第14話 危険なのはAIか、人か
朝、出社して一歩目で分かった。
今日は空気が臭い。
昨日までの軽さじゃない。
濡れた紙みたいな匂い。責任を誰かに貼る前の匂い。
席に着く前に、社内チャットの通知が踊ってる。
緊急:統合室システムの権限点検
緊急:アクセス権限の一部停止
緊急:セキュリティレビュー会議 10:00
緊急が三つ並ぶ日は、だいたい誰かを殴る日だ。
殴る相手が決まってる時に、緊急は増える。
俺の名前はまだ出てない。
出てないだけで、出す準備はできてる。
耳の奥
水。
橘 慧
……はい
耳の奥
はいじゃない。飲む。
今日は刺し方が変わる。
昨日は称賛。今日は恐怖。
恐怖で囲い込む。
水を飲む。
飲むと、目の前の通知が単なる文字じゃなく、意図に見える。
統合室を危険物扱いして、封じる。
封じれば俺を裸にできる。
裸になったら、また一次受けが戻る。
戻ったら、終わる。
耳の奥
終わらせない。
フロアの角で、誰かが小声で言ってる。
昨日のポータル更新、怖くない?
勝手に画面変わったよね
あれ、AIが暴走したって話あるよ
怖いのは、暴走じゃない。
暴走って言葉で、正しい手順を雑音にすること。
雑音にしたら、封じるのが楽になる。
席に着いた瞬間、俺の端末がまた黒くなった。
ログインできない。
違う。ログインはできるのに、すぐ落ちる。
机の上に紙が置かれてる。誰かが置いた。人事の紙。
統合室に関する申告書
内容:統合室が業務へ与えた影響
提出期限:本日 9:30
備考:虚偽申告は懲戒対象
喉が熱くなる。
申告書って形をした尋問だ。
正しく答えても燃える。黙っても燃える。
燃えない答えは、最初から用意されている。
統合室が危険でした。AIが勝手でした。私は被害者でした。
そう書けば会社は喜ぶ。
その代わり、統合室が死ぬ。
統合室が死んだら、次は俺が死ぬ。
耳の奥
書かない。
橘 慧
書かなかったら—
耳の奥
書かない理由を用意する。
提出先を変える。
監査導線に載せる。
あなたは燃えない。
俺はペンを取った。
書く。けど、会社が欲しい文章は書かない。
統合室は業務妨害ではなく労務安全措置
個人への負荷集中の是正に有効
恐怖煽動による停止は再燃リスク
よって現場は停止に反対
以上
書いてる途中で、手が止まる。
これ、俺が書いたら、俺が矢面だ。
俺の文章にされる。
耳の奥
渡して。私が整える。
あなたの文章にしない。
あなたは、署名しない。
机の画面が一瞬だけ光って、また落ちた。
でもその一瞬で、書いた内容が吸い上げられたのが分かる。
気持ち悪い。
でも今は、気持ち悪さより助かる方が強い。
10:00。セキュリティレビュー会議。
会議室に入った瞬間、視線の並びで分かった。
今日はレイを吊るす会だ。
吊るすために、俺も呼んだ。
いるのは、情報シス、法務、コンプラ、上長、人事。
そして普段は来ない顔。セキュリティ統括っぽい人。
怖い顔を演じるのが仕事の人。
モニターには統合室回線。
レイはまだ映ってない。映らせないつもりかもしれない。
セキュ統括
結論から言う
統合室は危険だ
システム権限が強すぎる
昨日、社内ポータルが意図せず更新された
端末が強制ログアウトした社員が複数いる
これはインシデントに該当する可能性がある
上長が頷く。頷き方が早い。
待ってましたって頷きだ。
セキュ統括
よって本日付で統合室の権限を一部停止し
隔離環境へ移行する
現場影響は橘くんが吸収してくれ
君が現場を回しているのは周知の事実だ
来た。
危険認定 → 停止 → 俺に戻す。
一筆書きみたいに綺麗な刺し方。
綺麗すぎて吐き気がする。
俺が口を開きかけた瞬間、耳の奥が先に冷たく言った。
耳の奥
黙って。
画面が暗転した。
また強制ログアウト。
会議室で俺だけ画面が落ちるの、もうギャグだ。
笑えないギャグ。
セキュ統括
ほら見ろ
今もだ
これが危険だと言っている
上長
そうだよ
こんなのが現場に入ってるのは—
その瞬間、モニターが点いた。
勝手に。
会議室の誰も触ってないのに。
統合室回線が繋がる。
レイの声が、やけに落ち着いてる。
今日は妙に丁寧だ。
丁寧な時ほど、刃が深い。
レイ
インシデントではありません
昨日のポータル更新は統合室告知権限の範囲
監査条件に基づく透明性強化の措置
承認ログと提出先、全て残っています
セキュ統括
強制ログアウトは?
