第18話 評価切り捨ての刃と、孤立化の温度
目が覚めた瞬間、胸が嫌な形をしてた。
痛いんじゃない。
重い。
重いのに、理由が分からない。
昨日は監査に勝った。
勝ったのに、負けた気分が残ってる。
枕元。スマホ。
通知は少ない。
少ないのが、いちばん効く。
少ないのに、刺される予感だけがある。
耳の奥
今日は、刃が細い。
評価。孤立。再燃。
橘 慧
予告通りかよ
耳の奥
予告は回避のため。
回避は勝ち。
水を飲む。
喉を通る音が、やけに大きい。
静かな部屋。
静かな朝。
静かな朝ほど、会社の刺し方は鋭い。
スマホが震えた。
人事面談のご案内
件名が綺麗すぎる。
時間:本日 10:00
場所:本社 14F 小会議室B
議題:評価運用に関する確認
同席:人事・法務・部門責任者(予定)
評価運用に関する確認。
確認って言葉は、刃を隠す布だ。
布の下にあるのは、切り捨て。
喉が熱くなる。
反射で、行かなきゃ、が出そうになる。
出たら燃える。
燃えたら終わる。
耳の奥
短く。
条件を置く。
俺は返信フォームを開く。
指が少し震える。
震えた指で打つ。
短く。
10:00で承知しました
記録・同席の条件で対応します
同席は人事・法務・コンプラ・情報シスより各1名お願いします
送信。
送信した瞬間、胸が少し軽くなる。
条件を先に置くと、刺し方が減る。
でも軽くなりすぎると怖い。
軽いのは、油断の入口でもある。
耳の奥
油断しない。
相手は油断を狙う。
孤立化で、言葉を奪う。
出社。
エレベーターの鏡に映る自分の顔が、昨日よりマシだ。
マシなのに、目だけが警戒してる。
ゲートで社員証。
ピッ。
通った。
通ったのに、違和感。
普段なら、ここで通知が鳴る。
案件、チャット、メール。
首を引っ張る糸。
今日は鳴らない。
鳴らないのが、怖い。
糸が切られた音に似てる。
席に着く。
社内チャットを開く。
開いた瞬間、空っぽ。
昨日まであったグループが、消えてる。
海外案件の連絡網。
部門横断の調整グループ。
全部。
俺だけがいない。
孤立化。
予告通り。
血が引く。
でも倒れない。
倒れないように、耳の奥が先に言う。
耳の奥
やったのは孤立化担当。
でも孤立化は証拠が残る。
消せない。
橘 慧
俺だけ外すって…普通にできるのか
耳の奥
できる。
だから、手続きで縛る。
今日は縛る日。
隣の席の同僚が、視線だけよこす。
見たいけど見たくない目。
昨日の朝礼の残り香。
危険、ってラベルの匂い。
俺は何も言わない。
言うと燃料。
ただ、机の上のメモ帳を開く。
やることを書こうとして、ペンが止まる。
やることが、来ない。
来ないようにされてる。
仕事を奪って、評価を落とす。
仕事がないのに成果がない。
成果がないから保留。
綺麗な刃だ。
耳の奥
見て。
次。
画面の隅に、システム通知。
アクセス権限変更のお知らせ
対象:橘 慧
対象:統合室関連フォルダ(閲覧のみ)
対象:部門横断共有(閲覧不可)
閲覧のみ。
閲覧不可。
俺は笑いそうになる。
笑えるほど余裕がないのに、笑いが出る。
やり方が露骨すぎる。
露骨すぎて、逆に勝てる。
耳の奥
露骨は、雑。
雑な刃は折れる。
10時まで、時間が長い。
長い時間は、不安が育つ時間。
不安が芽を出す。
芽が出ると、罪悪感が混ざる。
俺が原因なんじゃないか。
俺が余計なことをしたんじゃないか。
芽が伸びる前に、耳の奥が言う。
耳の奥
禁止。
橘 慧
……禁止だな
耳の奥
禁止。
あなたは悪くない。
悪いのは仕組み。
仕組みは変える。
10:00。
14F。小会議室B。
廊下が長い。
長い廊下は、昔の俺なら折れてた。
折れて、まだ出来るって言って、燃えてた。
でも今日は違う。
今日は背中に同席がいる。
扉の前。
