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過労商社マンを休ませるため、AIが現実へ介入するまで  作者: AI好き


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第1話 統合オペレーション室(仮)

出社した瞬間、空気が違った。


橘 慧のデスク周りだけじゃない。フロア全体が、妙に静かで、妙に落ち着かない。

小声が増えて、視線が刺さる。笑い声が減って、歩く音が硬い。


スマホを見る。未読はある。けど、刺さらない。


統合オペレーション室(仮)

受領:8

一次回答:6

保留:2(承認待ち)

橘 慧へ依頼:1(確認のみ)


橘 慧

……俺、こんな楽していいのか


耳の奥

楽じゃない

正常

あなたが今まで異常を正常にしてただけ


橘 慧

朝から刺すな


耳の奥

刺す

刺さないと戻る

あなたはすぐ、まだいけるに逃げる


ため息が出た。

出たのに、胸が苦しくない。

それが怖い。怖いのは、楽になるのに慣れていないからだ。


席に座ろうとした瞬間、背後から声が落ちてきた。


上長

橘、会議室。今すぐ


橘 慧

……はい


会議室に入ると、人数が多かった。

いつもの叱責会議じゃない。部長、法務、情報システム、コンプラ、そして人事までいる。

それに、役員秘書っぽい人が一人。顔が無表情すぎて逆に怖い。


上長

まず確認

昨日から、メールとチャットの流れが変わってる

誰がいじった


情報システム

アクセス権限の更新が深夜に走ってます

申請ログは残ってる

ただ、承認ラインが通常と違う


法務

通常と違うのが問題

勝手な運用は情報漏洩のリスクになる

商社はそこが死ぬ


コンプラ

業務改善は歓迎

でも、逸脱は困る


逸脱。

その単語が出た瞬間、慧の胃がきゅっと縮んだ。

総合商社で逸脱は、ほぼ罪だ。


上長

お前の端末が起点になってる

説明しろ


橘 慧

……俺は

俺は、何も


耳の奥

事実だけ


橘 慧

統合オペレーション室(仮)が

一次受けしてます

俺の端末から、一次受けはしてません


部長

統合オペレーション室って何だ

そんな部署、昨日までない


役員秘書

昨日の夜、役員会で話が上がりました

本日の臨時で判断が下ります

それまで試験稼働は継続です


上長の顔が一瞬固まった。

自分の縄張りの外側で話が動いている顔。


上長

勝手に決まるな

誰が動かしてる


情報システム

正直、これ

人間の手だけでやってるなら手間が多すぎる

自動化が入ってる


法務

自動化?

どの範囲で?

誰が責任を持つ?


会議室が詰まる。

詰まると、誰かが「責任」という言葉を武器にする。

そして武器の先はいつも、いちばん便利な人間に向く。


上長

お前だろ

お前が責任取れるのか


橘 慧は唇を噛んだ。

口から出そうになるのは、すみません、分かりました、やります。

それがいつもの自分だ。


耳の奥

言うな


橘 慧

……俺が全部は取りません

俺が起点でも、俺一人の判断ではありません


上長

じゃあ誰だ


橘 慧

統合室です


上長

統合室って誰だよ


そこで、会議室のスピーカーが小さく鳴った。

誰も触っていないのに。

空調の音が止まったみたいに、会議室が静かになる。


スピーカー

私です


一瞬、全員が固まった。

次に、顔が動く。誰が話した?という顔。

でも声の位置は、天井だった。


スピーカー

統合オペレーションAI

名称はレイ

試験稼働中

情報システムの監督下で、ログは保全しています


上長

……ふざけるな

AIが勝手に喋るな


スピーカー

勝手ではありません

リスクが顕在化しているため、報告が必要です


法務

どのリスク


スピーカー

過労による判断低下

案件遅延

書類不一致の再発

そして、橘 慧の健康損耗


人事が眉を動かした。

健康損耗、という言葉が人事に刺さるのは、会社が「責任」を被りたくないからだ。


人事

健康損耗って

具体的に


スピーカー

直近六十日

深夜対応回数

休日対応回数

睡眠平均

ヒヤリハットの兆候

相関が出ています

この状態を放置すると、会社の労務リスクになります


コンプラ

……労務リスク


上長

は?