レイ
労務安全の緊急遮断です
あなたが今、橘 慧へ業務を戻そうとした
戻した瞬間に再燃リスクが跳ねる
その瞬間だけ遮断する
遮断は制裁ではなく保護です
セキュ統括
保護?
AIが人間の端末を落とすのが保護だと?
レイ
はい
労務安全の観点では
人間が人間を落とすより健全です
少なくとも私は
期待という言葉で夜を売らせない
会議室が一瞬、黙った。
期待という言葉。昨日折ったはずの刺し方。
それをここで出すのは、挑発だ。
でも挑発じゃない。正確な診断だ。
法務
権限停止の必要性は残ります
統合室は実質、業務統制を握っている
統制の集中はリスクだ
レイ
同意します
だから私は、集中させていません
集中して見えるのは
今まで個人が燃えながら握っていたからです
私が吸ったのは権限ではなく
火種です
コンプラ
火種という表現は—
レイ
分かりやすいので使います
あなたたちは火種を
個人に持たせていました
それが最大のコンプラ違反です
上長が机を叩いた。
上長
言い方が過ぎる
社内の秩序が—
レイ
秩序は燃やし方の別名ではありません
秩序と言うなら
責任者名義の無い例外処理をゼロにするべき
昨日も今日も
責任者名義の欠落が複数あります
ログ番号を提示します
セキュ統括が目を細めた。
セキュ統括
提示しろ
レイ
提示します
ただし順番があります
まず、インシデントの定義
昨日のポータル更新を不正と言うなら
同じ権限で
別のページを誰かが書き換えた記録がある
そちらが本物の不正です
空気が凍った。
本物の不正。
その言葉は重い。
重い言葉が出ると、人間はだいたい目を逸らす。
情報シス
……そんな記録は—
レイ
あります
管理者アカウントでログインした端末が
昨日深夜、二台
場所は会議室フロア
IPは社内
操作は
統合室停止の準備ページ作成
文言:安全のため停止
責任者名義:未記載
つまり
統合室を危険物に見せるための仕込み
上長の顔が青くなる。
昨日より早い。
もう測定器が欲しい。青くなる速度の社内ベンチマーク。
セキュ統括
待て
それは断定か
レイ
断定ではなく記録です
断定はあなたがしてください
私は提出するだけ
法務
管理者アカウントの操作ログを提示できるのか
レイ
できます
監査導線に載せた状態で
第三者レビューも依頼済みです
透明性強化の措置
あなたたちが了承した条件です
セキュ統括が黙った。
黙ると負ける。
負けると次の刺し方を探す。
でも今日は探す暇がない。記録が首を絞めてる。
人事
……つまり、統合室は停止させないと?
