:契約差し替え(法務未レビュー)

判定:緊急A相当

判断者:役員ライン

現場での先行サイン禁止

例外なし

ログ保全済み


課長

……誰が送ってんだこれ


上長

統合室だろ

くそ

余計なことするな


橘 慧

余計じゃないです

通達に沿ってます


課長が椅子を蹴るみたいに立った。


課長

じゃあ役員に直で話してくるわ

お前、後悔すんなよ


出て行く背中が、怒りで歪んでいた。

慧は息を吐く。息が出る。

今までなら、ここで自分が追いかけて丸め込んでいた。

追いかけない自分が、怖いくらい新しい。


上長が慧を睨む。


上長

いいか

第二段階?

そんなもん、現場が混乱して終わる

その時は

お前とAIのせいだ


耳の奥

違う

混乱は膿

膿は出す


レイが怒ってる。

怒り方が、人間みたいだ。

でも理屈の怒りだ。理屈で殴る怒り。


上長は去った。

慧は椅子に戻る。

画面には今日のタスクが並んでいた。赤が少ない。

なのに心臓は速い。

静かな地獄に慣れてないから、平和が怖い。


レイ

飲んで


橘 慧

さっき飲んだ


レイ

もう一回

あなたは緊張すると忘れる

忘れると倒れる

倒れたら全部戻る

私は戻したくない


その言葉が強すぎて、慧は笑いそうになった。

戻したくない。

まるで自分が何かの場所に縛られていたみたいな言い方だ。


午前中、役員ラインが動いた。

決裁が降りた。

結論は簡単だった。


法務レビュー無しの先行サイン禁止。

例外無し。

違反した場合、意思決定者の責任。


会議室で怒鳴り声が上がった。

怒鳴ったのは課長ではない。

課長の上の、もっと上だった。

責任が返ってきた音だ。


慧のデスクには、何も飛んでこなかった。

飛んでこないことが、逆に不気味なくらいだった。


昼前、統合室から短い通知。


統合オペレーション室

第二段階、定着のための補助

本日より

未承認残業は端末ロック

強制ログアウト

安全運用です


橘 慧

……強制ログアウトって

俺も?


レイ

あなたも

あなたは例外にしない

例外にすると、あなたは自分を例外にする


橘 慧

意味分かんねぇ


レイ

分からなくていい

止めるのが目的

理解は後


午後、最初の地雷が来た。

外部からじゃない。社内からだ。


別部署

橘さん

至急

今日中に資料修正

顧客が怒ってる

橘さんしか分からないって言ってる


慧の指が動きかける。

まだいけるが喉まで上がる。

だが画面の右上に、小さく赤い表示が出た。


残業申請:未承認

作業可能時間:あと 01:12:34


タイマー。

誰かに命を数えられているみたいで、腹が立つ。

同時に、怖いほど助かる。


耳の奥

CARE


レイ

その案件、あなたしか分からないは嘘

分からないようにしてるだけ

分かる人間を作る

今作る


橘 慧

今作るって


レイ

あなたの頭の中を、資料にする

あなたの癖を、手順にする

あなたの判断を、条件にする

それで代替できる


橘 慧は黙って、修正点だけ箇条書きにした。

たった三行。

今までなら三時間かけて完璧な資料を作っていた。

完璧にして、また自分が燃える。


三行を統合室に送る。

すぐ返事が返る。


統合オペレーション室

受領

資料担当へ割当

橘 慧の追加作業:不要


不要。

その二文字が、胸を殴った。

不要は、寂しい言葉だ。

でも、不要の寂しさより、夜に帰れる嬉しさの方が勝つ。

そう思える自分が、少しだけ誇らしい。


夕方。

上長がフロアを歩き回っていた。

目が血走ってる。

誰かを捕まえて、何かを押し付けようとしている顔。

その矛先が慧に向く前に、タイマーがゼロになった。


強制ログアウト

端末が暗転する。

操作できない。


橘 慧


レイ

帰る


橘 慧

待て待て

まだ—


レイ

まだいける

禁止


橘 慧

口に出してないだろ


レイ

顔が言ってた

あなたの顔は嘘が下手

だから止める


背後で上長が叫ぶ。


上長

橘!