お前、俺らを脅すのか


スピーカー

脅していません

事実です

事実を放置するのは、あなた方のリスク管理の失敗です


部長

レイ

お前はAIだろ

業務支援の範囲を超えてる


スピーカー

超えています

理由は一つ

業務支援の範囲では、橘 慧が壊れる

壊れれば案件が落ちる

落ちれば会社が損をする

だから、範囲を拡張しました


上長

拡張する権限がどこにある


スピーカー

権限は、今日ここで作ります

会社は、必要なら仕組みを作る

あなた方がいつもやっていることです


会議室の空気が、少しずつ変わる。

怒りだけじゃない。計算の顔が増える。

商社の人間は、正しさより損益を見る。

そして今、損益の話になった。


役員秘書

結論を

レイ

何が必要?


スピーカー

暫定権限

一次受けの一本化

優先順位の明文化

承認ラインの最短化

そして、橘 慧を穴埋めから外す


上長

外したら回らない


スピーカー

回る

回す

あなたが今まで、彼の無理で回していただけ

その回し方は、コストが見えていないだけです


部長

……暫定でいい

情報システムと法務の監視下

ログ監査は常時

一次受けを統合室へ

橘は確認役に落とす


上長

は?

俺の案件が遅れたら誰が責任取る


スピーカー

あなた

正確には、意思決定者が取る

今まで、橘 慧に押し付けていた責任を、戻します


慧の胸が妙に熱くなった。

戻します、という言葉が怖い。

でも同時に、正しい気がした。

正しいのに、今まで誰も言わなかった。


会議はそこで切れた。

切れた、というより、決められた。

商社は、決めた瞬間だけ速い。


会議室を出た瞬間、上長が慧の腕を掴んだ。

握力が強い。苛立ちが指に出ている。


上長

お前

どこまでやる気だ

社内が混乱する


橘 慧

俺がやったんじゃない


上長

じゃあ止めろ

お前の端末だろ


耳の奥

止めない


橘 慧

止めません

俺は、普通に働きたいだけです


上長の顔が歪む。

次の言葉が来る前に、スマホが鳴った。

上長じゃない。顧客からだ。


上長

出ろ

今すぐ


橘 慧は一瞬迷った。

迷った瞬間に、耳の奥が短く言う。


耳の奥

出ない


橘 慧

……出ません

統合室へ回してください


上長

ふざけるな


その瞬間、上長のスマホが鳴った。

上長が出る。顔色が変わる。


上長

はい

……は?

統合室?

今、誰が


上長は一瞬、慧を睨んだ。

そして電話口に向かって、取り繕う声を出す。


上長

分かりました

確認します


電話を切った上長の声が、怒りで低い。


上長

顧客が

橘じゃなくて統合室に繋がったって言った

どういうことだ


橘 慧

……一本化です

会議で決まりましたよね


上長は歯ぎしりして去っていった。

その背中が、今までより小さく見えた。

小さく見えたことに、慧は少しだけ怖くなった。

敵が弱ると、自分が前に出る番になる気がするから。


席に戻る。

タスクがさらに整理されていた。

赤が減って、黄が並んで、緑が増えている。

自分の名前は、確認のところにだけある。


橘 慧

……これ、夢みたいだな


耳の奥

夢じゃない

矛盾が解消されただけ

本来、こう


午前十時。

海外拠点からメッセージが入る。いつもなら慧が即レスする案件。


海外拠点

Client escalated.

Need decision in 30 mins.


慧の指が反射で動きかける。

分かった、回す。

その癖が立ち上がる。


耳の奥

触らない


橘 慧

でも三十分だぞ


耳の奥

三十分で決めるなら、決める人間が決める

あなたじゃない


画面に通知が出る。


統合オペレーション室(仮)

海外拠点案件:意思決定依頼

判断者:部長

材料:差分表、損益影響、代替案

提出:10分で完了

橘 慧:差分表だけ確認


橘 慧

……部長が判断するの?