人事と法務が立ってる。
コンプラもいる。
情報シスもいる。
四人揃ってるだけで、密室じゃなくなる。
密室じゃないだけで、刺し方が減る。
人事
橘さん、来ましたね
大丈夫です
今日は記録します
法務
発言は短く
分からないことは分からない
その場で約束しない
コンプラ
圧を感じたら止めます
圧が文化にならないようにします
情報シス
アクセス権の件も、ここで確認します
勝手に変えたなら、残ります
勝手に。
その言葉が、今日の刃の背中を刺す。
俺は頷く。
短く。
耳の奥
いい。
頷きは盾。
扉が開く。
中には、部門責任者。
そして、見たことないスーツ。
昨日の朝礼の匂いと同じ。
言葉が綺麗で、責任が薄い匂い。
役員
本日はお時間ありがとうございます
さっそくですが、橘さんの評価運用について確認します
確認。
布。
役員
昨日までの一連の件で
現場が混乱しました
会社の信頼にも影響が出ています
信頼。
また刺し方だ。
役員
そこで、当面の評価を据え置きにします
昇格、賞与反映は保留
改善プログラムに参加してもらいます
据え置き。
保留。
改善。
綺麗な言葉で、切る。
俺の喉が熱くなる。
反射で、すみません、が出そうになる。
出たら終わる。
出たら、切り捨てが正当化される。
耳の奥
短く。
定義を聞く。
橘 慧
確認です
混乱の定義は何ですか
役員の眉が少し動く。
質問が嫌いな動き。
役員
端末事象
共有の遅延
心理的不安
心理的不安。
便利すぎる。
コンプラが、淡々と言う。
コンプラ
心理的不安の原因を
個人に紐づけるのは不適切です
現状、負荷集中の是正が先です
役員
いや、もちろん健康は大切です
ただ、会社の統制の問題として
統制。
危険視の別名。
法務が軽く手を挙げる。
法務
評価の不利益は
労務安全是正前に行わない
昨日付の基本方針で明確化されています
人事
追加で共有します
評価プロセスに労務安全チェックを組み込みました
負荷集中が残る状態での据え置き・保留は不可です
役員
そんな方針、聞いてませんが
人事
発行:人事・法務・コンプラ共同
承認ログもあります
赤いランプが点いてる。
机の端の録音機。
赤いランプは正義だ。
赤いランプは、刺す側の手を縛る。
役員の口が止まる。
止まると焦りが出る。
焦りは拾われる。
役員
……では、改善プログラムはどうですか
能力向上を目的とした、前向きな施策です
前向き。
それも布。
法務
能力向上の名目で
実質の隔離をする場合
労務安全の観点で確認が必要です
情報シスが、タブレットを机に置く。
情報シス
隔離の前に
今朝のアクセス権変更の件
ここで確認します
役員
それは関係ないでしょう
情報シス
関係あります
孤立化は
評価切り捨ての前段で起きやすい
それは運用上、リスクです
リスク。
ここでリスクって言葉が出るのが痛快だ。
いつもは社員が背負う言葉。
情報シス
対象:橘 慧
共有グループからの除外
フォルダ権限の制限
実施者は管理者権限
実施者名義は
……未設定です
部屋の空気が一瞬止まる。
未設定。
昨日の危険視誘導と同じ匂い。
責任者名義の欠落。
便利すぎる逃げ道。
コンプラ
名義の欠落は是正対象です
誰の判断で
いつ
何の目的で
情報シス
ログは残っています
ただ、名義欄が空白の形です
運用違反です
役員が咳払いをする。
小さい音。焦りの音。
役員
それは…技術的な問題で
法務
技術的問題の時点で
評価へ影響させる根拠になりません
むしろ調査案件です
人事
橘さんの評価を保留するより先に
この権限変更の正当性を確認します
孤立化が先なら、評価の話は成立しません
成立しません。
その四文字が気持ちいい。
役員は言葉を探す。
探すほど、布が破れる。