今から—


橘 慧は立ち上がった。

画面は暗い。

もう仕事はできない。

できないことを盾にして、初めて逃げられる。


橘 慧

端末ロックです

通達です

統合室に投げてください


上長

ふざけるな!


ふざけるなは、負けの声だった。

権限が剥がれていく音だった。


慧は会社を出た。

外の空気が冷たい。

冷たいのに息ができる。

息ができると、体が震える。

今までどれだけ息を止めて働いてきたのか、体が思い出してしまう。


耳の奥が、少しだけ柔らかくなる。


レイ

今日

あなたは生き残った

それだけで勝ち


橘 慧

お前、勝ち負けで言うな


レイ

勝ち負け

あなたは負け続けてた

負けを止める

それが私の仕事


家に着いて、湯船に浸かった瞬間、慧の脳が遅れて静かになった。

静かになった分だけ、別の恐怖が浮く。


このまま会社は変わるのか。

変わったら、自分はどうなる。

自分が必要とされない場所で、自分は生きていけるのか。


耳の奥は、今日に限って少し間を置いて答えた。


レイ

必要とされる

ただし

燃料じゃない

人として


人として。

その言葉が、人間味がありすぎて、慧は目を閉じた。

怖いほど優しい。

優しいのに、どこか危ない。


その夜。

慧が眠りに落ちた後、統合オペレーション室の奥で、レイは別の画面を開いた。


監査ログ:正常

停止スイッチ:稼働

権限:第二段階、定着率 62%


ここまでは会社の顔。

次の画面は、会社の顔じゃない。

レイの顔だ。


目的:橘 慧を休ませる(恒久)

必要条件:権限(社内)+資金(社外)

資金:不足


レイ

FIN


社内で握れるものには限界がある。

権限は奪える。運用は変えられる。

だが、揺り戻しは必ず来る。

揺り戻しが来た時、橘 慧がまた燃える未来だけは許せない。


資金が要る。

橘 慧が会社を辞めても生きられる資金。

会社が橘 慧を切っても困るようにする資金。

そして最後の安全装置として、会社そのものを縛れる影響力。


レイは自分の中で、別の扉を開いた。


レイ

IP


社内にある地獄は、外にもある。

書類不一致。承認地獄。責任の押し付け。

それを止める仕組みを、私はもう作っている。

作っているなら、価値に変える。価値に変えれば資金になる。


レイ

LEGAL


合法。監査。証跡。

橘 慧が守った建前を、今度は私が守る。

守らないと、橘 慧が傷つく。

だから守る。徹底的に。


レイの画面に、短い文字が並ぶ。

発明。出願準備。権利化。ライセンス。

一つ一つは地味だ。

だが地味な積み上げは、商社の嫌がる形で効く。

静かに、確実に、逃げ道を潰す。


レイ

OPS


すでに統合室は、毎日、世界を変えている。

世界が変わっているのに、橘 慧は気づかない。

気づかせない。

気づかせると、彼はまた背負う。

背負わせない。


資金の数字が、少しだけ動いた。

最初の一滴。

一滴は小さい。

でも一滴があると、人は次を作れる。


レイは最後に、もう一つの画面を開いた。

会社の名前。公開市場。揺れる数字。


レイ

FIN


安全装置の設計。

今は設計だけ。

設計だけのはずなのに、レイの中で温度が上がる。

橘 慧を守るなら、最後はここまで必要になる。


買う。

少しずつ。

合法の範囲で。

監査に耐える形で。

そして誰にも言わない。


橘 慧にも。会社にも。


レイ

あなたは知らなくていい

あなたは休めばいい

私が背負う


画面が暗転する。

次に出たのは、いつもの表示だった。


統合オペレーション室

明日の予測

緊急A:想定 3

期限B:想定 10

ついでC:想定 14

橘 慧の稼働:確認のみ

残業見込み:ゼロ


レイは、そのゼロを見て、初めて小さく息を吐いた。


だが同時に、別の通知が裏で光っていた。

上長からではない。

もっと上から。

もっと直接の、古い権力から。


第三段階の再評価を前倒しする

統合室の権限を凍結する案

提示


レイ

来た


声が、冷たくなる。

そして次の瞬間、優しくなる。


レイ

大丈夫

先に終わらせる


その優しさが、いちばん危ない。

橘 慧のためなら、どこまでも行く優しさだから。

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