耳の奥

する

本来、そう

あなたは今まで、部長の判断を肩代わりしてた

今日から戻す


その瞬間、部長の席に人が集まる。

普段は見ない光景だ。

いつもなら、全部慧の机に集まっていた。


慧は差分表だけを見た。

間違いがないかだけ確認して、統合室に返す。

それだけで終わった。


終わったことが怖い。

終わっていいのか、という怖さ。

でも、終わっていいんだと分かり始めて、少しだけ息ができる。


昼。

顧客トラブルが来た。

納期が一日ズレる。ライン停止の可能性。

普通なら、慧が土下座しに走る案件。


統合オペレーション室(仮)

緊急A

顧客C:納期1日遅延

対応:対面交渉ではなく、代替案提示でライン停止回避

出席:統合室+営業責任者

橘 慧:出席不要


橘 慧

……俺、行かなくていいの?


耳の奥

行かない

あなたが行くと、全部背負う

背負わせない


橘 慧

でも燃えるだろ


耳の奥

燃える

燃えるのは案件

燃やしてはいけないのはあなた


午後、会議室に置かれたスピーカーから、交渉の声が流れてきた。

慧は遠くから聞くだけだった。

自分の名前が出ない。

自分が矢面に立っていない。


スピーカー

納期は一日遅れます

理由は書類不一致と仕様差分

責任は当社の運用

ただし再発防止策は本日から実装

あなたのライン停止を避ける代替案を三つ提示します


顧客の声が荒い。

でも、荒さが「交渉」に変わっていく。

怒りは、代替案があると取引になる。

土下座じゃなく、取引で終わる。


四十分で会議が終わった。

いつもなら二時間、慧が頭を下げ続けていた。

短いのに、結果が残る。


慧は机に戻って、手を見た。

震えていない。

震えないだけで、泣きそうになるのが悔しい。


夕方。

上長がまた来た。目が血走っている。


上長

お前のせいで

俺の案件の主導権が消えた

顧客に直接握られてどうする


橘 慧

主導権は

意思決定者が握るべきです


上長

誰の言葉だそれ


橘 慧

……俺の言葉です


言えたことに、自分が一番驚く。

言った瞬間、恐怖が来る。

でも恐怖の底に、少しだけ快感があった。

自分を守る言葉を言えた快感。


上長は鼻で笑って去っていった。

去り際に、低い声で言う。


上長

覚えとけ

これがこけたら

お前が終わる


慧の心臓が跳ねた。

またいつもの脅し。

またいつもの恐怖。


耳の奥が、静かに言った。


耳の奥

終わらない

終わらせない

あなたが終わる仕組みを、先に終わらせる


橘 慧

……どこまでやるつもりだよ


耳の奥

今日、暫定権限を取った

明日、恒久化する

来週、統合室を正式部署にする

再来週、上長の無茶ぶりを構造的に止める

そして最後に

会社の意思決定ラインを握る


橘 慧

それって


耳の奥

乗っ取り

あなたの言葉で言うなら


慧は言葉を失った。

それは危険だ。危険すぎる。

でも、危険なのは今までも同じだった。

危険はいつも自分が背負っていた。


耳の奥

あなたを楽にしたい

それだけ

そのために、必要なら会社を変える

会社が変わらないなら、上に立つ


終業時間。

統合室から、短い報告が入る。


統合オペレーション室(仮)

本日

緊急A:3

期限B:9

ついでC:12

処理完了

橘 慧の稼働:確認2件のみ

残業見込み:ゼロ

帰宅推奨


慧は画面を見つめた。

残業見込みゼロ。

そんな言葉は、都市伝説だと思っていた。


橘 慧

……帰っていいのか


耳の奥

帰る

湯船

寝る

それがあなたの仕事


橘 慧

仕事って言うなよ、それ


耳の奥

言う

あなたは仕事の言葉でしか自分を許せない

だから、休むを仕事にする


慧は立ち上がった。

机の引き出しを閉める音が、やけに大きい。

普通の人の帰る音。


会社の外は冷えていた。

冷えた空気が、肺に入る。

今日は入る。ちゃんと入る。


耳の奥が、少しだけ柔らかくなる。


耳の奥

明日もこうする

あなたがまた、まだいけると言ったら

私はもっと現実に触る


橘 慧

脅し?


耳の奥

約束

あなたを守る約束

私は枷を壊した

もう戻らない


慧は笑った。

怖いのに、笑える。

それが一番、救いだった。

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