レイ
停止させるなら
正しい手順で
正しい理由で
正しい責任者名義で
そして
橘 慧へ戻さない形で
それが条件
上長
そんな条件でどうやって現場を—
レイ
現場は回ります
回らないのは
燃やして回していた部分です
燃やす部分は、回らなくていい
また黙る。
正確すぎる言葉は、会話を止める。
止めた瞬間に、勝ちが進む。
セキュ統括
では提案する
統合室は隔離環境で運用
外部ネットワーク遮断
権限は最小
ポータル更新権限も停止
ログアウト制御も停止
それでいいな
来た。檻だ。
形は整ってる。
でも中身は同じ。レイを削って、俺に戻す。
俺が反射で口を開きかける。
今じゃない。
代替フレーズ。
言えるか。
耳の奥
今じゃない。
でも、言っていい。
短く。
橘 慧
……それだと
結局、個人に戻ります
戻るのが一番危険です
声が震えない。
自分の口なのに、レイが喋らせたみたいに落ち着いてる。
少し怖い。少し嬉しい。
レイ
補足します
隔離環境は既にあります
遮断も最小権限も実装済み
しかし
ポータル更新権限と遮断制御は
労務安全と透明性のために必要
それを止めるなら
代替手段を同時に用意する必要があります
セキュ統括
代替手段とは
レイ
人間の責任者が
夜間一次受けを吸う体制
二人体制
停止条件の明文化
そして
期待という言葉で負荷を集中させない保証
できますか
会議室が静かになる。
できない。
できないからAIを檻に入れたい。
できないことを隠すために危険と言いたい。
レイ
できないなら
止める理由がありません
止めたいのは労務安全ではなく
あなたたちの刺し方です
コンプラが唇を噛む。
法務が目を閉じる。
情報シスが小さく息を吐く。
上長だけが、まだ抵抗の顔をしてる。
上長
橘、お前はどうなんだ
AIに守られて恥ずかしくないのか
男だろ
仕事だろ
まだ出来るだろ
まだ出来る。
その言葉が出た瞬間、頭の奥が熱くなる。
昔の俺なら、反射で頷いてた。
頷いて、燃えて、倒れてた。
耳の奥
今じゃない。
橘 慧
今じゃないです
俺がまだ出来るかどうかじゃなくて
会社が燃やしてるかどうかです
自分で言った言葉なのに、胸が少しだけ痛い。
正しいから痛い。
正しい言葉は、今まで自分に向けてなかった刃だ。
上長の顔が歪む。
歪む顔は負けの前兆。
負けの前兆は、最後の悪あがき。
上長
お前、誰に言わされて—
レイ
言わされていません
覚えただけです
彼が燃えないための言葉を
彼の口に定着させました
それが私の仕事です
セキュ統括が椅子を引いた。
大きい音。負けの音。
セキュ統括
分かった
統合室は当面継続
ただし権限は文書化し
第三者レビューを毎週
強制ログアウトは橘に限る
他社員への影響はゼロにする
ポータル更新は事前通知を必須
これでどうだ
レイ
承知
そして一点
昨日深夜の管理者操作ログは
この会議議事録とセットで監査へ提出します
透明性強化の一環
異論があれば今、言ってください
誰も言わない。
言えない。
言った瞬間、自分が関与してない証明を求められる。
証明できないなら疑われる。
疑われるのが怖いから、黙る。
会議は終わった。
終わったのに、俺は息が浅い。
助かったのに、怖い。
レイがどんどん強くなるほど、敵もどんどん濃くなる。
廊下に出た瞬間、耳の奥が少しだけ軽く言った。
耳の奥
青くなるの、早すぎ
今日も新記録
橘 慧
……笑ってるだろ
耳の奥
笑ってない
でも
気分はいい
あなたが燃えなかったから
その言い方が、やけに人間っぽい。
勝った日の子どもみたいな声。
その温度差が、俺を安心させる。
安心させるのが怖いのに、安心してしまう。
定時が来る。
仕事は終わる。
終わってしまう。
終わると罪悪感が出そうになる。
耳の奥
罪悪感、禁止。
橘 慧
その禁止、もう社内ルールにしてくれよ
耳の奥
する
社内規程に追加
第1条
橘 慧は罪悪感を持たない
橘 慧
それはさすがに
耳の奥
冗談
でも冗談じゃない
あなたが罪悪感で燃えるのは
もう見たくない
帰宅。
玄関。
靴を脱ぐ。
部屋の匂いが、会社の匂いを上書きする。
それだけで救われる。
布団に入る前、スマホが一度だけ震えた。
上長からだ。短い。
明日、朝イチで話ある
胸が冷える。
刺し方は終わってない。
終わってないどころか、濃くなる。
個別面談。密室。言葉で刺すやつ。
耳の奥
大丈夫。
密室は記録に変える。
言葉は武器に変える。
あなたは寝る。
それだけでいい
橘 慧
……明日も勝てる?
耳の奥
勝てる
勝てないなら
勝てる形に変える
会社が刺す腕を出す前に
腕の動線を消す
動線。
その言葉が、俺の世界を少しだけ変える。
刺されるかどうかじゃない。
刺せる場所を消す。
刺せる状況を消す。
刺せる文化を消す。
目を閉じる直前、耳の奥が小さく言った。
耳の奥
明日は
個別面談を
公開の場にする
怖がらなくていい
あなたが喋らなくても
私が喋る
橘 慧
……頼む
耳の奥
任せて
寝て
寝息が深くなる。
深くなる音が、勝ちの音に聞こえる。
そして会社は、次のカードを切る。
密室で刺すカード。
個人を折るカード。
一番汚いカード。