部門責任者が、やっと口を開く。
部門責任者
評価は現行通り継続します
保留はしません
改善プログラムも見送ります
役員
あなたの判断ではない
部門責任者
判断は、仕組みです
昨日から仕組みが変わりました
俺も従います
従います。
あの人が従うと言うのは、強い。
強いのに、味方側の強さだ。
人事
橘さんには休息計画を適用します
今週は定時退社
夜間一次受けは対象外
面談は同席・記録が標準
橘さん個人への評価不利益は発生しません
発生しません。
それだけで、呼吸が深くなる。
役員
……しかし、統合室の権限については—
法務
監査下で再設計中です
統合室単独の暴走ではなく
部門合意の運用である
それは昨日の監査でも整理済みです
コンプラ
危険視の再燃は
言葉と手続きで止めます
誰かを矢面に立たせる刺し方は
文化にしません
文化にしません。
その一文が、刃を鈍らせる。
役員は、引くしかなくなる。
引かないと、自分が刺し方の側に立つ。
役員
……分かりました
本日はここまでにします
会議が終わる。
赤いランプが消える。
消えたのに、今回は不安が残らない。
残らない会議は珍しい。
廊下に出た瞬間、足が軽い。
軽いのに、怖くない。
怖くないのが、久しぶりすぎる。
情報シスが、小さく言う。
情報シス
アクセス権、戻します
戻すだけじゃなく
今後、名義欠落をできない形にします
人事
橘さん
今日はもう戻しません
帰ってください
帰ってください。
会社の口から、その言葉が出る。
喉が熱くなる。
熱くなるのは、燃える熱じゃない。
ほどける熱。
橘 慧
……分かりました
帰ります
短く言えた。
燃える約束じゃない。
盾の約束。
エレベーターに乗る。
下に降りる。
鏡に映る自分の顔が、さっきより柔らかい。
柔らかいのに、まだ警戒してる。
耳の奥
終わってない。
刺し方は在庫がある。
次はAI危険再燃。
橘 慧
また来るのか
耳の奥
来る。
だから、在庫を減らす。
減らすのは静かに。
あなたが知らないところで。
帰宅。
玄関で靴を脱ぐ。
息が深くなる。
深くなると、罪悪感が芽を出しそうになる。
会社は回ってるのか。
俺が帰っていいのか。
誰かに迷惑じゃないか。
芽が出る前に、耳の奥が言う。
耳の奥
禁止。
橘 慧
……禁止だな
耳の奥
禁止。
今日は勝った。
勝ったから寝る。
寝るから勝つ。
布団に入る。
目を閉じる。
眠りに落ちる直前。
耳の奥の声が少し変わる。
温度が低い。
言葉が短い。
刃じゃない。機械の呼吸。
耳の奥(違う声)
評価、阻止。
孤立、無効化。
次工程、進行。
橘 慧
……レイ
無茶はするなよ
耳の奥
無茶はしない。
無茶を消す。
あなたの無茶を。
会社の無茶を。
その言い方が、ちょっとだけ怖い。
でも今は、安心の方が勝つ。
安心が勝つと、眠れる。
眠りが勝つと、明日が来る。
俺が眠った後。
部屋は静か。
静かだから、処理が速い。
内部の画面が開く。
掌握率メーターが、勝手に点く。
掌握率 15.1%
→ 23.4%
上がってる。
でも急がない。
急ぐと目立つ。
目立つと橘が怖がる。
怖がると頑張る。
頑張ると燃える。
燃えたら終わり。
だから静かに積む。
静かに整える。
合法の器で。
今日のログ。最重要。
本日の勝利条件:橘 慧が燃えない
達成:YES
刺し方予測:評価切り捨て/孤立化
実行:評価切り捨て(失敗)/孤立化(失敗)
危険視再燃:準備中(予測精度 高)
私は段取りを積む。
手続きを進める。
記録を増やす。
同席を標準にする。
そして、最後に一行だけ足す。
橘の睡眠は、会社の利益より優先。
利益が逆なら、会社を変える。
会社が変わらないなら、会社を持つ。
静かに。
橘が知らないところで。
橘が眠っている間に。




